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先日、叔母が急病で倒れ、入院したという知らせが入った。
小さいころからよく面倒を見てくれた人だったから、私はすぐにお見舞いにいったけど、叔母には意識がなくて、話ができる状態ではなかった。
ただ、私が駆け付けた時、意識を取り戻したのか、うっすら目を開けてくれた叔母は、私を見て何かいいたげにうめき声をあげた。
何をいっているのかわからなかった。でも、言葉の最後に「て」といっているのだけは聞き取れた。
叔母は六十過ぎで、今の時代死ぬのには若すぎる。でも、医者の話を聞いた父の口からは、「一週間持てばいい方だ」という言葉が出ていたので、私は人が死ぬのは思ったよりもあっけないことなんだなと、自分でも驚くくらい冷静に考えてしまっていた。
その日の夜、叔母の家に遊びに行く夢を見た。
叔母の家は車で何時間もかけなければいけない遠い山の中にあって、父の長期休みが取れる夏休みに連れて行ってもらうのが毎年の恒例だった。
でも私は少しだけ叔母の家にいくのが億劫だった。山の中にあるだけで厄介だというのに、山道をずっと行った後、車を停めた私たちは、坂道を登らなければならなかったからだ。
叔母の家は小高い丘の上にある。車を停めるスペースがないから、父は丘の下の駐車スペースに車を置いて、私たちをつれて坂を登るしかなかった。
何年も舗装し直してもらえていないぼこぼこのコンクリートから、痛いくらいの太陽の照り返しをくらいながら長い坂道を登っていくのは、幼い私には酷なことだった。
でも、私の前を行く六つ上の兄が、坂道にそって並べられた石垣の隙間にカエルを見つけては私に渡してくれて、私はそれが無性にうれしかったのを覚えている。
今思えば、兄なりに私が坂の途中でばてないよう、気がまぎれる楽しみを与えてくれていたのかもしれない。
叔母の家につくまでに、私の手は小さなアマガエルたちでいっぱいになった。私はそのカエルを、叔母の庭にある池に放すのが毎年楽しみだった。
池の中には色鮮やかな金魚が何匹も競泳していて、水面を泳ぐカエルを追いかけて赤いおべべをふる姿を眺めるのが、私は好きだったのだ。
でも、ある年に同じことをしたら、カエルたちは無残に一匹残らず食べられてしまった。池の中にはかわいい金魚ではなく、恐ろしく大きな鯉がいたからだ。
「子どもたちは大きい魚の方が喜ぶから」と、機転を利かせたつもりの叔母が、金魚を鯉にかえてしまったのだ。
あとから叔母に「南ちゃんは鯉が嫌いなんだね、かえちゃってごめんね」となだめられたけど、当分この家には来たくないと思った。
それでも次の年に叔母の家に行くと、鯉はまた金魚にかわっていた。
でも、私が捕まえたカエルをその池に放すことはなかった。
もしかしたら池の底から、カエルたちを食い殺した鯉が姿を現すのではないかと、怖くてたまらなかったからだ。
夢の中の叔母の池には、鯉がいた。先日二十歳を迎えたはずの私は、どういうわけか当時の幼い私に戻っていて、その小さな両手の上で、たくさんのアマガエルたちが身を寄せ合っていた。
池の中に鯉がいると夢にも思っていない私は、カエルたちを池に放って絶望する。
悠々と水面を泳ぐカエルが、池の底に引きずり込まれるようにして、深いところから浮かんできた鯉の口に吸い込まれていった。
私は何もできずにただそれを眺めるだけで、さっきまで愛らしく私の手の中で呼吸を繰り返していたカエルたちは、あっという間に鯉の胃袋に収まってしまった。
あの時の絶望感をもう一度味わうことになるとは思ってもいなかった。
夢と分かっていながら、私はカエルたちにしてしまったことに対して罪悪感を覚え、泣きながら家の中に入ろうとする。
しかし、当時とは違うものがあった。
あの時は、私の声を聞いて叔母がすぐに飛んできたけど、開け放たれた玄関口は真っ暗で、薄汚れた白色のかっぽう着姿の叔母が、ただ暗闇の中に立っているだけだった。
叔母は玄関まで来た私に口元だけで何か言ってくる。でも、なんといっているのかうまく聞き取れなかった。
「おばちゃん、なあに?」
おさないころの私は、叔母の様子がおかしいことに気づいてすっかり泣き止んでいた。変声期前の高い声で問いかけると、叔母はぼんやりと私を見下ろし、ただ「って」といった。
「なあに?」と、もう一度問いかける。
すると叔母はくぐもった声で、でも、先ほどよりは聞き取りやすい発音でいうのだ。
「あがって」と。
いや、そう聞こえただけかもしれない。でも私は、その言葉を家に上がってといっているのだと解釈して靴を脱ぐことにした。
靴を脱いでいる最中も、叔母は何度も「あがって」といって私を急かす。
「待ってー」と私は急いで靴を脱いで、家に上がった。
そして「あがったよ」と叔母に報告する。
でもやっぱり叔母はまだ、「あがって」と繰り返す。
私は意味がわからなくて、ただ叔母の言葉を繰り返し聞くだけ、何もできなかった。
何度も叔母が「あがって」と繰り返すので肯定してほしいのかと思い、「わかった」と答えようと思ったけど、その時ちょうど目が覚めてしまって、叔母が何を言いたかったのかついにはわからなかった。
でも私は、意識がない叔母と話ができているような気がしてなんだか少しうれしかった。
次の日もその次の日も、叔母の家に行って叔母に会う夢を見た。
でもやっぱり、叔母は玄関先で「あがって」と繰り返すだけ、私が家に上がっても口にする言葉を変えてはくれなかった。
同じ夢を見始めて一週間くらいたったその日も、叔母の夢を見た。
でもその日、家の玄関に叔母はいなかった。
私は家に上がり、廊下を少し進んで明かりがついていた居間に入って叔母を探した。
肩にポンと手を置かれて、私が振り返ると、そこには不自然なくらい大きく目を見開いた叔母が立っていた。
私を見下ろして、叔母ははっきりこういった。
「かわって」と。
次の日になって、叔母が深夜に亡くなったことを聞かされた。
私は、今まで「わかった」と答えなくてよかったと思った。
叔母は私に家にあがってほしかったのではなく、私に死ぬのをかわってもらいたかったんだ。
私はその日を最後に、叔母の夢を見なくなった。
後日、私が叔母の遺品整理に家を訪れると、あの池の中の金魚は鯉にかわっていた。
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