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「おつかれさん。大丈夫?」
ちこちゃんはそう言って寝ている私を覗き込んだ。
「水、飲める?」
ペットボトルにストローを差して口元に運んでくれる。
「大変だったね、7時間だよ」
扇子であおいでくれるちこちゃんを見ていて泣きそうになる。
旦那さんもお父さんもあっちに行ったまま帰ってこない。
「あっち見にいかないの?」
ペットボトルの水を飲んでから言うと
「あとでゆっくり行く」
ちこちゃんはそう言って目尻からぽろんと涙をこぼした。でも微笑んだままだ。
「どうして泣くの?」
「だって嬉しくて」
10年前、いきなり私のお母さんになったちこちゃんに私が最初に言った言葉、「お母さんじゃないから」。
呆れ顔のお父さんが何かを言おうとしたのを制して、
「うん、じゃあ、ちこちゃんって呼んで」
彼女はそう言った。
ごめんね、10年前のちこちゃん。
そしてありがとう、10年間のちこちゃん。
だから私はちこちゃんに言った。
「ちこちゃんのことお母さんって言わないよ」
ちこちゃんは一瞬驚いた顔をしてすぐに笑顔になった。
「いいよ、今までどうりで。私、出産経験ないからわからないけど本にはお腹すくって書いてあったけど」
今度は心配そうに眉を寄せながら鞄の中からプラスチックケースを出す。
私の大好物のお稲荷さん。
「ちこちゃん、お母さんって呼ばない。これからちこちゃんはバアバになるの。だから私もバアバって呼ぶから」
プラスチックケースの蓋を開けかけていたちこちゃんは、また一瞬固まる。
「バアバ? あの子の?」
ちょっと震えるような声を聞きながら、頷いた。
ちこちゃんの目尻からまた涙が落ちる。でも今度は微笑んでいなかった。
「ちこちゃんが嫌なら、大ママとか?」
ちこちゃんは、ぶんぶんと首を振りながら言った。
「ううん、バアバがいい。あの子のバアバがいい」
ちこちゃんは今度はなかなか笑顔にならずに泣いている。
ベッドに寝たまま、ちこちゃんの手を握りしめた。
「ありがとう」
ちこちゃんはやっと微笑んでくれた。
10年間、どんなに反抗しても優しかったちこちゃんの微笑みに、消耗した体力が戻ってくる気がした。
「お稲荷さん食べたい」
あわててプラスチックケースを開けるちこちゃんのことを、またちこちゃんと呼んでしまう日もあるだろう。でもきっと許してくれる。
「いただきます」
お稲荷さんにかぶりついたとき、廊下を挟んだ新生児室から元気のいい泣き声と、旦那さんとお父さんがはしゃいでいる声が聞こえた。
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