俺がいてもいなくても。

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

俺がいてもいなくても。

 走り去ってゆく食パンみたいな電車のツラを見ながら俺は舌打ちする。上野東京ラインが上野で運転打ち切りとなったことでふいに乗り換えの必要が生じ、ひどく気が立っていた。 『4分後 東京・品川方面』  そばに学生服を着たチビの少年が立っている。  彼には現代の光景が異様に映ったらしく、好奇心に満ちた口調で問いかけてきた。 「ねえなんでみんなマスクしてんの? 悪い病気でも流行ってんの?」 「そだよ。でもほんとに怖いのは病気じゃない。みんながマスクしてんのはみんながマスクしてっからだ。それ以外の理由はねぇ」 「どゆこと? 中坊にもわかるように言って」 「1人だけ見た目がヘンだったら叩かれる。君ならよく知ってんだろ?」 「ああ、そうだよね」 「それにマスクは傷隠すのにちょうどいんだ」 「……」  少年の存在を俺は自然に受け入れていた。  6月にもかかわらずカゼをこじらせていた。意識が朦朧とした俺は入ってきた電車の側面に頭から触れた。  あの瞬間、亀裂が入ったように世界は2つに別れた。いや同じ世界でありながら2つの時間軸が現れたのだ。それらは2本のレールのように近い位置を並行しながら交わることはない。  俺がいる時間といない時間。 「この駅、10年経っても変わんないね」 「ホームドア付いたろ。もうあんときみたいなヘマこくこともない」 「そーいやそーだね。あ、なんか電光掲示板も『2分後』とかなってるし」 「世の中前に進んでんだよ。山手線みたいにおんなじとこグルグルまわってるわけじゃない」 「いいな~。俺はずっと止まった時間の檻に閉じ込められたままだよ。俺なんかいなくても世の中に影響なんてないからいんだろうけどさ」 「俺が存在したところでなんも変わんないよ」  そう、俺なんていてもいなくても影響はない。だからこういうパラレルが生じたのだろう。  チビ。キモイ。記号のような罵りを浴びせられ、死にたいとぼやいてばかりだったあの頃……。それは大人になったいまも変わらない。ノロマ、ヤクタタズと上司に叱責される毎日。そして昨今の業績悪化。きょうあすにも解雇を告げられるかもしれない。そしたらいよいよ俺もコイツと同じ運命をたどるだろう。  アナウンスが流れ緑色の電車が入ってきた。乗り込むと、ベルではなく鼓舞するような力強い和風のメロディーが流れる。  少年が名残惜しそうに俺を見つめる。 「成仏しろよ」  俺はマスクを下ろすと、俺と分裂してしまった10年前の君に告げた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!