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第二話
アロイス王国には、国王と並ぶ権力を持つ者がいる。
それが国教の守護者である祭司王だ。
時と運命の神ラトレイアの奇跡を操る力を持つ者が司祭の資格を得るが、その中でも強い奇跡の力を持ち、一定の条件を満たした者が、枢密院にて選出されることになっている。
エクレシスはその、祭司王を選ぶことのできる枢密院顧問官だというのだ。
「本来なら管轄の司祭の仕事に割り込むには、様々な手続きがいる。だが、私にはその権限がある」
堂々と自分の権力について語る彼の言葉に嘘はない。枢密院顧問官ならば、各地域に派遣される司祭達を統括する立場の人間だからだ。
周知のことをわざわざ口にしているのは、エクレシスがアーシャの不安をとりのぞこうと考えたからだろう。
自分が必ず審判をとりおこなって、アーシャの嫌がる結婚の無効を証明してみせると。
審判により証明された前世の縁を理由にされた場合、教義に反するため断りにくい。そのため、ロンハが『審判を受けた』と主張する以上、アーシャに婚姻を迫っても誰も止められない。
だから司祭を抱き込んでいるロンハの申し出を拒否するには、彼らの嘘を暴かなくてはならないのだ。
そのためにエクレシスは審判を行うと言うのだが、
「なのに何故君は、審判を嫌がる?」
真剣にアーシャの訴えを聞き入れたからこその疑問に、アーシャは口が重くなる。
なかなか話さないアーシャに、エクレシスは呆れた様子もなく、アーシャを背負ったまま歩き続けた。
茨を伝って壁を上り下りしたアーシャは、思ったより手足を怪我していたのだ。
とりあえず詳しい説明を聞きたいという彼を、夜も遅いから宿へ案内しようとしたアーシャは、痛みで歩けなかった。そこでエクレシスが彼女を背負ってくれた。
アーシャは申し訳なくてたまらない。
司祭として地位の高い人なのに、初対面のアーシャの訴えを聞いてくれるほど、職務に真面目な人なのだ。
でも、そんな人だからこそ言いづらかった。
ぐずぐずとしている間に、エクレシスは宿へたどりつく。
顔見知りの女主人は夜半に訪れたアーシャと青年の組み合わせに驚いたが、意味ありげな顔をして部屋へ案内してくれた。
「話の前に、傷の手当てだな」
部屋に入ると、エクレシスはアーシャを部屋の隅にある寝台に座らせ、手足の傷の手当てをしてくれた。
ぐるぐるに巻いていた布をとり、女主人に頼んで運んで貰った水で洗い流し、薬を塗ってくれる。
「ありがとうございました」
手当が終わると、アーシャは深々とエクレシスに一礼した。
司祭は多少は医療も担うとはいえ、枢密院の顧問官なんて偉い人の手をわずらわせてしまったのだ。恐縮するアーシャに、エクレシスは「気にするな」と言いながら、アーシャと向かい合わせになる場所に、椅子を持ってきて座る。
「さて、なぜ審判を受けられないのか、話して貰おう」
再度の追求に、アーシャは抵抗をあきらめた。
そもそも、エクレシスに助けを求めたのは自分だ。審判を受けるのが一番良い方法だというのもわかっている。
ただ神の意志の元、過去を尊重して生きている司祭である彼に話したら、怒られるのではないかと思うと恐かった。
「……怒りません?」
だから叱られた子供のようなことを聞いてしまった。
「信者の告解を聞いて、怒る司祭など聞いたこともないが」
エクレシスはそう答えてくれる。けれど怯えているアーシャは、淡々とした口調すら恐いと感じていた。
「それもそうですけれど……」
「怒られそうな理由なのか?」
「多分、そうかなって」
「ならば決して怒らないと約束しよう。とにかく聞かなければ対処法も考えられないからな」
はっきりと言ったエクレシスが、アーシャの手に触れる。
いつのまにか膝上で手を握りしめていたことに気付いたアーシャは、エクレシスの手の温かさに顔を上げる。
エクレシスは冷たい月のような無表情さではなく、望月の光に似た柔らかな笑みを浮べていた。
「心配することはない。私は司祭として何人もの前世を見てきた。その中には大罪を犯した者もいた。そのことを恥じて泣く者は多い。けれどその罪を恐れてはいけないのだ。それを補うために未来が、現在がある」
語ったエクレシスは息をついて続ける。
「アーシャ。君の杞憂が同じ理由かはわからない。けれど前世と神の奇跡に関わることは、知らずにいる人間には常に不安なものなのだ。司祭という職にある者は皆、それをきちんとわかっている」
真摯に語りかけてくれるエクレシスに、アーシャはようやく決意を固めた。
「そう、なんです。あたし……こわいんです」
ぽつりとこぼせば、言葉はどんどん溢れてきた。
「五歳の誕生日に、みんな司祭様の祝福を受けるじゃないですか」
子供が順調に成長していくよう、ラトレイア神の祝福を授かる儀式がある。
その祝福を受けると『審判』のような術ほどではないが、ラトレイア神の力の影響で前世をわずかに垣間見る者がいるのだ。
普通なら『神の恵みの深い子』として本人も家族も喜ぶような事だが、
「あたしは前世の記憶を見て、泣き叫んだんです」
恐怖で記憶がほとんど打ち消されてしまっているが、わずかに何を見たのかを覚えている。
散らばる茨の花弁。
白い花が、血を浴びて深紅に変わる様。
体を棘で刺される痛み。
「恐くて、聖堂へ行くのも一時は泣いて嫌がったから、神の力を拒否するなんてと親にはひどく叱られました。今は聖堂にいくのは恐くないんです。司祭様も恐いとは思いません。だけどまだ……覚えているんです。それを見せた神さまの力が恐くて」
また、同じ思いをするのは嫌だ。審判を受けたら、もっとひどいものを見なければならないかもしれない。
それが恐い。
思わず手に力が入る。が、そこで握っているのがエクレシスの手であることを思い出し、アーシャは慌てて離す。
「あ、ごめんなさい、痛くなかったですか?」
「いや、女性の力で握られても、さして痛くはない」
「でもあたし、斧でいつも薪を割ってるし、山羊とか引きずって歩くこともあるし、王都に住んでいるお嬢様みたいに、か弱くないですし」
「棘の怪我は痛まないのか?」
言われてアーシャは微笑んでみせる。
「多少ちくちくするぐらいですから。足よりは痛くないです」
「そうか? ああ、ここにも傷があったな」
エクレシスは呟くように言って、アーシャの頬に手を伸ばす。耳のすぐ近くに指が触れた。確かに傷があったのだろう。わずかな痛みとともに首筋を震わせるような感覚がはしり、アーシャは肩を震わせた。
「痛んだか?」
問うエクレシスにどう言っていいかわからず、アーシャはうなずく。
エクレシスはアーシャに塗り薬を渡した。
「塗ったら、もう今日は休むといい」
わかりましたと答えようとして、アーシャは首を傾げる。
「あの、家に帰りますよ? ここは司祭様がおとりになられた部屋ですし」
「問題ない」
短く答えたエクレシスは、扉を叩く音に立ち上がり、宿の女将から物を受け取った。
一つは女物の靴で、寝台の側に置いてくれる。枕元には女性物の服。寝間着に裸足で脱走したアーシャのために女将に手配を頼んでくれたのだろう。
最後に残ったのは毛布だ。
椅子を木枠の窓辺に置くと、エクレシスは毛布を自分で引き被り、そこに座った。
「私は座ったままでも充分眠れるからな。気にしないでくれればいい」
そう言って、彼は窓枠にひじをついて目を閉じようとする。
「ちょっ、あの、それなら私が……!」
自分を助けてくれる司祭に、そんな不便をかけるわけにはいかない。
説得しようとしたアーシャの言葉を、エクレシスは遮って言った。
「私も、前の自分の記憶を見るのは恐かった。だが恐怖を克服して全てを知ったおかげで、様々なことを学べたと思う。たとえば、保護すべき者から離れないことを」
アーシャを突然攫ったロンハが、また来ないとも限らない。
そのための警戒だと言われ、脱走したての上、確かにロンハがまたきたらと思うと恐かったアーシャは、素直に従うことにした。
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