第三話

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第三話

 次の日、アーシャは事情説明のために家に戻った。  もちろんエクレシスも付き添ってくれた。  突然帰ってきたアーシャを見て、両親は泣きながらエクレシスに頭を下げた。  アーシャがロンハを嫌っていたことは知っていたが、審判を覆すなど無理だとあきらめていた両親は、審判を行なってくれるというのでほっとしたらしい。  唯一不安なことは、アーシャが祝福の際に恐怖感を持ってしまったことだったようだ。  が、本人が決心したことをエクレシスが落ち着いた様子で請け負ってくれたことで、何もかもお任せしますと恐縮していた。 「あんたの弟のピエロットの世話は、ちゃんとしておくから。やると決めたんなら、ラトレイア神のお力を借りて、ロンハの横っ面を張り飛ばしておいで」  最後にそう言って送り出してくれた。  横っ面を張り飛ばすのは、別に神さまの力を借りなくてもできるだろう。そう思いながら、アーシャは過激な発言にエクレシスが引いていないか横目で確認してしまった。  が、エクレシスは小さく微笑んでうなずいていたのでほっとする。  それから王都へ出発しようとしたのだが、馬車を拾おうとした二人の元に、ロンハがやってきた。  自分も審判の結果を見届けたいというロンハは、彼の審判を行った関係上自らも祭司府へ行かなければいけない老司祭クレブを馬車に乗せていくのだという。  だからアーシャとエクレシスも同乗してはどうかと誘ったのだ。  アーシャ達の住む町は王都からひどく離れた場所ではない。  が、王都まで行く馬車に乗るには、いつ通るか分からない乗り合い馬車を待つか、誰かに同乗させてもらうのが常だ。いそぐべきだと判断したエクレシスに言われ、アーシャは同乗を了解した。すると、 「アーシャと初めての旅をするんだから!」  とロンハがはりきって用意した馬車は、クッションを二重に敷いた、内装も木目の綺麗な馬車だった。  二台に分乗したものの、ロンハと同乗することになったアーシャは落ち着かない。が、エクレシスも一緒に乗ってくれているので、内心ほっとしていた。  そんなエクレシスが、不意に尋ねてきた。 「そういえば弟がいたのか? 体の具合でも悪くしているなら、診てやればよかったか」  おそらく見送りに『ピエロット』がいなかったため、そう考えたのだろう。 「いいえ。あの子は見送りに連れて来るわけにはいかないです。だってヤギなんですから」 「……ヤギが、弟?」  不思議そうな顔をするエクレシスに、アーシャは笑う。 「あたしに異様に懐いてたんで、両親や近所の人に『弟みたいだ』って言われて。で、そのうちみんながあたしの弟扱いするようになっちゃったんです。今はたぶん、他のヤギと一緒に放牧中だと思います」 「君の家は、放牧を?」 「ええ」  アーシャはうなずく。 「ヤギの他にもヒツジを飼ってますよ。ヒツジも遠くから眺めると、もこもことした小さな雲が緑の丘で動いているように見えて、とても可愛いんです」  和やかな風景を思い出しながら、アーシャは覚悟を決めよう、と思った。自分達家族やピエロット達の思い出が残る丘を守りたい。そのためには、審判を受けるしかないのだ。  怖さも、弟達を守るためになら我慢できそうだと思えた。 「そうか。君は……」  エクレシスの呟きは、はっきりとは聞こえなかった。  聞き間違いでなければ、夢を叶えたんだなと言ったように聞こえたのだが。 「え?」  もう一度聞き直そうとしたところで、ロンハが話しかけてきた。 「ほらアーシャ、もう町の外へ出たよ!」  確かに、見れば町を囲む森の中にさしかかったのが、馬車の窓からよく見える。  王都までは馬車ならそれほど遠くない。着いてしまったら、もう審判は逃れられない。  覚悟を決めなければならないのだが、アーシャは目の前を茨の花がよぎった気がしてぎゅっと目をとじた。 「大丈夫かい?」  その様子にロンハが気づいたようだ。 「別に無理をしなくてもいいんだよ愛しい人。君が運命の人だってことは、僕が審判を受けて承認されてるんだから」  正面に座るロンハは、にこにことアーシャに話しかけてくる。彼は以前からアーシャが前世を怖がっていることを知っているのだ。 「馬車については感謝してるけど、ウザイ」  しかもロンハが用意した馬車が、乗り心地が快適なこともなんだか悔しくて、アーシャは天鵞絨の座席と、上に置かれたくっしょんをばふばふ叩いてしまう。 「嘘はついていないよ。どうしてそんな風に思うんだい?」 「あなたが街の女の子十数人と関係持ってたこととか、全部こっちは知ってるのよ? それなのに会えば悪口ばかり言ってたあたしに興味をもつなんて、おかしいに決まってるじゃない! 絶対うちの土地がほしいからなんだわ!」 「嫉妬かい? 可愛いなぁアーシャ。僕の愛が欲しいならそうと言ってくれれば」  身を乗り出し、ロンハが手を伸ばそうとしてくる。  叫びそうになったアーシャだったが、横から腕を引かれ、ころっと座席の上に倒れた。正確には座席の上というより、隣に座っていたエクレシスの足の上だった。 「ご、ごごごめんなさい!」  司祭様の膝上に失礼をしてしまった。  思わず息を飲んだアーシャは、飛び起きてエクレシスに必死で詫びた。 「気にすることはない。まだ本調子ではないのだろうから、休みなさい」  エクレシスは表情も変えずに淡々と告げてきた。  夜中の脱走劇の直後から、アーシャは微熱を出しているのだ。手足に怪我をした上、寝間着姿で外を走り回ったせいだろう。 「なんだ体調が良くないのか? 少し馬車を止めようか?」  ロンハが眉をひそめてアーシャを見る。 「そうした方が良いかもしれないな。王都まではそれほど遠くないので、急ぐ必要もないだろう。飲み物など口にさせてあげては?」  提案したエクレシスを少し微妙そうな表情で見ながら、ロンハはうなずいた。  すぐに馬車が止まり、ロンハはもう一台の荷物や従者を乗せている馬車へと走って行ってしまう。 「……平気か?」  尋ねられ、アーシャはエクレシスを振り返る。 「もし彼が一緒に乗ることで落ち着かないのなら、私から審判前に話しがあるからと離れるよう説得するが」  エクレシスが気遣ってロンハを遠ざけてくれたのだとわかり、アーシャは謝る。 「すいません、あれこれと配慮してもらって」 「いいや。ただ君にはきちんと考える時間が必要だと思ったのだ。……審判を受けるのは、今でもまだ気が進まないんだろう?」  問われ、アーシャはうつむいてしまう。  理由は話したし、エクレシスは本当に怒らずに聞いてくれた。だからほっとしたのだけれど、やはり前世への恐怖はまた別だった。  と、そこへ御者が馬車を進ませると声を掛けてくれた。  王都まで、馬車ならあと半日でたどりついてしまうだろう。  もう覚悟を決める時間が少なくなっていることを再認識し、動き出した馬車の中で、アーシャは緊張を深めた。  それを少しでも払拭できないかと、エクレシスに尋ねてみた。 「司祭様達は、職位を得るために審判を受けるんですよね? 恐く……なかったんですか?」  エクレシスは穏やかに答えてくれた。 「恐ろしいとは思った。私は牢獄の中に閉じ込められた後、殺されたから」 「え……」  月のように綺麗な彼の過去は、思いがけず暗く重いものだった。 「だが知った後、自分のことに深く納得した。現世の自分はあの時の願いを叶えているのだと。今も、その思いは続いている」
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