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第五話
王都に到着するまで長時間馬車に揺られ、微熱があったアーシャは具合を悪くしてしまった。
這々の体で祭司府へ入った後は、案内された部屋ですぐに眠ってしまったのだ。
気づけば辺りは暗く、既に真夜中になっているようだ。
暗い天井を見上げていたアーシャは、ついつい審判のことを考えてしまう。
いつまでたっても落ち着かず、とうとうアーシャは部屋を出て、気晴らしに歩き回ることにした。
廊下に出ると、蝋燭一本灯っていなかった。
真っ暗ではあるが、白い石を積み上げた祭司府の建物は、大きな窓から入り込む月の光を受けて、ほんのりと明るい。
祭司府の建物は、見慣れた聖堂を大きくし、その両翼にいくつかの居住棟などをくっつけたような形をしている。ここは東側の一画のはずだ。正門までそう遠くはあるまい。
「このまま逃げたら……」
前世を見ずに済む。だけど自分のために心を砕いてくれているエクレシスのことや、家族のことを思うとそれはできない。
すると、角を曲がってくる灯りが見えた。隠れようとあたふたしている間に、相手はこちらに気付いてしまう。
「アーシャ殿?」
そこにいたのは、小さな燭台を持ったグレブ司祭だった。
「司祭様?」
一体夜中にどうしたんだろう、と思う。司祭の仕事についてはよく知らないが、もしかして審判の手続きの関係で遅くなったのだろうか。
「こ、こんばんわ。えーとおやすみなさい!」
後ろ暗いことを考えていたアーシャは、あわてて部屋に戻ろうとしたが、
「落ち着かなかったのでしょうかな。審判の前は、誰しもそうなるものです。前世を怖がっているアーシャ殿でしたら、なおさらでしょうな」
見透かされて何も言えずにいると、グレブ司祭は一人納得したように続けた。
「以前の司祭殿から、事情は聞いております。だからロンハ殿の言われる通り、前世法の申請についてアーシャ殿には審判を行なわずにいたのですが……」
一応、アーシャへの配慮があって、ロンハの審判結果だけで前世法の摘要を決めたらしい。
「あの、本当にロンハは審判を?」
せっかくだから聞いておこうと思ったアーシャの問いに、グレブはうなずく。
「正直に申しましょう。アーシャ殿はワイロだと騒いでおられましたが」
「あ、その、済みません」
「いえ、ワイロはあったのです」
「は?」
あっさり認められたアーシャは驚く。
「ただ、そのワイロは審判を受けるためのものでして。通常、前世をうっすらと思い出した者や、今回のように前世法を用いるなどの必要がない限りは、審判は行なわれないのです。が、ロンハ殿は前世を思い出したわけではございませんでした。ご商売に利益のありそうな、そんなご令嬢と縁がないかどうかを、探したかった様子で」
「ああ、なんか、納得……」
商売のために審判を受けたのなら、ごうつくばりなロンハらしいとうなずける。それがどうしてこうなったのか。
「せっかくです。歩きながらお話ししましょう」
それからグレブ司祭に連れられて、アーシャは祭司府の中を歩いた。
柱廊にさしかかったところで、グレブ司祭はアーシャを庭へ導いた。
月光をきらめかせる池と、小さなせせらぎまで作られた美しい庭は、綺麗に選定された薔薇や生け垣に囲まれている。
散策できるようにつくられたのだろう小道を、歩いていると、少しアーシャの気持ちも落ち着いてきた。
そんなアーシャにグレブは語る。
「前世は重いもの。見れば必ずそんな悠長なことは言えまい、そして頂いたお金は、先日川の増水で畑を駄目にした近くの村に……と思いましてな」
案外、グレブ司祭も一筋縄ではいかない人らしい。
ロンハを改心させるきっかけにするのと同時に、受け取ったお金を災害の被害を受けた村に回するという、一石二鳥を狙ったようだ。
「案の定、ロンハ殿はショックを受けられました。そして貴方に求婚すると宣言したのです。だから貴方のことも決して無下にはなさらないと思いまして、口添え役に回ったのです」
「あの、ロンハは一体前世で何を見たんですか?」
打算で審判を受けたロンハは、一体何を見たのか。
「さすがにそれは守秘義務の範疇でしてな。当人同士でお話ししていただくならまだしも、審判の秘術で、導き手としてロンハ殿の前世を垣間見ている私の口からは、申せませんのです」
ただ、とグレブ司祭は続ける。
「ロンハ殿が真摯な気持ちであることは間違いありません。そして前世であなたの運命を変えるような、関わりがあったことも本当です。それでも……気持ちは変わりませんか?」
グレブ司祭はそうアーシャに問いかけた。
これが真実なら、ロンハは間違いなく自分を大事にはしてくれるだろう。アーシャもそう思った。
けれど『違う』と感じるのだ。
今まで反目していた人と友達になるだけならまだしも、今後の人生を一緒に過ごすのは。
きっと審判を受けたなら、ロンハがそう決意した理由がわかるのだろう。
だけどあの茨を、棘に苛まれる痛みを思い出すと、ただ逃げ出したくなる。
アーシャがうなずくと、グレブ司祭はため息をついた。
そして部屋に戻るため、グレブと共に来た道を引き返そうとしたその時、ふと横を向いた時、庭に金の輝きが見えた。
月の光を受ける金の髪。
灯りに引かれる羽虫のように、アーシャはそちらへ足を向けた。
そっと近づくと、庭の奥にある大きな石碑があった。見上げるような高さと両手を拡げたほどの幅がある石碑の前にいたのは、月色の髪をしたエクレシスだ。
が、彼は石碑の台座に手をついて座り、苦しそうにうつむいていた。
「司祭様っ!?」
驚いて駆け寄ったアーシャは、エクレシスに呼びかけた。
「……アーシャ?」
「具合が悪いんですか? 人を呼びますか?」
問いかけに、エクレシスが顔を上げる。そしてアーシャを不思議そうに見た。
それからゆるりと首を横に振る。
「いや。誰も呼ばなくていいんだ。しばらくすれば治まる。ただ……手を」
「手?」
見れば、手はまだ台座の石に触れたままだ。上手く自分で動かせないのだろうかと思いながら、アーシャはエクレシスの手に触れ、台座から離させる。
彼の手はひどく冷たかった。
やはり具合が悪いのだろうか。アーシャは冬、近所の子供に同じ事をしていたなと重いながら、その手を温めるように自分の手で包み込んだ。
その様子を、エクレシスはぼんやりと見ていた。やがて息をつき、彼は礼を言った。
「すまない。もう大丈夫だ」
そう言ってエクレシスは立ち上がる。アーシャは彼の邪魔にならないよう、自分の体温であたためた彼の手を離した。
「こんな夜中に、お仕事の途中だったんですか? まさか審判の申請とかでお時間がかかったんじゃ……」
自分のせいで大変な思いをしたのではないかと、アーシャは謝ろうとしたが、
「いいや。ここへ来るのは私にとって必要なことなんだ。自分の過去と……つながりがあるから」
「司祭様の過去と?」
首をかしげると、エクレシスが「ごらん」と石碑を指さした。
「その碑には文字が書かれているだろう」
確かに、石碑には細かな文字が刻まれていた。
「ここが以前、レンデルク王国だった頃、王国を最後に支配した王妃が処刑した人々の名前だ。もちろん名前がわからない者の方が多いから、一部にしかすぎないが」
「これは慰霊碑なんですか?」
エクレシスはうなずいた。
レンデルクはアロイスの前にあった国だ。
時の王妃が国王を殺して自らが女王となり、逆らう者は皆処刑したといわれている。さらには周辺の国を侵略しては奴隷売買で贅沢をし、末期になると自国の人々まで奴隷として売り払った。
「私の名前もここにある」
アーシャは息を飲んだ。エクレシスは前世、ここで殺されたのだ。
「司祭様たちは、そんなにまでして前世と向きあわなくちゃいけないんですか?」
前世を尊び、それを乗り越えた者こそ神の意を受けし者。
その教えのため、司祭は自ら完全に前世を思い出せた者にしかなれない。そして彼ら司祭が行う審判の秘術は、あくまで前世をねつ造してねじ曲げる者がいないようにと、神から与えられた力なのだと言われている。
思い出すだけでも辛いはずなのに、克服できるまで向かい合い続けるのかとアーシャが問えば、エクレシスは答えてくれた。
「克服するためでもあるが……私にとっては、安心するためでもある」
「安心?」
あんなに辛そうだったのにと不思議がるアーシャに、エクレシスは小さく微笑んだ。
「辛かった事は既に終わった過去で、今自分が幸せだと実感したいから。たとえ縁ある人に出会えなくても。さ、あまり夜風にあたっているとそちらこそ体調をくずすのではないか? 戻ろう」
促され、アーシャはグレブのことを思い出す。
グレブに送ってもらう途中で、エクレシスを見つけたのだ。
が、グレブの姿は見えない。もしかしてエクレシスと話し込み始めたので、遠慮させてしまったのかもしれない。
なので、アーシャはエクレシスに連れられて部屋までの道を戻り始めた。
庭をよぎることをせず、散策路として造られた小道を二人でたどる。
そうしながら、アーシャはエクレシスの先ほどの言葉が気になっていた。
「司祭様は全部思い出しているのに、縁がある人と出会えていないんですか?」
「死んだ年齢が低かったのと、生まれ変わる時代も人それぞれだからね。必ず同じ時代で再会できるとは限らないんだ。それに、人とあまり関わらない生活をしてたせいで、縁があった人間は少ないんだ」
「そうなんですか……」
覚えていても出会えないというのは、なんだか寂しそうだとアーシャは思った。
そんな風に考え事をして、よそ見をしていたからだろう。
「いたっ!」
アーシャは道を横に逸れ、小道の傍にあった建物にぶつかってしまう。しかも茨が壁を這っていた。
腕に棘が刺さったものの、エクレシスがすぐに引き戻してくれたおかげで、それ以上怪我はなかった。
一体何にぶつかったのだろうと思えば、それは細長い塔だった。
月光と燭台の明かりに照らされた小さな塔は、積み重ねた石の間に苔が生え、茨がぐるりと蛇のようにからみついている。
その様子にアーシャは既視感をおぼえた。
最初は家にもある山羊の干し草を貯めるサイロと勘違いしたのかと思ったが、違う。
(こんな塔を見たことが……ある?)
目を瞬いたアーシャは、自分の身長よりも高い場所にぽつりと開いた一つだけの窓に気付いた。そこから自分が中をのぞき込んだ記憶が、ふっと頭をよぎる。
(ここに来たこともないのに、なんで?)
疑問に思う間にも、アーシャは中の様子を思い出していた。
真っ暗な石に囲まれただけの場所。
粗末な木の寝台とかろうじて毛布があるだけのそこに、石床に座り込む月色の――。
その記憶を最後に、アーシャは意識が暗転した。
「アーシャ!」
吊り上げていた糸が切れたように倒れていくアーシャに驚き、エクレシスは燭台を放り出して駆け寄った。
抱き留めたアーシャが、微かな声で誰かの名を呼んだ。
それを聞いた瞬間、エクレシスは喜びとも苦しさともつかない気持ちに支配される。
審判を嫌がりながらも、はっきりと言い出せなかったアーシャを説得して祭司府まで連れてきたのは、それを確かめたかったからだ。
彼女が……会いたかった人かどうかを。
アーシャが前世で縁があったこの場所へ来れば、思い出してくれるかもしれないという気持ちを、抑えられなかった。
けれどそれは、彼女を傷つける事だ。
「ごめん……」
苦痛に歪むようなアーシャの表情に、エクレシスは呟いた。
彼女が前世過ごしていたのは、酷い時代だ。
アーシャもその時に心に深い傷を負って、だから前世の記憶を怖がっているのだろうと、わかっていたのに。
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