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第七話
最初に見えたのは、火事で燃え上がる小さな村の姿だった。
夜空を焦がし、小雨をも蒸発させるような勢いで燃え上がる炎。
村の家々の粗末な木板の屋根は、炎の中で黒ずんで、くずれていった。
ちくちくとする茂みの中から呆然とそれを見ているのは、自分――次の世でアーシャ・リネイスと呼ばれることになる、赤茶けた色の髪の女の子だった。
彼女は、農村に暮らす十歳ほどの子供だった。けれど戦乱で村ごと焼かれてしまい、逃げ出したもののその場から動けなくなってしまったのだ。
両親はこの炎の中にいる。敵国の兵士が略奪しようとするのに抵抗し、殺されてしまったのだ。
そこまで思い出したのに、アーシャは見ている光景をどこか遠くの出来事のように感じていた。それは、エクレシスの手の感触があるからかもしれない。
見ているのは既に過ぎ去った過去。今の両親は健在で、故郷で穏やかに暮らしているのだ。
これなら、今朝夢でみたような臨場感も薄くて、それほど恐くないなとアーシャは、ほっとする。
その時、前世のアーシャの手を誰かがひいた。一緒に茂みに隠れていた年上の黒髪の少女だ。黒髪の彼女に促され、前世のアーシャは歩いて村から遠ざかりはじめた。
「そうだ。あたしは、彼女と一緒に逃げたんだ」
布が拡がっていくように、記憶は目の前を流れていく。
黒髪の彼女と一緒に、逃げた末に街へたどりついた。黒髪の彼女はアーシャを守りながら女性ばかりの店で働きはじめた。けれどそこにも、敵兵の手がのびてきたのだ。
石畳みと灰色の石積みの街は、剣を振りかざした敵兵の姿と逃げ惑う人の姿で、殺伐とした雰囲気に変わる。それを見ながらアーシャは呟く。
「あたし、ここで死んだの?」
でも違う、と思った。夢の中で見た剣を振り下ろす甲冑姿の男。彼がいたのは真っ白な大理石の舞台みたいな所だった。
この灰色の街とは違う。
それに月色の髪の少年がいない。
そう思った瞬間、目の前の風景に茨の垣根が重なった。
月光の中に浮かび上がるような、白い茨の花。
ほおまで傷だらけになった昔のアーシャが、棘に刺されながらあの塔の壁によじのぼり、小さな窓の中へ花を落とした。
真っ暗な塔の中にいた月色の髪の子供が、落ちてくる花に手を伸ばし――。
《戻っておいで》
エクレシスの声が聞こえた。
同時に、自分の手に誰かの手が重なっている感覚がよみがえる。目の前の風景が、悲鳴と血の色で染め変えられていく街へと戻った。
そうだ、自分は先にロンハとのつながりを探さなければ。
アーシャは月色の髪の少年が気になりつつも、自分の記憶をたどる。
黒髪の少女に手を引かれ、前世のアーシャである女の子も街中を逃げ回っていた。
今度こそ自分は殺されるに違いない。そう思って必死に走ったようだが、女の子は足がもつれて転んでしまう。
女の子は立ち上がろうとした。けれど恐怖で体がうまく動かない。助けを求めようとして、目を見開いた。
今まで手をひいてくれた黒髪の少女は怯えた表情で悲鳴を上げ、そのまま一人で駆け去ってしまった。置き去りにするアーシャを見ないようにして。
その姿が、一瞬誰かに重なる。怯えた表情をどこかで見たことがあった。
一方、前世のアーシャは現れた甲冑姿の男達に担ぎ上げられ、次いで何かの袋に入れられた。男達の声が聞こえる。
「レンデルクへ連れて行けば、どこかの貴族に奴隷として売れるだろ」
レンデルクの奴隷売買の商品にされそうになっているのだ。
けれど前世のアーシャはまだ子供で、そんなことなどわかっていない。黒髪の少女において行かれて哀しくて、恐いという感情で心は一杯だった。
けれど『今』のアーシャはわかる。
黒髪の彼女が抵抗したところで、倒せるような相手ではない。すぐに逃げなければ捕まり、年上の少女だからこそもっとひどい目に遭っただろう。
その時ふいに思い出したのは、ロンハの言葉だった。
『置いていってしまった君に、償いたいとそう思ってるんだ』
そして既視感をおぼえた黒髪の少女の表情。
ロンハはアーシャに悪口を言っていた後、ばつが悪そうに横を向くことが多かった。その時の表情に似ていた。
「だから……だったの」
この時置き去りにしたことを、ロンハは後悔していたのだろう。
それを審判で見て、のべつまくなしに女性に声をかけるくせにアーシャにだけは悪口を言っていた自分の行動の、理由を知ったのだろう。
それは、後ろめたさだ。
納得したアーシャに、呼びかけてくる声がした。
《戻っておいで》
エクレシスだ。
もうロンハとの繋がりについては分かったのだ。彼が自分の罪を悔いて求婚しているだけなら、アーシャは彼の申し出を断れる。来世の約束をしたわけではないのだから。
そう思ってエクレシスはアーシャを呼び戻そうとしているようだ。
しかしアーシャはなんとかその先を見ようとした。
少しずつ闇の中へ遠ざかる絵の中で、前世のアーシャはレンデルクへ連れて行かれた後、奴隷として売られているのが見えた。
連れて行かれたのは、悪名高きレンデルクの王妃が支配する王宮。
子供をいたぶるのが特に好きだった王妃は、子供を集めて無駄としか思えないような辛い作業をさせては、苦しみ、血を流す姿を見て楽しんでいたのだ。
王宮の茨の庭に、前世のアーシャは放り込まれた。突き飛ばされた瞬間、生け垣に倒れ込んでしまい、悲鳴を上げる。
いくら遠い出来事のようでも、その痛みを想像して体が震えそうになる。
《アーシャ、アーシャ》
声が過去の記憶の中にいるアーシャを呼び戻そうとする。
呼びかけられる度に前世の記憶はかすみ、遠ざかる。
けれどだめだ。自分はまだ思い出していない。
《アーシャ。もうここまでで充分だろう?》
「ううん。わたしはこの先も見たいの」
《アーシャ?》
「わたしは、自分のことを確かめなくちゃいけない。だから、行かせて」
決然として言うと、エクレシスが辛そうな声で告げる。
《恐くないのかい?》
「恐いわ。でも必要だと思うから」
そう言い切ると、エクレシスは引き戻そうとする力をゆるめていった。
遠くにきらめくような前世の記憶へ落ちていく。
そして水に飛び込むような衝撃と共に、一斉に残りの前世の記憶が目の前でひらめき――
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