第八話

1/1
前へ
/11ページ
次へ

第八話

 袋に入れられたアーシャは、緑の芝の上におろされた。  芋のようにごろんと転がり出たアーシャは、目の前に広がる光景に目を見張る。  白い茨の花が咲く美しく整えられた庭園。高い柵に囲まれているのは、花を荒らす者が立入らないようにするためだと思っていた。 「まぁ、しおれた薔薇みたいな髪の子ね」  袋から転がり出たアーシャから少し離れた場所に、真っ白な絹の服を着た女性が立っていた。  真っ白な肌に白い服を着た彼女は、闇色をした髪が異様に目立っていた。髪にも首元にも色のない透明な宝石だけが飾られているところが、どこか偏執的な感じがした。 「では、その血で赤い花を献上してもらいましょう」  彼女の一言で、アーシャは兵士に突き飛ばされた。  ぶつかったのは白い花の茨だ。  体に棘が刺さって悲鳴を上げた。その姿を、真っ白な絹の服を着た女性が楽しそうに眺めていた。 「さっそく綺麗な赤に染まりそうね。まずは一輪わたくしに頂戴? そしたら食べ物をあげるわ」  女性に言われ、アーシャは痛みに泣きながら花を摘んだ。  袋に入れられたままで二日間、水しか口にさせてもらえなかったのだ。  摘もうとすると、指先に棘が刺さる。けれどもご飯がほしくて我慢した。  そうしてようやく一輪、側にいた兵士に差し出すと、兵士はそれを女性の元へ持っていく。  別の兵士に見張られて動けなかったアーシャは、女性の声をまった。 「いいわ。毎日三回、十輪摘んで貰おうかしら」  その言葉にほっとした。十輪ずつならば、なんとかなるかもしれない。  しかし続いた言葉に硬直する。 「ついでに枯れかけたお花もちゃんと摘んで始末してね? 一つでも地面に落ちていたら、お仕置きよ?」  アーシャは愕然とした。  茨の咲く庭は、おどろくほど広いのだ。  そしてアーシャの予想通り、どんなにがんばっても、毎日一輪は萎れた花から花弁が地面に落ち、それを見つけられる度に兵士に茨へ突き飛ばされた。  それでもアーシャはここから逃げる術がない。痛みで走るのも辛い。  時々、怪我をしたせいか熱も出た。  苦しくて、でも助けてくれる人なんていなくて、アーシャは泣いた。  すると、声が掛けられたのだ。 「泣いているの? と」  声は、茨の庭の片隅にあった塔の中から聞こえてきた。  でも塔の中を見ようと思っても、塔の窓は少し高い場所にある。  一瞬迷ったが、結局アーシャは痛みをこらえてでこぼことした塔の石壁を登った。  その中にいたのは、前世のアーシャと変わらない幼さの月色の髪の少年だった。  彼はアーシャみたいにみすぼらしい姿をしている。 「泣いていたのは君?」  優しい声で尋ねてくれる少年に、アーシャはうなずいた。 「なんでそこにいるの?」  聞けば、少年は教えてくれた。  少年は王子様だったらしい。けれど継母によって閉じ込められてしまったのだという。  けれど助けてくれる人などいない。父親である王様は、少年が幽閉される前に殺されてしまった。この王宮の中にいるのは、みんな継母の言うことを聞く者だけなのだ。  そして少年は、死なない程度の食事だけ与えられ、それを運ぶ者とも顔を合わせないので、ずっと会話をしていなかったという。  だからアーシャに願った。 「君の知っていることを教えてくれないか?」  そうして、アーシャは少年と交流をもつようになった。  不安と恐怖で一杯だった前世のアーシャは、孤独の中でも穏やかに自分に話をしてくれる彼になついた。  そして茨の棘に刺されながら塔をよじのぼり、彼に会いにいくようになった。  彼もまた一人だったからか、前世のアーシャが会いに来るのを喜んでくれて、アーシャの知らない物語をいくつも聞かせて慰めてくれた。  前世のアーシャは空しかずっと見えていないという彼のために、茨の花をそっと隠して摘み、塔の中へ投げ入れたりもした。受け取った月色の髪の少年は微笑んで言った。 「もし鳥の翼があったらここから出て、君と一緒に逃げることができるのに……」  そんな願いは叶わない。  抵抗するにも、脱走のために力をつくすにも、彼ら二人は幼すぎた。  わかっていたから二人で約束したのだ。 「来世で逢えたら、今度こそ閉じ込められたりしない時代にうまれて、手を繋ぐんだ」と。  そんなアーシャと少年のささやかな交流は、突然終わりを告げた。 「何をしている!」  塔によじ登っていたアーシャは、背後からの声に驚いて地面に落ちた。  痛みに呻いている間に怒鳴った兵士がやってきて、アーシャを猫の子みたいにつり下げる。  そして連れて行かれたのは、真っ白な大理石が敷かれた場所だった。  前世のアーシャは見たことがなかったが、そこはすり鉢状に掘り下げて作られた、歌劇場に似た場所だった。ぐるりと囲む石段は座席、そして大理石が敷かれたそこは舞台そのものだ。  後ろ手に縄で縛られたアーシャは、兵士に担がれて運ばれた後、白い舞台の上に投げ出された。  頭をぶつけないように丸まることだけで精一杯だったが、代わりに背をひどく打ち付けて痛い。けれど兵士は容赦なくアーシャを上からおさえつけてくる。  藻掻いたアーシャは、視線の先に現れた人を見て息を飲んだ。  それはずっと塔の中にいたはずの少年だ。  彼もアーシャのように担がれてくると、その場に投げ出された。 (誰か、あの人を助けて!)  その次に起こる出来事を思いだし、それまでじっと前世の記憶を見ていたアーシャは叫んだ。  止めて。止めて。  殺さないで。  けれど叫んでも無駄なことを知っている。滑らかな石の上を拡がっていく血の色を覚えているのだ。  月色の髪をした少年が、力を失って倒れている姿も。  彼は殺されてしまい、前世のアーシャも絶望を感じながら……。 《アーシャ。大丈夫だ》  目を閉じたアーシャの耳に、エクレシスの声が届く。 《彼はもう、生まれ変わっている。全て過去の事なんだよ》   手が強く握られた感触に、アーシャは我に返る。  するとエクレシスが言った。 《さぁ、戻ろう。今私達が生きている時代に》
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加