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第八話
袋に入れられたアーシャは、緑の芝の上におろされた。
芋のようにごろんと転がり出たアーシャは、目の前に広がる光景に目を見張る。
白い茨の花が咲く美しく整えられた庭園。高い柵に囲まれているのは、花を荒らす者が立入らないようにするためだと思っていた。
「まぁ、しおれた薔薇みたいな髪の子ね」
袋から転がり出たアーシャから少し離れた場所に、真っ白な絹の服を着た女性が立っていた。
真っ白な肌に白い服を着た彼女は、闇色をした髪が異様に目立っていた。髪にも首元にも色のない透明な宝石だけが飾られているところが、どこか偏執的な感じがした。
「では、その血で赤い花を献上してもらいましょう」
彼女の一言で、アーシャは兵士に突き飛ばされた。
ぶつかったのは白い花の茨だ。
体に棘が刺さって悲鳴を上げた。その姿を、真っ白な絹の服を着た女性が楽しそうに眺めていた。
「さっそく綺麗な赤に染まりそうね。まずは一輪わたくしに頂戴? そしたら食べ物をあげるわ」
女性に言われ、アーシャは痛みに泣きながら花を摘んだ。
袋に入れられたままで二日間、水しか口にさせてもらえなかったのだ。
摘もうとすると、指先に棘が刺さる。けれどもご飯がほしくて我慢した。
そうしてようやく一輪、側にいた兵士に差し出すと、兵士はそれを女性の元へ持っていく。
別の兵士に見張られて動けなかったアーシャは、女性の声をまった。
「いいわ。毎日三回、十輪摘んで貰おうかしら」
その言葉にほっとした。十輪ずつならば、なんとかなるかもしれない。
しかし続いた言葉に硬直する。
「ついでに枯れかけたお花もちゃんと摘んで始末してね? 一つでも地面に落ちていたら、お仕置きよ?」
アーシャは愕然とした。
茨の咲く庭は、おどろくほど広いのだ。
そしてアーシャの予想通り、どんなにがんばっても、毎日一輪は萎れた花から花弁が地面に落ち、それを見つけられる度に兵士に茨へ突き飛ばされた。
それでもアーシャはここから逃げる術がない。痛みで走るのも辛い。
時々、怪我をしたせいか熱も出た。
苦しくて、でも助けてくれる人なんていなくて、アーシャは泣いた。
すると、声が掛けられたのだ。
「泣いているの? と」
声は、茨の庭の片隅にあった塔の中から聞こえてきた。
でも塔の中を見ようと思っても、塔の窓は少し高い場所にある。
一瞬迷ったが、結局アーシャは痛みをこらえてでこぼことした塔の石壁を登った。
その中にいたのは、前世のアーシャと変わらない幼さの月色の髪の少年だった。
彼はアーシャみたいにみすぼらしい姿をしている。
「泣いていたのは君?」
優しい声で尋ねてくれる少年に、アーシャはうなずいた。
「なんでそこにいるの?」
聞けば、少年は教えてくれた。
少年は王子様だったらしい。けれど継母によって閉じ込められてしまったのだという。
けれど助けてくれる人などいない。父親である王様は、少年が幽閉される前に殺されてしまった。この王宮の中にいるのは、みんな継母の言うことを聞く者だけなのだ。
そして少年は、死なない程度の食事だけ与えられ、それを運ぶ者とも顔を合わせないので、ずっと会話をしていなかったという。
だからアーシャに願った。
「君の知っていることを教えてくれないか?」
そうして、アーシャは少年と交流をもつようになった。
不安と恐怖で一杯だった前世のアーシャは、孤独の中でも穏やかに自分に話をしてくれる彼になついた。
そして茨の棘に刺されながら塔をよじのぼり、彼に会いにいくようになった。
彼もまた一人だったからか、前世のアーシャが会いに来るのを喜んでくれて、アーシャの知らない物語をいくつも聞かせて慰めてくれた。
前世のアーシャは空しかずっと見えていないという彼のために、茨の花をそっと隠して摘み、塔の中へ投げ入れたりもした。受け取った月色の髪の少年は微笑んで言った。
「もし鳥の翼があったらここから出て、君と一緒に逃げることができるのに……」
そんな願いは叶わない。
抵抗するにも、脱走のために力をつくすにも、彼ら二人は幼すぎた。
わかっていたから二人で約束したのだ。
「来世で逢えたら、今度こそ閉じ込められたりしない時代にうまれて、手を繋ぐんだ」と。
そんなアーシャと少年のささやかな交流は、突然終わりを告げた。
「何をしている!」
塔によじ登っていたアーシャは、背後からの声に驚いて地面に落ちた。
痛みに呻いている間に怒鳴った兵士がやってきて、アーシャを猫の子みたいにつり下げる。
そして連れて行かれたのは、真っ白な大理石が敷かれた場所だった。
前世のアーシャは見たことがなかったが、そこはすり鉢状に掘り下げて作られた、歌劇場に似た場所だった。ぐるりと囲む石段は座席、そして大理石が敷かれたそこは舞台そのものだ。
後ろ手に縄で縛られたアーシャは、兵士に担がれて運ばれた後、白い舞台の上に投げ出された。
頭をぶつけないように丸まることだけで精一杯だったが、代わりに背をひどく打ち付けて痛い。けれど兵士は容赦なくアーシャを上からおさえつけてくる。
藻掻いたアーシャは、視線の先に現れた人を見て息を飲んだ。
それはずっと塔の中にいたはずの少年だ。
彼もアーシャのように担がれてくると、その場に投げ出された。
(誰か、あの人を助けて!)
その次に起こる出来事を思いだし、それまでじっと前世の記憶を見ていたアーシャは叫んだ。
止めて。止めて。
殺さないで。
けれど叫んでも無駄なことを知っている。滑らかな石の上を拡がっていく血の色を覚えているのだ。
月色の髪をした少年が、力を失って倒れている姿も。
彼は殺されてしまい、前世のアーシャも絶望を感じながら……。
《アーシャ。大丈夫だ》
目を閉じたアーシャの耳に、エクレシスの声が届く。
《彼はもう、生まれ変わっている。全て過去の事なんだよ》
手が強く握られた感触に、アーシャは我に返る。
するとエクレシスが言った。
《さぁ、戻ろう。今私達が生きている時代に》
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