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10年後のあなたへ
母は便箋にペンを走らせた。
ゆるやかに動くペン先は何度も止まり、悩んで、また動く。
隣では、椅子に座って母のベッドに上半身をうつ伏せにするように眠る娘が静かに寝息を立てている。親指で娘の額にかかる髪を払ってあげると、もぞもぞと身動きした。
ママ、と眠そうに目を開く。
「ごめんね、起こしちゃった?」
んー、と娘が唸る。床につかない足をぶらぶらと揺らした。
「ママなにしてたの?」
「お手紙を書いていたのよ」
「手紙?」
こてんと首を傾げる。
「ええ。未来のあなたへのお手紙」
「チエに? みたい!」
母は困ったように笑って娘の頭を撫でる。
「これは未来のあなたが読むために書いてるの。だから今はまだ見ちゃダメ」
「えー」
ぷくりと頬を膨らませる。
「じゃあ、チエもお手紙書く! 未来のママに!」
「私に?」
頭を撫でる手が止まる。娘は不思議そうに母を見上げた。
「ママ?」
「――なんでもない。ママにお手紙書いてくれるの?」
「うん!」
娘は母の手元に置いてあった便箋を数枚掴んで、母からペンをひったくった。ペンの握り方も滅茶苦茶だが、真剣に何かを書いている。
母はそんな娘を寂しそうに見ていた。
「できた!」
ぱっと顔をあげて、満面の笑みを浮かべる。
そのとき、扉が開いて父が入ってきた。娘の元気な声に、父は首を傾げる。
「楽しそうだね」
「今ね、ママにお手紙書いたの! 未来のママに。それでね、ママも未来のチエにお手紙書いてくれたんだって!」
そう、と父は眉尻を下げた。母は顔を伏せる。
チエちゃん、と母が娘を呼んだ。
「お手紙、なんて書いてくれたの?」
「んー、ひみつ! だってこれは、チエが未来のママに書いたんだもん。だから、まだ見ちゃだめだよ」
楽しそうに娘は足を揺らす。
「そっか――」
「うん!」
父はそっと母の肩に手を置いた。
「未来で読めばいいだけだよ」
そういって、父は微笑んだ。
「そう、よね――」
母も小さく微笑んだ。
「さあ、そろそろ僕たちは帰ろうか」
「えー、もう?」
「ママも疲れちゃうからね。また明日一緒に来よう」
娘はしぶしぶ頷いた。
「じゃあ、また明日来るよ」
「ええ」
父は小さく、娘は大きく手を振って、病室を出ていった。
閉まった扉を眺めて、母は新しい便箋にもう一度ペンを走らせた。
「十年後のチエちゃん。今日、チエちゃんが未来の私に手紙を書いてくれました。内容はまだ秘密って。だからママは、そのお手紙が読みたいから、頑張って生きてみようと思います」
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