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その町には、不思議な桜の木がある。
十年に一度しか花が咲かず、花の色も雪のように白いというもので、その神秘性から、一種の観光スポットとして人気があった。
特に捻りもなく、十年桜と名付けられたその桜の木は、まさに今日、十年目を迎えた。
あたたかく、優しい春の日差しの下、透けるような白色をした花が、そよ風に揺られている。
そんな桜を、少し離れた場所から見つめている一人の男がいた。
男は、人を待っている。連絡もろくに取れないし、前に会ったのは三年前だが、それでも、必ずここに来るという確信が男にはあった。
「よお」
だから、背後からそのぶっきらぼうな声がした時も、驚きもせず振り向くことができた。
「久しぶりだな、正孝」
「葬式の時にも会っただろ」
「三年も会ってなきゃ久しぶりだよ」
「そういうもんか。あ、もう満開になったのか」
「ああ。前日から来てりゃよかったのに。というか、いい加減電話番号以外の連絡先教えろよ。いつかけても繋がらないじゃないか」
「あとでな。そんなことより、聡、ちゃんと詞は用意してるんだろうな」
「ここにあるよ」
聡はノートを掲げて見せる。
正孝は「よし」と頷くと、持参していたケースからトランペットを取り出す。
「けど、歌はどうするんだ? まさか、俺に歌えとか言わないよな」
「お前の音痴な歌じゃ、曲が泣く。この日のためだけに作った特別な曲なんだから」
「じゃあどうすんだよ」
「あいつに届けばいい。俺が曲を作って、お前が詞をつけて、あいつが歌う。その約束だったろ。あの世がどこにあるかわからんが、まあたぶん空の上かどっかだろう。お前は自分の書いた詞を空に向けとけ」
そう言って、正孝はトランペットを吹き始める。
十年前。学生だった正孝と聡、そして、三年前に亡くなった祐一は、十年桜が満開を迎える日にここに集まり、正孝が作曲、聡が作詞した曲を、祐一が歌うという約束をしていた。祐一が亡くなり、本当の意味での約束は果たせなくなったが、十年目を迎えた今、二人はこうしてここに集まった。祐一に曲を捧げるために。
聡は、詞を書いたノートを空に向ける。
その瞬間、強い風が吹き、十年桜の白い花弁が一斉に空へ舞った。
風にのった花弁は、正孝と聡の元にも雪のように降り注ぐ。
「ちゃんと届いたか? 祐一」
桜の雪が降る空に向かい、聡はつぶやいた。
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