やまない雨

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もう一週間も続いている雨は、山田君の勤めているバーを開店休業状態に追いやっていた。 「この長雨じゃあ外出してるのなんて俺みたいなアルバイトだけだよ。ああ、鬱々としちゃうなあ」 山田君が客のいない店内のしとった床に今日何度目かのモップがけをしているとドアベルの音が鳴った。 「いらっしゃいませ」 傘をたたんで入ってきたのは着物にハットという洒落た格好の小柄な男性だった。ハットの下から現れた白髪混じりの頭もよく整えられており、着物の色とも相まってロマンスグレーという言葉が似合い、粋な雰囲気がした。 「カウンターにいたしますか、テーブルも空いていますが……」 「カウンターにしよう。それと君……」 「はい?」 「やまない雨、をもらえるかな」 「え?やまない雨、ですか……?」 「うん」 「……ちょ、ちょっと店長に聞いてきますね」 はて、やまない雨ってのはなんのことかな?もしかしたらカクテルのレイニーデイのことかな。まさかあのお客さんボケるほどの歳には見えないし、だいたいそんなもの頼まなくってももう一週間雨はやんでないじゃないか。 「店長、お客さんがやっと一人入ったんですけど」 客が来ないことにふて腐れて、バックヤードで椅子に座っていた店長がイヤホンを外して振り返る。 「おっ、良かったこれで山田君にも時給が払える」 「それでそのお客さんが、やまない雨をくれって……」 「なに?やまない雨だって?」 店長の顔が珍しく真剣になった。 「ええ……」 「お客さんの風体は?」 「着物の年配の方です」 無言でカウンターに出ていく店長のあとを付いていくと、例のお客さんは煙草に火をつけているところだった。 「お客さん、やまない雨が欲しいそうで?」 「ああ」 顔を上げたお客さんを見て、店長が驚いた。 「……! あ、あなたはもしかして、二代目情緒不安亭春潮(にだいめじょうちょふあんていはるしお)さん!」 「ほう、俺を知ってくれているとは、ありがたいね」 「いや誰すか」 「山田君、春潮師匠を知らないの!?若いときから人情噺に絶大な定評があった落語家で、期待の新作の披露講演でリストカットで噴出した血による水芸という斬新すぎる芸を披露して破門になったあの春潮師匠を!?」 「ヤバイやつじゃないっすか」 「ふっ」 「いやしかし、破門を苦に睡眠薬を多量摂取して亡くなったという噂もあったのに……」 「ヤバイやつじゃないっすか」 「ふっ」 「あなたのような伝説の落語家に会えるなんて……光栄です」 「いや今の俺は落語家でなく人生の落伍者……よしてくんな」 「おお……」 「いや``おお……’’じゃないっすよ」 「何してるの山田君、早く師匠に座布団持ってきて」 「この店に座布団なんてないでしょ。今ほど自分の名字を呪ったことはないですよ僕」 なんだかおかしな話になってきて山田君は混乱していた。
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