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小夜時雨の降る日に
ずっと、雨が降り続いている。
予報では、もう雨は降り止まないらしい。
窓を伝う雨が滴り落ちていく様を眺めながら、わたしは溜息をついた。
雨は好きだけど、嫌いだ。
わたしが存在しているから、この雨は止まないらしい。生まれた時から、雨はずっと降り続いている。昔存在していたという都市は水の中に沈んで久しい。人間は水上都市に移住して、細々と生きてはいるけれど衰退の一途をたどっている。分かりやすい事例としては、もうずっと子どもが生まれていないそうだ。試験管ベビーなども試してみたものの、失敗に終わり続けていて、この雨が止まないことには先行きは暗いままなのだと、どこかの偉い先生がニュース番組で語っていた。
「美雨」
みう、と読む。わたしの名前だ。声がした方を振り向けば、いつものように雨に濡れたようなしっとりとした佇まいの男がそこに立っている。
「迎えに来た」
いつも彼はそう言って、わたしに手を差し伸べる。わたしがそれが大嫌いだと知っているくせに、彼はそうやっていつも、わたしが手を取るのを待っている。
「行かないわ」
そう告げるとひどく悲しそうな顔をして俯く。そんな顔をするくらいだったら、誘わなければいいのに。
わたしを、連れていきたいなんて、願わなければいいのに。
(大体、美雨だなんてひどい名前。止まない雨に対しての当てつけかしら)
母が付けたその名をわたしは好きだと思ったことはない。
わたしが、ここに存在しているから、雨は止まないのだという。
「いっしょに来てほしい」
今度は下手に出る作戦に出たようだ。彼は銀色の髪に銀色の瞳をしている。肌もよくよく見ればさざめくような銀色の鱗が生えていて、人間ではないのだと分かる。
「いやよ」
「何故?」
あんまり不思議そうにそう問うので、わたしは思いきり溜息をついて、言うつもりのなかった本音を口にした。
「……わたし、この世界といっしょに、滅びるつもりなの」
この雨が止まなければ、世界は終わるのだという。
わたし一人の犠牲がなければ、この世界は終わるのだという。
くそったれめ。
「雨が止まなければこの星は、水に沈んで終わるでしょう? わたしはその最後の時まで、ここにいて、わたしとして生きていたい」
銀色の瞳の瞳孔を爬虫類のように収縮させながら、彼はわたしをじっと見る。わたしはその眼差しを受け止めながら、なんてひどい言い草だろうと思っていた。
「……美雨」
「この世界が終わったら、あなたの望むとおり、花嫁になってもいいわ」
「本当に?」
「本当よ」
「人間たちがやかましく騒ぎ立てることがなくなったら、本当に、私の花嫁になってくれるのか?」
「そうよ。でも、無理やりは駄目よ。ちゃあんと段階を踏んで、あなたの手によってではなく、雨が降り続くことによって、世界が滅んだらね」
きらきらと目が輝きだす。嬉しそうにしている。わたしだって、美醜の区別はつく。彼は、とても綺麗なのだ。
「ならば、約束を」
伸ばされた手を取ったら、わたしは楽になるのだろう。
でも、わたしはそんなに簡単に、楽になりたいとは思わない。
「いいわ」
髪の毛を一本ぷつんと抜くと、彼の左の小指に巻き付ける。彼も同じようにして、わたしの左の小指に自分の髪を巻き付けた。
「ふふ」
なんだか子どものような約束事をしていて、少し笑った。彼はまた不思議そうにしている。
「運命の赤い糸のようね」
私がそう告げると、合点がいったのか、彼は嬉しそうにはにかんだ笑顔を浮かべる。彼はすべての元凶であるけれど、わたしは彼を恨もうとは思わない。
「約束よ」
わたしが愛し気に自分の左の小指に唇を寄せれば、彼は納得したようですいっと姿を消した。
外は、雨が降り続いている。
母がわたしを身ごもった時、彼は現れたのだという。自分の花嫁になる娘を迎えに来たと言ったそうだが、母はわたしを引き渡すのを拒否した。
その日から、ずっと雨が降り続いているのだという。
最初はその話を誰も信じようとはしなかった。母は海の近くにある神社の総領娘ではあったけれど、父母も誰も信じようとしなかったために、他の人にその話をするのをやめた。
けれど、本当に雨は降り止まなかった。
ずっと降り続ける雨のせいで様々な災害が起こり、そこでようやっと周りの人は母の話を信じたのだと言う。信じた人々のせいで、母は死んだ。殺されたのだ。わたしも殺されそうに何度かなったけれど、そのたび彼が現れて殺そうとした人たちを完膚なきまでに叩きのめしていくので、ここに隔離されているというわけだ。
世界は、雨に沈むのだという。
わたしは父を知らないが、母を助けなかったこの世界は、滅びて当然だと思っている。
太陽というものが空にあった頃のことを、わたしは知らない。
ずっと雨空しか見たことがないのだから、当たり前だ。薄暗い外の様子を眺めながら、いつも思う。
いつか、この世界が滅びる時に、雨は止むのだろうか?
それとも雨はずっと降り続けて、実はわたしのせいではなかった、なんて言い出すような輩も現れるのだろうか。
左手の小指に巻き付いた銀色の髪を撫でながら、私はベッドに横になる。
この世界が、はやく雨に沈んでしまえと願いながら、瞼を閉じた。
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