海の色は罪深き

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 やっと揺らぎを感知したからだは、目覚める。 「…」  まず認識したのは天井。そしてその一面に殴り書かれた文字。 「Ring the bell,」  どうやら、初期言語は英語のようだ。 「Call MIKANE」  なぜかは分からないが、その文の意味は理解できるしベルが何かも知っている。 「…」  自分の名前も、昨日まで何をしていたかも、記憶は全て無いのに。  ベルを押せば彼女はすぐにやってきた。 「おはようございますお嬢。失礼します」  手慣れた様子で、彼女は私の頭にそれを装着ける。 「ダウンロードを開始します。目を閉じて」  言われるがままに身を任せる。これはもう知っているとか解っているとかじゃない。このからだに染み付いた、習慣と呼ぶべきもの。  音もなく、瞼の裏を駆けて落ちていくフィルム。それはきっかり、十年分のようだ。  最も古い開始時を静止画で私は瞳に残す。 「…おはよう、美鐘」 「正常に完了しました。今日の予定、分かります?」  そしてそのまま窓の傍へ寄る。こんなにも変わってしまった、外の景色の一番向こう。そこだけが十年前のそれと重なる。 「『罪深いほどの、青』…」  このパノラマの窓から見えるものが、私たちの全て。海上移動型試験都市、通称ノアズアーク。  滅びから免れた唯一の生の居場所。 「…その記憶を保持するためには、もう容量が足りません」 「十年分しか、保てないものね」 「はい」 「じゃあ、今日の記憶を代わりに消して」 「はい」 「それから、そこにメッセージを挿入して」 「…はい」  この会話もきっと習慣。私は一体何度このオーダーを彼女にリクエストしたのだろう。  消した記憶は分からない。それでも良いと思えた。 「いくら逃げても、海はずっと変わらなかったよ」  彼のその十年前の声にだけ、私は私として言葉を返せるのだから。
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