96.面影 1(1)

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96.面影 1(1)

※ 過去のおはなし 小さな安いボロアパート。 狭い室内には仕事に欠かせないパソコンやらが並ぶ。 そんな静かな中でT.V.の音だけが流れていた。 〈婚約は本当ですか…?〉 ≪櫻木さん、応えてくださ~い≫ カシャッ、カシャッ… 彼女はカメラのフラッシュに眩しそうに目を細めていた。 テレビ画面のテロップには、「サクラギグループのプリンセス、いよいよ結婚か?」そう、デカデカと表されていた。 無言で会社の中に消えて行く葉月の姿を、マスコミが更にしつこく捉えていた。 <これは昨日の映像ですが…。> カチャカチャカチャ… カチャカチャ… <この後、櫻木葉月さんは…緊急入院されました> えっ…? 何だって! 之啓は慌ててテレビに向き直った。 <容体が心配ですね。> コメンテイターのお決まりの文言がきこえていた。 入院って、一体どういう事なんだ…? ソレは聞いてないぞ。 何処が悪くって… ピンポーン。 めまぐるしく考えているさ中に、来客だった。 最近よく訪ねてくる柚加だろうとすぐに分かったがが、相手をする気分にはならなかった。 帰ってもらおう。 それより葉月だ。 病院は…櫻木家のお抱えの病院に違いない。 考えを巡らしながらドアを開くと、真っ白いフワフワとした毛におおわれたジャケット。 え… 「葉月っ!」 『あら、バレた…? なんでよ。』 之啓が唖然としていると、相手は開かれた隙間を強引に開き、さっさと中へと入りこんで来る。 彼が贈ったソレを、葉月は大切に着ていた。 「何だ、そのグラサン。」 『カッコいいでしょ…?』 「…残念だけど、その上着には合わないよ。」 へへ…と、舌を出しながらグラサンを外す。 可愛い眸が之啓を見上げた。 『これ。』 レジ袋。 中に食材が詰まっていた。 「何…?」 『寒いから鍋にしようと思って…ふふっ。』 とても病気には見えない。 「さっき、入院したって報道されてたぞ。」 『だって、うるさいんだもの。』 「葉月…。」 『ん…?』 振り返った肩を抱いた… ちゅっ… 柔らかい感触に確かめるように触れる。 大好きな人… 絶対に迎えに行くと自分に誓って、その約束は未だ果たされていなかった。 予想外の株の失敗で資金繰りは困難を極め、無一文になるのも時間の問題だった。 新興国への投資は順調なはずだったのに、突然始まった中近東の戦争で全てパーになってしまったんだ。 もう彼女を手放すしかないんだと解っていた。 別れを告げるしかないんだと… 解っていた。 『今日は帰らないから。』 肩に乗せた頭が動いた。 「葉月…?」 『何よ、困る事でもあるの…?』 一瞬ドキリとして、すぐに笑っていた。 「まったく……君には敵わない。」 別れたくない。 だが、本当に、それでいいんだろうか…? 葉月は社会人となって順調に跡継ぎの階段を進んでいた。 互いに周りから結婚しろとやいのやいのと催促され始めていた。 このままだと… ピンポーン。 そこで再びチャイムが鳴った。 誰だ…? 「待ってて…。」 葉月にそう声を掛けてドアを開けにいった。 開いたそこには… 白い息をはきながら、柚加が立っていた。
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