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ここは植民惑星のひとつエコー。
その裏通りにある一件のバーのひとときを僕は楽しんでいた
慣れないニコチンの煙が充満する店内で僕はカウンターの上に置いた本を白い手でめくりながら250グラムのボロニアソーセージをひとくち齧る。
ブイヨンをそのまま固めたような粗野な味。だが今の気分にはこの旨味がよく合う。そして歯を軋ませるわずかに硬めの弾力もまた心地よい。
一口かみちぎるごとに心の中でがしぷりがぷりと効果音を奏で歌いたくなる。
数口ほど噛めば脂で口の中が重くなる。黒髪を撫でながらウイスキーグラスに入った琥珀色の液体でその濃さを洗い流した。
グラスの中の氷がからんからんと小気味良い音をたてる。
「小説か……今どき珍しい」
「ああ、地球時代のハードボイルド物だ」
カウンターの上で僕の本を覗き込みながら声をかけてきた店主に
自分でも分かるぐらい素っ気なく答えながらページをまた一枚めくる。
そう、"経済"が"国家"に代わって直接的に太陽系の人々を統治するようになり
貧富の格差が広がっていった……必然的に教育制度も崩壊し
識字率が大きく下がったこの時代。
マンガならまだしも小説を個人の娯楽で読むという文化は
過去のものとなって久しい。
『依然として失踪中のバートン社の社長令嬢について……』
壁にかかったモニターから流れるニュースは最近はどこのチャンネルも
衛星ガニメデの資源採掘会社の社長令嬢失踪に関するものばかり。
いい加減飽きた。
「ああこれどうせ男と逃げたやつだ」
「ブロンド髪のハコ入り娘な、ちぃと胸が小さいの除けば最高だ」
「演劇部のプリマドンナだって? 今頃素晴らしい声でヨガってんだろうな」
「うらやましい。あんな上玉の初モノを頂けるなんてよ」
ついでに周りの人相の悪い面々の、事実無根のウワサ混じりの令嬢評もうんざりだが……無意識に向けた僕の冷たい目線が気に障ったのだろうか。テーブル席に座っていた男のうちのひとりが立ち上がりこちらに向かってくる。
「あんだよどこのチビガキだ?見ない顔だな」
そう言いながら乱暴にカウンターの上の本に伸ばした汚い男の右手をばしっと掴む僕。しばらく力を込めてぎゅっと握りしめ、手の内のナイフを取り落とさせた後――ぶん!と背負い投げの要領で床に叩きつけ、倒れた男の急所に足を載せる。
「て、てめ……!」
「手前じゃない。アルだ。初対面の相手の大切なものにナイフを突き立てる
エコーではそれが一般的なマナーなのか?」
実際、この本は僕にとってすこぶる大事なものだ。
僕が傭兵の道を志した理由、それはこの書に描かれている野生味あふれる漢の生きざまに惹かれたから。それにこれを読みながら食べるステーキやボロニアは最高だ。
それまで平穏だった空気が殺気を帯びた緊張に包まれてゆくが……。
「おい……トム!」
「こいつの構え宇宙バリツじゃねーか!やめとけ」
制止する周りの男達の声にぎょっとする不心得者。
「お、おう。あっちの店にでも行くか」
よろよろと立ち上がり、乱雑にコインを数枚床に放り投げてトムと呼ばれた
ナイフ男が店を後にする。
「お、俺も!」
そしてその後をぞろぞろとついてゆく男たち。
向かいにあるのはピンクネオンが眩しい店。そこで待っている娘たちの股間にさきほどの猥談で肥大化した性欲を突き立てに行くのだろう。たとえ相手が年端のいかない少女であっても関係はない。待ったをかける警察官などこの惑星エコーにはほとんどいないのだ。
だからこそこの星では金持ち相手の傭兵などという仕事に需要がある。
彼女たちの境遇を少しばかり哀れみつつ。
「ふぅ……」
安堵のため息をひとつ。安いケンカでこの座席の隣に立て掛けた真新しいガニミック製の高級振動刀と師匠譲りの居合の術を汚さずに済んだことを神に感謝する。
「その得物、どうやって手に入れたんだ?アル」
身を乗り出して聞いてくる店主。
「昨日、表の武器屋で買った。少々高い買い物だったよ」
「ほう、どこで稼いだカネで?」
彼はさらに踏み込んでくる。
この質問には別の意図がある。恐らく彼は傭兵として客に紹介するに値する人物か否か……。金持ちの金庫から財産を持ち逃げするような人物ではないか見定めているのだ。
あまりカネの出処を喋りたくないのだが多分こういう場面でまったくのデタラメを騙ったとしてもすぐバレる。
少し考えて……。
「……ちょっとガニメデで、な」
「そうか、若い身空で大変だったんだな」
男はこちらに同情の意を示す。
貧困に窮した少年が自分自身の身柄を買い取るカネを稼ぎ終わるかあるいはそのまま力尽きるまでガニメデに叩き込まれる。これもこの時代ではさして珍しいことではない。
まあ、実際ほんの少し事情が異なるのだが訂正する必要はないか。
「そういうわけでコイツの出番を探してる、何か良い仕事はないか?」
「それならとっておきの仕事ミッションがあるぜ」
そう言って男の持ってきた依頼書を
共に出された二杯目の褐色の液体を口に流し込みながら覗き込む。
先ほどのものよりわずかに苦い。
「人捜し、報酬は50万。ただし怪我に応じて減算アリ」
ずいぶん破格の報酬だと返す僕だが依頼書の写真を見てすぐに気付く。
ドレス姿の少女……見慣れたその写真はアリエル・バートン。
今話題の、社長令嬢のものだったからだ。
「文武両道、容姿端麗……」
酒棚から高そうな瓶を取り出しながらマスターがつぶやく。
「弱冠14歳で富裕学校の演劇部のプリマドンナ。
おまけに母親は木星圏有数の大富豪ときたら……
そりゃその位ぽんと出すだろうよ。なあ、アル」
そう言いながら高そうな酒で満たしたグラスを一息にあける。
「いいや、アリエル・バートン……!」
っ!?
この流れ……まずい、直ちにここを離れなければ!
そう思った瞬間、激しい痺れが全身を襲い……僕は力を失い床に倒れ込んだ。そのすぐ脇に脱げ落ちた男物のウィッグ、中からこぼれた黄金色がふさぁと視界を覆いこむ。
「向いてないんだよ」
床に伏した僕に対して投げかけられた言葉は大変冷徹だ。
「お前は……ここの客とも、向かいの店の女たちとも違う人種だ
文字が読める。色々習い事を教えてくれる先生がいる
ああ、今までの演技も見事だったよ」
そこまで言って男はタバコに火をつける。
「だがな。出された麦茶に簡単に口をつけるとか……
あり得ないほどのお人好し、お前は傭兵失格だ。
アル……いいや、アリエル」
僕は、いや、私は痺れが回る体でふぅとため息をつく。
「まいり……ました。いつからそれを?」
「確信に変わったのはさっき、ガニメデ帰りって言ってたのに手がきれいだったからさ」
「そう、ですか……」
程なくして連絡を受けたのだろう。メイド服姿の、私よりほんの少し年上の女がやってきた。まとった雰囲気と襟の社章で分かる。彼女はバートン社のエージェント。宇宙バリツ推定二十段。
こんな体でなくとも抵抗するのは得策ではない。
「忘れ物だ」
店主が床に落ちた本を拾い上げ、私の前に差し出してくる。
「一人で辛かったんだろ?
周りは誰も持つ者の……お姫様の孤独なんて分かりゃしない
だから逃げ出したんだな?」
灰皿にタバコをぐりぐりと押し付けながら……。
「だからって本で読んだ憧れのキャラをマネて別の誰かに
紋切り型の野獣になりすます……
演じることはできても完全に成り代わるのは無理だ。あきらめろ」
そんなマスターの声を聞きながら戦闘メイドは
痺れ薬が完全に回った私の体を小脇に抱えて店のドアをくぐる。
「呑める歳になったら護衛連れてまた来な、グチぐらい聞いてやるよ」
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