西の釜師

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西の釜師

東から西への長い旅。 男の髪とヒゲは旅の間に伸び、白いものもまじり始めた。 目的がある旅ではない。 ただ祖国にしがみつく理由がなくなっただけのこと。 やがてたどり着いた地は、文化も、そこに住む人々の容姿も、祖国のそれとはまるで違っていた。 それなのに、なぜだ。 この地に、祖国の技がたしかに息づいている。 男の祖国は、優れた鉄器と、それを作る釜師がいることで名を馳せていた。その工程は多く、かつ他国がやすやすと真似できるものではない。 しかし目の前に広がる村の風景はどうだ。 どこの民家にも当たり前に鉄器があり、ある家では湯を沸かし、またある家では肉や野菜を煮込むのに使っている。 商人が西の国々へ売ることはある。 しかし鉄器は重い。広まるにしても、多くはないはずだ。 民家が並ぶあたりを抜けると、今度は様々な工房が軒を連ねる。一軒ずつ目をやりながら進み、男は足を止めた。 練習用か失敗作か、そちらこちらに作りかけの鉄器が転がっている工房だった。思わず駆け寄り、鍋の形をした鉄器を手に取る。 ――懐かしい手触り。 しかしこれは腕が未熟だ。 さっき見たものとは作り手が違う。 夢中になって眺めていると、 「どなたかな」 突然の声に鉄器を落としそうになった。 「私はここの頭領ですが。何かご用ですかな?」 急いで鉄器を元へ戻し、頭領と名乗る者へ向く。髪の色は同じ黒だが、肌はこの国特有の褐色、瞳は薄い緑色。 年かさは同じくらいだが、腕の肉付きが、今でも第一線で働いていることを物語っていた。 「勝手に申し訳ない。私はここよりはるか遠い、東の国から来たのだが……」 どうせ国の名を言ってもわかるまい。 「村を見たところ、西の国にしては珍しく鉄器が日常的に使われているようで。鉄器は私の祖国の伝統工芸品だから、それで――」 「お待ちください!」 無礼の理由を説明している途中で、頭領が遮った。 「東の……鉄器の国ですと……?」 「ええ、はい。東の、和の国から――」 言い終わらないうちに、両肩を頭領にがっしりとつかまれる。 「和の国……! まさかこの地で和の方とお会いできるとは。ああ、お懐かしい……。こんな遠くまでよくいらっしゃいました」 頭領の声は興奮気味に震え、目も潤み始めた。 「こちらへはどういったご用で? 宿はございますか? 私で良ければ力になりますので」 「ではお尋ねしたい。この国で見る鉄器は祖国のものと同じようだが、どういうことだろうか。商人が運ぶには数が多すぎる。鉄器を作る釜師の技も、そう真似できるものではないはずだ」 「同じと言っていただけますか。同じと……」 頭領は目を赤くし、ますます潤ませた。 「……私は若い頃、商人が持ち込んだ数少ない和の鉄器に魅了されました。それで、あなたの国へ行ったのです」 「なんと、そうでしたか……」 「そこでとある工房に頼み込んだところ、私の熱意を受け取ってくださり、師匠を得て、釜師の技を叩き込まれたのです」 「ではこの村の鉄器は、あなたが作ったのですね? いや見事な……」 「今では多くの弟子を抱えるようになりました。師匠には心から感謝しております」 では庭に転がっているのは、弟子たちの習作だろう。 「頭領、その……あなたの師匠の名を聞いてもよろしいか?」 はい、と頭領は背筋を伸ばした。 「師匠の名は政継(まさつぐ)。和の国でも釜師たちの長と称された、『南部』の二十二代目、政継でございます」 今でも師匠を慕っているのがわかる、澄んだ目。この頭領ならば、あのように優れた鉄器を作ったとて不思議ではない。 しかし私はどうだ―― 頭領から目をそらし、出来損ないの鉄器を見つめる。 「頭領……その、言いにくいんだが……。政継は私の……父なんだ」 「なんと! 本当ですか!? なんと……なんというご縁でしょう! 師匠のご子息とこんな西の国でお会いするとは……!」 感極まった様子の頭領にがっしりと抱きつかれ、うろたえる。どうも西のこの風習には慣れない。こっちの気も知らずに、頭領は「感謝します」と自分の神へ告げた。 「ぜひお名前を教えていただきたい。私はアキームと申します」 「私は……政実(まさざね)です」 「政実殿……。ああ、本当によくいらっしゃいました。どうぞ工房を見ていってください」 背を押して奥へ招くアキームへ、政実は重い口を開いた。 「アキーム殿、すまない。私は南部の跡継ぎでもなんでもない。それどころか――お恥ずかしながら、若い頃家業が嫌になって、家を出た身なのです」 政実は苦い思い出を語り始めた。 父と言い争い、母を振り切り、家を出てよその地へ移り住んだものの、何者にもなれずいたずらに時をすごした。 父の危篤を聞いて故郷へ戻ったときに知ったのは、父がすでに逝ったことと、和国での釜師の技も、すでに途絶えてしまっていたということ―― 「南部」だけでなく、和の国全体で釜師の後継者不足が問題になっていたのは知っていた。でもまさか自分が生きている間に、知らぬ間に、廃れてしまうとは思いもよらなかった。 それほどの長い間、鉄器と、父と、向き合わずにきてしまった。すべてがもう、手遅れだった。 「父が外の国の者を弟子にしたという話は、風の便りに聞いてはいました。――正直に申し上げて、内心父を愚弄しました。物になるはずがないと。……そう思っていました」 出ていった息子の代わりに弟子入りした西の国のこの男は、当時どう思っただろうか。むざむざと伝統を廃れさせた、この実の息子のことを―― 「顔をお上げください、政実殿。あなたは和の釜師の技に誇りを持っていたのでしょう? だから外から来た私など物になるはずがないと思い、父親にも腹が立った。――違いますか?」 恐る恐る顔を上げると、アキームはその美しい薄緑色の瞳で穏やかに見つめていた。 「……怒ってはいませんか?」 「怒る? 政実殿を?」 「家出したバカ息子と……」 アキームがくつくつと笑う。 「いいえ。こう言ってはなんですが、私はあなたがいなかったおかげで、師匠の教えを一身に受けることができました。師匠も迷いなく私にすべてを伝えようとしてくれました。感謝こそすれ、怒ってなどいませんよ」 「そう……ですか」 「それに師匠も怒ってはいなかった。息子には息子の人生がある、できれば自由にすごさせてやりたい――そうおっしゃっていました」 「……そう、ですか」 そんなふうに、父は思ってくれていたのか…… 「アキーム殿、ありがとう。釜師の技がすっかり途絶えてしまったと思っていた今、私はアキーム殿に心から感謝している。どんなに遠く離れた西の地であろうとも、父の鉄器が、釜師の技が、ここにたしかに生きている」 「ああ、政実殿……恐れ多い言葉です。こちらこそ感謝致します」 「アキーム殿――いや、頭領。もしあなたさえ許してくれるなら、私はあなたから学びたい。父が伝えた、釜師の技を」 今度は目をそらさずに、真っすぐにアキームへ向いた。アキームも真っすぐに、政実の想いと対峙する。 「もちろんです。これでようやく師匠に恩返しができます。これからは腹を割って、師匠や鉄器のことについて語り合いましょう」 きっと――かつて父は、同じようにアキームを受け入れたのだろう。 アキームが差し出した手を、政実もがっちりと握り返した。 「腹を割って、と言うなら……。早速、正直に話してもいいだろうか」 「どうぞ、遠慮せずに」 「私はあなたに感謝もしているが――」 「が?」 「今さらながら、心底あなたに嫉妬もしている」 アキームは一瞬目を見開くと、大声で笑った。 「それは光栄ですね。では『家出したバカ息子』殿に、師匠との思い出をたっぷり語ってさしあげますよ」 「どうやらあなたとは仲良くやれそうだ」 二人はともに肩を抱き、笑い合って建屋の奥へと向かった。懐かしい、祖国と同じ鉄器作りが行われている工房へ。 ――のちに政実は、釜師の技を受け継ぎつつも、簡素な工程で鉄器を作ることができる新たな技法を編み出した。 そして西の地へ別れを告げ、再び旅立ったという。 ある者は東の祖国へ戻ったのだと言い、またある者は、旅の道すがら逗留した地で鉄器作りの技を教え、祖国へたどり着く前に命が尽きたとも。 真意は定かではない。 ――が、ただひとつ確かなことは、政実が旅立ったあと、各地で鉄器作りが盛んになり、民の暮らしが豊かになったということだ。
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