尾白恭介

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尾白恭介

 恭介にとって、上京後の2年間は最悪だった。田舎にいた頃は、真面目に働いていれば報われると思っていたが、甘い考えだったと言える。ただ生きているだけで精いっぱいだった。  理由は一つ、ブラック企業やブラックバイトしか働き口がなかったからだ。まともに給料を払ってもらえないせいで、暮らしは少しも安定しない。元々あった借金は、いつのまにか二倍にふくらんでいた。  確か、借金取りの男から殴られて帰宅した時、あのチラシがアパートの郵便受けに入っていたのだ。  赤の太文字で「バイト急募」と書かれており、その下に、「一日10万円、一ヵ月で350万円、一年間で5000万円がもらえます! 敗者復活のラストチャンス! あなたに希望と明るい未来を!」  何のバイトなのか、まったくわからず、怪しさだけがプンプンにおってくる。どうせ、犯罪の片棒をかつがされるに決まっている。こんなものに引っかかるバカがいるのだろうか?  チラシを裏返すと、住所が書かれていた。茅野原(ちのはら)1丁目4のリバーサイドビル。詳しい話が知りたければ、ここに来い、ということなのだろう。  一晩ゆっくり考えてから、恭介は自転車にまたがって、荒川に向かった。目指すリバーサイドビルは荒川の堤防近くに建っていた。くすんだ灰色の五階建てビルであり、窓一つない外壁は古びた墓石のように見える。  恭介はただ様子を見るつもりだったが、近づいてみると、すでに大勢の人が集まっている。自転車を適当にとめて、リバーサイドビルの中に入ってみた。玄関脇のメールボックスを見る限り、ごくありふれた雑居ビルのようだ。  狭い階段に行列ができていた。若い男が多いが、中年の男女や高齢者も混じっている。彼らに共通しているのは、みすぼらしい格好と生気のない表情である。人生の負け組御一行様、といったところだろう。  行列の最後尾に並んだ恭介も、それは例外ではない。 「すいません。これって、どういうバイトなんですか?」  恭介が声をかけると、前にいた巨漢は振り向いた。 「知らねぇよ。それを聞くために、ここに来たんだろう」 「何にせよ、日給10万だろ。多少の無茶には目をつぶるぜ」巨漢の隣にいた坊主頭が言った。 「同感です」恭介は頷く。「でも、まさか、犯罪の仲間募集じゃないですよね。振り込み詐欺とか銀行強盗とかの」 「完全犯罪で捕まらないんなら、それもありだがな」坊主頭は笑う。  恭介が自己紹介をすると、巨漢は船木、坊主頭は堀部と名乗った。二人はアラサーであり、恭介より年上だった。 「もし日給10万がマジなら、敗者復活のラストチャンスかもしれませんね」  恭介が言うと、船木と堀部は頷いた。社会の底辺からはいあがろうという想いは、三人だけでなく、並んでいる全員が抱いているはずだった。
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