ラストデイ①

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ラストデイ①

詩織が目を覚ますと、カーテンの隙間から朝陽が射し込んでいた。時計は7時を指している。詩織が身体を起こしたせいか、まもなくして恭介も目を覚ました。  交替で顔を洗ってから、コンビニで朝食を購入するため、一緒に部屋を出た。恭介は昨晩何も食べなかったせいか唐揚げ弁当を選んだ。詩織はサンドイッチと缶コーヒーにした。  二人はホテルに戻ると、言葉少なに朝食をとった。一夜を共にしたからといって、関係が劇的に変わるものではない。二人の間に馴れ馴れしさはなく、ほどよい距離感が保たれている。  チェックアウトを済ませ、二人はホテルを後にした。駅前のアーケード商店街では、通勤通学の時間帯のせいか、サラリーマンやOL、学生たちが足早に歩いている。恭介と詩織は人の流れに乗って歩きながら、 「深原さんは今日も仕事に出るの?」 「そのつもりです。バイトの真相を知ってから、例のおカネには手をつけたくなくて。おカネはイザという時のためにとっておきます」 「その気持ち、よくわかるな。僕もできるだけそうしよう」  詩織は嘘を吐いていた。詩織の口座にあるおカネは、速やかに引き出され、仲間に渡してある。つまり、〈アンチ・ライズ〉の活動資金になっているのだ。ライズ財団にとっては、皮肉な話である。  バイトの面接で志望動機を尋ねられた際、詩織は「長期療養中である母の入院治療費です」と答えた。その言葉に嘘はない。「深原詩織」の母親は現在、心臓疾患のため、大学病院に入院中である。もっとも、彼女は詩織の本物の母ではなく、〈アンチ・ライズ〉が手配した役者が演じている偽者であるが。 「深原さん、どうかした?」恭介が怪訝(けげん)な顔をしていた。 「ううん、何でもない」詩織は笑顔を作ってごまかした。  良心がとがめるが、今はまだ、恭介に全てを明かすつもりはない。  ターミナル駅の茅野原駅が近づいてきた。詩織は電車に乗って、一旦マンションに帰るつもりだった。 「尾白さんはどうするんですか?」 「ロ-タリーでタクシーを拾って、西尾くんのアパートに行ってみるよ。今朝から連絡がとれないんだ」  恭介はスマホを取り出し、もう一度かけてみる。しかし、やはり西尾は出ない。 「おかしいな。彼は何があっても、アパートに籠城しているはずなんだけど」 「最後に連絡をとったのは、いつですか?」 「ええと、昨晩、深原さんの本屋に行く前かな。西尾くんは普段どおりで、何も異状はなかった」 「その後、何かあったんでしょうか?」 「……そうかもしれない」  ロータリーの近くに交番があり、立ち番をしている制服警察官が目に入る。恭介の視線に気づいて、詩織が言った。 「警察に相談するのは御法度(ごはっと)でしたね」  「〈カードの件は秘密厳守〉に抵触する恐れがあるらしい。実際に試してみて、違反かどうかを確認することはできないよ。もしアウトなら、その時点で僕たちは終わりだ」 「ええ、そう思います。警察は避けた方が無難です」  詩織は素早く頭を巡らせる。恭介によると、西尾は情報を数多くもっているらしい。独自に対策を練って、それを実行している。何といっても、ルール違反の可能性をつぶすために、アパートに籠城しているほどなのだから。詩織は心を決めた。 「尾白さん、私も一緒に連れて行ってください」  決して、恭介と一緒にいたいからではない。もし西尾と会えれば情報交換ができるし、今後の行動にも活かせるはずだ。詩織は自分に、そう言い訳をした。  タクシー乗り場に行くと、ほとんど待たずに乗ることができた。恭介が運転手に目的地の住所を伝える。タクシーは速やかに発車した。駅前の大通りを西へと向かう。  窓の外では、オフィスビルやマンションが後方に流れていく。やがて道幅が狭くなり、下町の住宅街に入った。タクシーは小刻みに、左折と右折を繰り返す。  恭介が西尾のアパートを訪れるのは二度目だ。アパートは細い路地が入り組んだ奥にある。タクシーでは入れないので、二人は路地の入り口で降りた。  通りと路地の交差する角に、小さな公園があった。ブランコとベンチがあるだけの児童公園である。  詩織が通りすがりに何気なく見ると、公園のベンチに二人の男が座っていた。一人は中肉中背で、もう一人は筋肉質である。中肉中背の男は柔和な顔つきで、傍らの筋肉質の男に話しかけている。筋肉質の男は野球帽を目深にかぶっており、その表情はわからない。 「深原さん、どうかした?」 「いえ、何でもありません」  詩織が気になったのは、二人のシャツが濃紺だったことである。〈アンチ・ライズ〉の情報によると、それはOM特有のカラーだったのだ。
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