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*3
夜更けに大雨になった。ゴーゴー唸るように窓ガラスに叩きつける。割れてしまうんじゃないかと思う程にその音は凄まじくて、遠くで雷鳴が響く。
結局、今日も連絡はなかった。やまない雨なら誰にも聞こえやしないと思ったら、急に抑えていた気持ちがこみ上げてきて、私はこどもみたいにわーわー声を上げて泣いた。
しばらくして遠慮がちにノックする音。
星也君が立っていた。涙でぐちゃぐちゃでみっともないのに、不思議と取り繕わなくていい気がした。
彼は黙ったまま私の左手を取って、てのひらにぽんと淡いグリーンのセロファンをのせた。
その目はうるうるしていて、やだ、君も泣いていたの? 年下の男の子にどきどきしてしまうじゃない。
「涙が減った分、塩分補給しないと」
にっこり笑ってるけど、君こそ心配になるような瞳をしてるよ。
雨の夜は、哀しみに自分を委ねてもいいんだよ。
口の中のあめ玉が少しずつ溶けていく。確かにそう聴こえた。気持ちが安らいでいく。
*
土曜日、太陽が出ていた。星也君は朝からハーブを摘んでいる。白いシャツが光を浴びてまぶしい。
彼がやわらかな声で唄っているのは、ハーブの歌?
「パセリ セージ ローズマリー タイム」
何ていうのって聞いたら、「スカーボロー・フェア」ですって。
少しだるい。何処にも出かけたくなくて「ここにいてもいい?」って聞くと、「一緒に石鹸作りませんか」って言ってくれる。
僕の部屋です。
通されたのは、ビーカーやフラスコ、試験管が並んでいる、まるで魔法の調合室。天井からドライフラワーがぶら下がっていて華やかだ。
矢車草、矢車菊、白、ピンク、青、紫の列。
「工程は簡単です。苛性ソーダは薬局で買う時に一応劇薬扱いなので身分証明がいります。それ以外は家にあるものが原材料です」
薬包紙に量った粉をオリーブオイルと精製水と混ぜる。理科の実験みたい。
温度管理が少し難しいけれど基本は混ぜるだけ。おいしそうなカスタードクリーム色。
「型に流し込み、一日ダンボールの中に入れて、こねこに毛布をかける気持ちで温めたのが、こちらです」
くすくす。まるでお料理番組みたい。
石鹸のパウンドケーキを切り分けて、木箱で乾かす。お菓子ですって出されたら思わず食べてしまうね。シナモンやはちみつを入れることもあるって。ひと月熟成させて出来上がり。
色付きのセロファンが目に入る。あ、あめ玉だ。
「僕が作っている飴です。こっちがレインドロップで、もう片方がティアドロップ。和名で言ったら、雨の滴、涙の雫かな」
砂糖で作ったドロップの中に、ハーブや花びらを入れているんだって。
レインドロップ、ティアドロップ。 雨玉、涙玉。
「見た目はそっくりでしょ。一度溶かして再び固まる時、わずかに結晶が残るのが涙玉の塩。でも、雨玉のはずだったのに時折結晶が転がる。空が流した涙雨のように」
*
昨晩あなたに渡したのは涙玉でした。
セントジョーンズワート、西洋弟切草。
聖ヨハネの生誕日頃に咲く、太陽の力が宿る黄色の花。暖かい陽射しを感じられる眠りを誘うハーブ。
午后の雨は静かだ。水蒸気みたいな小さな雨粒が窓にしがみついている。耐えきれなくなって流れる時に、近くの雨粒も巻き添えになって一緒に堕ちる。
さらにその行先を指で邪魔して、いっそ方向を変えてしまおうか。
今日は私の誕生日。24才になった。彼から連絡はなし。誕生日だけは忘れずにいてくれるかなって期待してたみたい、私。
バースデーケーキが準備されてる。ブルーベリーの実の祝福。ほろほろに崩れるクリームチーズケーキが淡く優しい。
ありがとう。ここに来てよかった。
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