前編 わたしの名前は諸星波矢多

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前編 わたしの名前は諸星波矢多

 思い出したくないことをつい何度も思い返してしまう。  普段はサバサバ系の強い女を演じていながら、全く切り替えが利かないのは悪い癖だ。 「何度目だ、わたし」  こういう状況になっても思い出す。  わたしは今、若者が賑わう週末の神戸を駆けている。  何故こんなことになったのか、さっぱり分からない。  いや、経緯は分かる。だが、何故わたしなのかが分からない。  選りに選って誕生日、そして失恋の翌日。  何故わたしは全裸なのか。  そして何故わたしの身長は六メートルを超えているのか。  話は昨日に戻る。  尼崎の職場に近いフィットネスジムで知り合ったカレ、同じ関東出身だったから親しくなるのに時間は掛からなかった。付き合い始めたのはかれこれ半年ほど前である。  その日はわたしの誕生日。お互いの仕事帰りに待ち合わせ、JRの新快速で移動して三ノ宮で買い物と食事。少し歩いて春日野道寄りの小洒落たシティホテルに入った。  仕事が尼崎なら遊ぶのはどう考えても大阪キタかミナミである。前々からどうにもカレは大阪方面でのデートを避けていると訝しんでいたが、今度こそという想いが邪魔をしたのかもしれない。  事が済み、わたしの後にカレがシャワーに入る。着替える前、まだバスタオル一枚のわたしは床に脱ぎ捨てられたままのカレのジャケットが気になった。  先に拾って少しの間だけでもハンガーに掛けよう——— 殊勝にもそう思って手に取ると、カレの普段使いのスマホとは違う見慣れぬケータイが足元に転がる。  直後、留守電が作動し、ディスプレイに表示されたのは「ちゃん」付けの女の名前である。  わたしはケータイ片手にシャワーを出たカレに詰め寄ると、カレは直ぐに表情を強張らせ、小さな子どもが居る妻帯者だと告白した。 「お前も都合がいいオトコだと思っていたんじゃないのか」  その言葉を聞いた瞬間、頭に血が昇ったわたしは左足を一歩前へ、つま先を僅かに外に向ける。  右腕の肘を一旦背の後ろまで引き、ちょうど野球で言うサイドスローのように腕を伸ばす。そして肩から大きく円を描くように振り抜いた。  更に腰の動きを加えた遠心力によって加速する拳。その人差し指と中指の付け根辺りがカレの左顎にヒットする直前、腕全体の筋肉を硬直させて威力の最大化を図る。 「ふんっ」  まさか女にロシアンフックを見舞われるとは思いもよらなかっただろう。カレはいとも容易く脳震盪を起こし、大きな音を立てて床の上に突っ伏した。  一瞬大振りのストレートに見える拳の軌道は格闘技経験者とて簡単に見切れるものではない。  ふと左横を見ると壁には左右に大きな姿見が設置されていて、バスタオルが落ちて生まれたままのわたしが嘘偽りなく映り込んでいる。  重心を乗せた左脚に一歩後ろに引いた右脚、胸の近くで小さく折り畳んだ左腕と前へ伸ばしきった状態で静止した右腕。  ああ、ちょっと鍛え過ぎたかな。腹筋も割れてきたし、脹脛は子持ち柳葉魚のよう。  まるで進撃の●人の女型のアレだ。  って、わたしは一体なにをやっているのか。(現実逃避)  わたしの名前は「諸星波矢多」。男の子だったら「波矢太」にしたかったらしい。  父の特撮好きが高じて付けられたが、腕っ節が強いのはこの名前の所為だと思いたい。  余談だが、妹の名は「ゆり子」。正気に戻るのが遅いぞ父上。  淡いアッシュベージュのロングヘアは地味目のつもりだが、減り張りがある濃い顔に服の好みは肌見せコーデ。おまけにジム通いともなれば「肉食の女」と思われても仕方ないのだろうか。  浮気に二股、三股と順に経験済み。今度はあわやセフ……… 否、不倫である。これほどまでに泣けてくるレベルアップはない。  オトコを見る目がない女、二十七歳になったばかりのわたし。  決して慣れたかった訳ではないがそれでも慣れた。  思いのほかカレに好意を持っていなかったと言ったら負け惜しみだろうか。  いよいよアラサーという想いがわたしを薄く焦らせていたのかもしれない。  だが、またしても誠意のないオトコを選んでしまった事実が、わたしの衣紋掛けのような肩に重くのし掛かっている。はい、少し自虐しました。  最悪の誕生日。はあ。 ・・・  わたしはその後、一人でホテルを出てJR六甲道駅近くの自宅マンションまでタクシーで帰った。だが、結局朝まで一睡もできず、会社には体調不良と偽って丸一日の有給を頂く。  気分が落ち込んだ時に必ず向かう場所がある。(主に失恋だが)  六甲山——— 兵庫県南東部、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する標高九百三十一・二五メートルの山塊である。東西方向に長い山並みは神戸から阪神間を跨いで大阪市内まで及ぶ。  午後から市バスに乗って約十分、六甲ケーブル下駅から同ケーブルに乗って約一・七キロ、高低差四百九十三・三メートルを同じく約十分。六甲山上駅に隣接する六甲山天覧台TENRAN CAFE。  神戸から大阪平野、和歌山までワイドな景色が一望で見渡せるシックで贅沢なカフェだ。  夜にもなれば「日本新三大夜景都市」に選ばれた一千万ドルの夜景が拝めるが、傷心のわたしには流石に苦痛なので、そこでゆっくりと陽が暮れるまで過ごす。  己れに起こった出来事と広大なスケールの景色を対比して自身を慰めるのである。  人が造り上げたこの景色に比べたら、わたしの失恋など些細なことだ………  平日の昼間だ。客は中年以上のご婦人達がちらほら見掛ける程度で若い人は店員ぐらい。秋もいよいよ本番で空気も肌寒い。閑散とした店内で独り鼻をすするわたし。くすん。  陽が西に傾き、午後四時を過ぎた頃にうつらうつらと睡魔に襲われ始める。  ここで眠ってしまうのは不味い。今日は肩が大きく開いたニットにスキニージーンズと軽装だから、帰り道で身体を冷やしてしまうかもしれない。  わたしは手早く帰り仕度をして席を立つ。朦朧とし始めた意識を強引に奮い起こし、会計を済ませて店を出るとすぐ目の前には六甲山上駅だ。  だが、左手の景色側から急速に接近する「なにか」に気が付いた。  半透明で四方に丸いツノがある星型、下側にはリボン状の脚のようなものが生えている。  そして……… うすらデカい。  は? シルバーブルーメ?  昭和の特撮、七番目の巨大ヒーロー番組に登場する円盤生物の名前である。  なんでこんな単語がスッと出てくるのか……… と考えているうちに意識が途切れた。  ぼんやりと意識が覚醒するわたし。  今、わたしは朱が西に追いやられ、藍に染まりつつある秋の空を眺めている。 〈アー、アー、翻訳テスト翻訳テスト、オーケイ?〉  頭の中に直接響くこの声は一体なんだ? ……… と考えて自身が置かれた状況を顧みる。  どうやらわたしは樹々に囲まれた傾斜面に仰向けに寝ているようだ。  まさか天覧台から落ちた? だが、それらしい痛みは身体から感じられない。 〈シーキューシーキュー、諸星波矢多サン、聞コエマスカ? ドゾー〉  その声は少年とも少女ともつかないアニメ声でわたしの名前を口にした。  驚いたわたしはその声に即座に応答する。 「わ、わたしの頭の中で話しかけるキミは、誰?」 〈アー、ヤット通ジマシタネ。地球人ノ言葉、ムズカシイネー〉  えっ、もしかして、宇宙人? うそ、まじ? なんで巻き舌? 〈ワタシハ遥カ遠イ銀河ノ彼方、M78星雲ノ方カラ来マシタ〉 「方からって「消防署の方から来ました」みたいだなあ」  わたしの反応が鈍いのは、まだ意識が朦朧(寝ぼけて)としているからである。 〈ちょ、ねーちゃん、えらい人聞き悪いなぁ、ワイ詐欺ちゃうでホンマ〉 「なんで急に関西弁………」 〈あ、やっぱこういうのフインキ大事やろ思て。でも邪魔くさいから止めや〉  えぇ………と、わたしは言葉を失うも、その声は意気揚々と言葉を続ける。 〈ワイ、大銀河文明連帯の犯罪捜査官やねん。遠路はるばるオリオン座のNGC 2068から態々地球くんだりまで、宇宙犯罪者ヴィムラーを追ってきたワケや〉  は? なにを言っているんだこいつ……… え、いや待て、この展開は………  この状況にピンと来たわたしはガバと跳ね起きた。周りを見回すと六甲山中の何処かであることには間違いない。次にわたしは自らの身体に視線を落とす。  目の先に見えるわたしの両脚は仄かに白く発光する半透明のなにかに変貌していた。そしてそれは両の腕も胸もお腹も、見える部分の全てが同様の状態になっている。  わたしはあまりの衝撃的事態に思わずその場で立ち上がった。すると周りの樹木が肩辺りまでしかない。六甲山に多いヤブツバキやウリカエデは高さが大体五〜六メートル程度である。  要するに、わたしは半透明で身の丈が六メートル強の巨女になっていたのだ。  しかも『全裸』で。 「はああああああああああああああああああああっっっっ!!!」  これは一体どういうことだ。
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