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青い微笑み
今夜も麻緒衣は夕ご飯を作りに来てくれた。
「だって、毎日佐菜ちゃんにご飯作るって約束したでしょ?」
「そうだけど……毎日じゃ大変だろ? 無理はするなよ」
「無理じゃないもん。作りたいから作るんだもん。それに……」
何か言いかけて、麻緒衣がうつむく。
「佐菜ちゃんにご飯作ってあげられなくなるかもしれないし……」
「・・・・・・」
麻緒衣がまた弱気なこと言った。
数時間には、『わたしはどこにも行けない』と言っていた。
今度は『僕にご飯を作ってあげられなくなる』か……。まるで、麻緒衣がどこか遠くに行ってしまうような言葉だ。いつだって前向きで笑顔を絶やさない麻緒衣らしくない。
「あっ……」
小さくつぶやいて、麻緒衣は自分の口を押さえる。
言うつもりのなかった言葉をつぶやいてしまったことを後悔しているみたいだ。
麻緒衣は取り繕うように笑顔を作ると、ペロッと舌を出した。
「だってだって、佐菜ちゃん、またどこかへお引っ越ししちゃうかもしれないでしょ? そうしたら、ご飯作ってあげられなくなるぅ〜」
「僕はどこにも行かないよ」
「良かったぁ」
ホッとしたような表情で麻緒衣は微笑む。そして、くるりと僕に背を向けると、再び料理に取りかかった。
「今日はねぇ、カニクリームコロッケとオニオングラタンスープだよ。すぐできるから、もう少し待っててね」
「うん」
僕はテレビを見るふりをしながら、麻緒衣の後ろ姿を見つめていた。
「ふんふんふん……♪」
鼻歌交じりで玉葱を刻む麻緒衣。その姿はとても幸せそうに見える。そんな麻緒衣に対し、僕は憧れに似た気持ちを抱いていた。それと、軽い嫉妬も……。
麻緒衣は短所が多い。それも決定的な短所だ。だけど、同時にひときわ優れた長所を持っている。
それに対して僕は……。
今僕には何もない。
短所もなければ長所もない。
それなりに何でも無難にこなせるけど、きわだった個性もない。
目指すべき将来の夢も、見つからない。
別に不幸だとは思わない。けど……決して幸せだとも思えない。
そんなことをぼんやり考えていると、台所からいい香りが漂ってきた。
「佐菜ちゃん、できたよ〜」
「・・・・・・・・・・・・」
「佐菜ちゃん……?」
「・・・・・・・・・・・・」
僕は立ち上がって麻緒衣の顔を見ることができなかった。というより、麻緒衣に僕の顔を見られたくなかった。
何も持っていない自分が恥ずかしくて情けなくて……。
「少し待って、もう少しだから、そっち行くから……」
何とか振り絞って言った。そして、立ち上がろうとした瞬間ーー僕の頬が濡れるのを感じた。
えっ……?
僕、泣いてるの……?
自分でも意識しない内に、僕は涙を流していたようだ。
僕はとっさに麻緒衣から背を向け、涙を拭った。
「ごめんごめん。目にゴミが入ったみたい」
聞かれてもいないのに言い訳を言う僕。よっぽど弱気になってたんだ……。
ふと顔を上げると、目の前に麻緒衣が立っていた。
瞳に大粒の涙を留めている。
「麻緒衣……」
「うっ……うっ……」
「どうして泣いてるんだよ?」
「佐菜ちゃんが泣くから、わたしも泣きたくなるんだ……」
そのひとことに僕はプッと吹き出す。
なぜって、その言葉は昔僕が麻緒衣に言った言葉だからだ。
僕の顔を見て、麻緒衣はやっと泣きやんだ。
「ごめん、ちょっと悩んでたんだ……そしたら、いつの間にか泣いてたみたい」
麻緒衣は優しく微笑むと、僕の隣に座る。
「麻緒衣のことが少し羨ましくなって……」
「えっ……?」
麻緒衣は不思議そうに僕の横顔を見つめる。
「どうして佐菜ちゃんが……わたしなんかのこと……」
「麻緒衣は『なんか』なんかじゃないよ。麻緒衣は凄いよ。料理だって出来るし、将来の夢だって持ってる」
「佐菜ちゃん……」
「けど、僕には何もない……」
「・・・・・・・・・・・・」
しばらく僕を見つめていた麻緒衣が突然立ち上がる。
「麻緒衣?」
麻緒衣は僕深くうなずくと、何も言わず部屋を出ていってしまった。
えっ……?
僕は突然の麻緒衣の行動に戸惑い、呆然としてしまった。
どこに行ったんだろう……? なんてぼんやり考えているとーー。
「麻緒衣?」
麻緒衣は息を切らぜながら、何かを持って帰ってきた。
「どこに行ってたの?」
「はぁはぁ……佐菜ちゃんに……これ、渡したくて……」
そう言って麻緒衣が差し出したのは1冊の本。
その本のタイトルは『青い鳥』。
「読書感想文の本?」
「それもそうなんだけど、佐菜ちゃん、『青い鳥』読んだことある?」
「ないよ」
「ええー! びっくりだよ〜、そんな人、初めて見たよぉ〜」
真剣に驚いている様子の麻緒衣。
見慣れてるくせに、マジマジと僕の顔を見つめてくる。
「バカにするなよ。メーテルリンクの戯曲だろ?」
「お話は知らないのに、書いた人は知ってるんだぁ。なんだか不思議」
「チルチルとミチルだろ? 読んだことなくたって知ってるさ。なんだかキレイ事ばっかりで説教臭かったから敬遠してただけだよ」
「じゃあ、どんなお話?」
「えーと、ようするに、『幸せはすぐ近くにある』ってことだっけ?」
「まあそうなんだけど……んー、それだと50点かなあ」
「50点満点で?」
「100点満点に決まってるでしょー」
「ちぇ、なんでだよ?」
「あの話の本当の意味はね……『すぐ近くにあるはずの幸せを、ちゃんと見つけられるだけの努力をしなさい』、ってこと」
「…………」
麻緒衣の言葉に僕はハッとなった。
その言葉こそ今の僕に1番足りなくて、1番必要な言葉だったから……。
「平凡だっていいんじゃないの?ありきたりとか当たり前とか……それって本当はとっても非凡な、スゴイことなんじゃないのかなぁ?」
「平凡こそ非凡か……哲学みたいだな。というか、そんなシビアな話だったんだ? 知らなかったよ」
麻緒衣は麻緒衣なりの方法で僕を励まそうとしてくれたわけだ。
バカっぽくてドジな麻緒衣が、今日は凄く頼もしく見えるよ……。
「メーテルリンクも、いいもんでしょう?」
「今度読んでみるよ」
「えぇ〜!? せっかく貸してあげようと思ってたのに〜」
「読書感想文用の本を他に借りてて、今はそれで手一杯なんだ」
唇を尖らせてすねる麻緒衣。だけど、次の瞬間、くすくすひとり笑い出した。
「わたし、知ってるんだぁ……ふふっ」
「?」
「佐菜ちゃんには、誰にも真似できない非凡な才能があるもんね。わたしは、ちゃーんと知ってるよ」
「何だよ?」
「えへへ、ナイショだよ。もったいないから、教えてあげなーい」
そう言って、イタズラっぽく笑う麻緒衣。
その笑顔に癒やされた夜だった。
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