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脳ある鷹は爪を隠す
「ふわぁ〜」
僕は宿題をやっつけると、大きく伸びをした。
思いの外集中してたようだ。
気がつくと、日は暮れ、もう夜になっている。
そう言えば、昼から何も食べていない。
さすがにお腹空いたな。
「だけど、この雨じゃ外に買いに行く気にもなれないし……冷蔵庫の中には何も入ってないし……」
僕はがっかりした気分で床に寝転がった。
「ふて寝して、カロリー消費を抑えよう。けど、寝るにもカロリー消費するんだっけ? そういえば、ひとりごとって何キロカロリー使うのかな?」
なんて、ぶつぶつ言っている内に、空腹は限界値まで達した。
非常食の中の非常食、塩をなめて急場をしのごうと決意した時ーー。
誰だろう?
出前の配達が間違えて届けられたとか……?だったらいいんだけど。
「今行きますよ〜」
ドアを開けると、大きな鍋を抱えた麻緒衣が立っていた。
「こんばんは、佐菜ちゃん」
大きな鍋からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
救世主だ!
「佐菜ちゃん、ご飯食べた?」
僕はぶんぶんと首を横に振る。
「良かったぁ〜、ご飯持ってきたよ」
「ありがとう、麻緒衣。ホント助かったよ!腹ぺこだったんだ」
「たっぷりあるから遠慮なく食べてね」
麻緒衣はにっこり微笑むと、テーブルの上に鍋を置いた。
「で、何の料理なの?」
「もうっ、忘れたの? 昨日、リクエストしたでしょ?」
あぁ、そういえば……すっかり忘れてた。ってことは、麻緒衣の手作り……!?
「ビーフすとにょがにょふだよ。じゃーん!」
鍋の中には、ぐつぐつ煮えたビーフすとにょがにょふ……いや、ストのカノフが入っていた。
見た目は……テレビで見たのと同じだ。
匂いも……凄く美味しそう。
ドジな麻緒衣が作ったとは思えない仕上がりに見える。だけど、肝心なのは……味だ。
僕の心配をよそに、麻緒衣はテキパキとした仕草で料理を盛りつけていく。
「初めて作る料理だから、最初は心配だったんだけどね。けっこう上手に作れたと思う。佐菜ちゃんに気に入ってもらえれば、レパートリーにいれようかな」
「う、うん……」
麻緒衣は笑顔で僕にスプーンを手渡す。
「さぁ、召し上がれ」
「い、いただきます……」
僕はふーっと息を吐くと、思い切って食べてみた。
あっ……。
「どうしたの、佐菜ちゃん? おいしくない?」
固まってしまった僕を見て、不安そうな表情になる麻緒衣。
えっと、何て言うか……。
「お口に合わなかった……?」
これは……これは……。
「めちゃくちゃ美味しい!」
「本当? やったぁー!」
麻緒衣は満面の笑顔で飛び上がって喜んだ。
驚いたことに、麻緒衣のに作ったビーフストロガノフは絶品だった!
グルメレポーター風に言うならば、丁寧に下ごしらえされた食材が、繊細な味付けと上品な調合で見事なハーモニーを奏でている。あまりの美味しさに僕は心底驚いた。
麻緒衣に料理の才能があったなんてビックリだ! 小さい頃から麻緒衣はドジばかりで、何の特技もない子だと思っていたから。だけど、こんな隠れた才能を持っていたなんて……信じられない。
「麻緒衣、レストラン開けるんじゃないか?」
「そんな〜佐菜ちゃん、おだてすぎだよ。いちおう女の子だし、料理くらい当然だよ」
「本当に美味しいよ。麻緒衣がこんなに料理が巧いなんて知らなかった」
「白いご飯だなんてリクエストしたりして、ごめんね。信用してないわけじゃなかったけど、ちょっと疑ってた……」
「仕方ないよ。佐菜ちゃんの前では、わたし、ただのドジっ子だもんね」
「内心不味い料理食べさせられると思ってドキドキしたよ」
「ひど〜い」
「だけど、ほんとビックリだよ。麻緒衣、凄いな、見直したよ」
「佐菜ちゃん、大げさだな。わたしはレシピ通りに作っただけなんだから。佐菜ちゃんだって、やれぱできるよ」
素晴らしい料理の才能を持っている麻緒衣。だけど、麻緒衣本人はその凄さに気づいてないみたい。そんな無邪気さは麻緒衣らしいけど。
それから、僕は麻緒衣特製ビーフストロガノフを夢中で平らげた。おかげでお腹は破裂寸前。大満足のディナーだった。
「麻緒衣、片づけなんてしなくていいよ」
「大丈夫、いつもやってるし、慣れてるから」
そう言って、麻緒衣は慣れた手つきで後片づけをし始めた。
麻緒衣の両親は共働きだ。
きっと麻緒衣は小さい頃から家事をこなしてきたんだろう。
僕はそんなことも知らなかった。
家庭的な麻緒衣の後ろ姿を見て、僕は新鮮な驚きを感じていた。
麻緒衣はきっといい奥さんになるだろうな……。
そんなことをぼんやり考えてみる。
「佐菜ちゃん」
「なに?」
「また今度お料理作ってくきてもいい?」
「もちろん、大歓迎だよ」
「リクエストある?」
「そうだなぁ……」
満腹な時に言われても……何も思いつかないよ。しばらく食べ物のことを考えたくないくらいお腹いっぱいで……。
「麻緒衣に任せるよ」
「・・・・・・」
「麻緒衣が作ってくれるものなら、何だって美味しいと思うしさ。作り慣れてる料理でもいいよ」
「・・・・・・わかった。頑張って作るね。佐菜ちゃん、冷蔵庫に卵とか食パンとかいろいろ入れておいたからね。ちゃんとご飯は食べなくちゃダメだよ?」
「ありがとう。助かります」
麻緒衣は何も入っていない僕の部屋の冷蔵庫を見て、ひどく同情したらしい。織部家の食材を持ってきて、僕におすそ分けしてくれたのだ。
「よかったら、明日の朝ご飯も作りに来てあげるよ?」
「ううん。明日は休みで時間もあるし、簡単にものくらいだったら僕も作れるから大丈夫だよ」
「そっか……それじゃ、わたしはそろそろ行くね。もうすぐお父さんとお母さんが家に帰ってくる頃だと思うから」
「うん。ありがとう、麻緒衣。ごちそうさま」
「どういたしまして」
麻緒衣は空っぽになった鍋を抱えて家に帰っていった。
ひとりになって、改めて麻緒衣の秘められた才能について考えた。そして、僕の中にはいったいどんな才能が眠っているのだろうと思った。
もしかして、才能なんて僕にはないのかもしれない……。
そんなことを考えながら、その夜はそのまま眠ってしまった。
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