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弐
――先輩たちから就活都市伝説は色々耳にしてたけど、まさか自分があの世でこんなリクルートにあうとは思っても見なかった。
雇用契約書にサインし、鬼の宿舎に一人部屋をもらい、なかなか寝付けない夜を過ごし――
翌朝、目覚めてすぐ、俺はひたいの違和感に気付いた。
覗き込んだ鏡の中、俺の前髪を割っているのは鬼のツノだ。
基本は人の骨格のままなのに、そこだけ明らかに人間でないのが、やばいくらいぞわぞわする。ものすごいキモさ。
「うわあ……」
呟きを漏らす、顔だって似ても似つかなかった。
顔が変わったから、声も変化している。
「あー、あー」
マイクテストのように声を出してみたが、まったく他人の体を借りている、という感覚だ。
閻魔からは、元人間の鬼が、知り合いに地獄で再会した時の、官民の不正な癒着やトラブルを避けるため――と説明されている。
そりゃあまあそうかもしれないが、罪人側は顔も声も生前のままだから、こちらから見れば知り合いとわかるわけで、なぁ。
複雑だ。死んだばぁちゃんとかと出会わないことを、祈るしかない。
自分の手を刺さないように気を付けながら、こわごわ顔を洗い、閻魔の言っていた教育係の到着を待つ。
彼は指定の時間通りにやって来た。
「衆合地獄のエリア統括長、ゴトーだ。よろしく」
ゴトーさんは三十代前半くらいの男性姿で、痩せており、こう言ってはなんだが、表情や声に陰気な印象があった。
筋骨隆々のTHE・鬼、というよりは、昔の絵巻物に出てくる、幽鬼、みたいな感じ。
だけど、眼光が鋭くて、仕事はできそうに見える。
「衆合地獄……って、昨日閻魔さんが言ってた……」
「ほう。なんとおっしゃっていた?」
「え? 口でしてもらったら、あの、その……なんでもありません」
俺は全然というわけでもないが、ゴトーさんは猥談をまったくしなさそうだ。
お堅そうで、冗談すら理解してもらえなさそうな雰囲気がある。
いきなり教育係相手に大暴投するわけにはいかないので、俺は少し慎重に、伺いを立てるだけにしておいた。
「俺の職場、って、もしかして性犯罪者とか痴漢ばっか――です?」
「そうとも限らん。殺生に、盗み、邪淫……。タテノくんは甕川鹿乃の監督をするのだろう。本庁で彼女の記録は、見たのか?」
「記録? いえ、あの、そんなのがあるって、俺、知らなくて……」
「言い訳はいかんな」
「はい。すみません。近日中に見せてもらいます」
本庁というのが、閻魔のいた、きんきら御殿だ。
住む屋敷は別にあって、あのなりで役所的な役割を果たしているという。
そして本庁の奥には、広大な地獄が広がっている。
八大地獄と八寒地獄、それに付属する多くの小地獄。
人間は生前の罪状によって、本庁で裁きを受け、どこの地獄に振り分けられるか決まるという。
俺の担当は、八大地獄の中にある、衆合地獄というところらしい。
「罪人全員に、監督がつくってわけじゃないんですよね」
「そうだ。それほどこちらも人手があるわけではないからな。鹿乃は特別だ。……少々、手を焼いている」
地獄での時の流れは圧縮されていて、生前の世界では100年といっても、こちらの体感はその何十倍にも当たるのだという。
(大昔は人界で言うところ、約一兆六千億年の苦しみが課せられていたらしいが、「とてもそんな長いこと置いとけない、キャパ的に無理」ということで、時間を圧縮する方向に技術革新を進めたそうだ。閻魔談)
「普通ならとっくに次の転生の準備に入れるくらいの時間を地獄で過ごしているのに、罪を悔い改めようとしないから、いつまで経っても出て行けない……って、ちらっと聞きました」
「そうだ。なかなか手ごわいひとでね」
「ベテランの人たちが手を焼くような罪人を、新人の俺がどうこう……できるんでしょうか」
ゴトーさんは、目の端をわずかに細めた。
もしかしたら、笑ったのかもしれない。ほとんど表情は変わらないままだったが。
「期待しているよ」
……手ごわい罪人の会心か。
ここ、カツ丼の出前って頼めるかな……。
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