ベルフェゴールの探求

1/5
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 この部屋の主の名前はサトコさん。自然な色の黒髪をセミロングまで伸ばしているOLさんで、雨の中にゃーにゃー鳴いてる僕をマンションに連れて帰ってくれた優しい人。そして、寂しい人。  サトコさんには二歳年下の旦那さんがいるんだけど、僕が来る前にケンカして出て行ってしまったらしい。だから、二人暮らしのはずのこの部屋には、今はサトコさんと僕の一人と一匹だけ。  アイボリー基調の壁紙と床材、グレーのソファーには柔らかいクッションがふたつ、ラグの模様は北欧調のリーフ柄。視線を横に向けると、シンプルなダイニングテーブルに、白い背もたれのチェアがふたつ。サトコさんは、いつも台所側のチェアに座る。もう片方のチェアに誰かが座っているところを、僕はまだ見たことがない。おしゃれなんだけど、なんだか寂しい部屋。そう感じるのは、サトコさんの表情が沈んでいるからかもしれない。  僕が拾われてから三日目。梅雨前線が居座る東京の空からは、今日もしとしと雨が降り続いている。 「ごはんをあげましょうね」  それでも僕に話しかけるサトコさんの顔には、うっすらと笑顔が浮かんでいる。僕はお礼の代わりに「にゃあ」と鳴き、小さなお皿に顔を突っ込んでごはんを食べ始めた。ちらりと彼女が持っている袋を見ると、「やわらかササミと野菜」の文字。ちょっと残念。僕は、猫のごはんなら、マグロの缶詰が一番好きなんだよね。そんなわがまま、口に出したりしないけど。  ごはんを食べる僕の背を規則正しく撫でる温かい手の平。小さな唇からは、僕に語り掛ける優しい声が降って来る。  きっと彼女は、旦那さんにも同じように料理をふるまい、食卓に笑顔を咲かせていたのだろう。それなのに、どうして旦那さんはそれらを振り払って出て行ってしまったのか。僕にはさっぱり分からない。  ごはんを平らげた僕が身づくろいをしていると、突然の音楽がリビングに響いた。洗い物をしていて気付くのが少し遅れたサトコさんは、慌てて手を拭いながら台所から出てきた。彼女が手に取る前にスマートフォンは沈黙してしまったのだが、彼女はすぐさま折り返し電話をかけた。  電話の相手はすぐに知れた。 「竜二くん! どうしてたの? 電話には出ないし、メッセージの返事もくれないし!」  リュウジくんは、サトコさんの旦那さんの名前。よく聞かされていたから知っている。 『あー……。漫喫行ったり、ダチの家に転がり込んだり、まぁそんな感じ。連絡できなくて、悪かったな』  僕が初めて聞くリュウジくんの声は、電話越しだけどなかなか渋くていい感じ。でも僕はお行儀のいい猫だから、ふたりの会話なんて聞こえていないふりで身づくろいを続ける。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!