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─cinq─
下では霜田さんと姉との会話が聞こえてくる。今日も彼のテンションは高めのようだ、またしてもマニアックトークで暴走されても私には止められそうもない。このままだと姉を相手に万年筆談義が始まってしまうかもしれない、それはさすがにヤバイので急ぎバッグの中をチェックして下に降りる。
「お待たせ致しました」
私は二人の間に割って入るように声を掛けると、霜田さんは慌てふためいた表情で私を見る。姉の方は至って普段通り、これが何を意味するのか……私は直観ですぐに気付く。
「霜田さん、ひょっとして体調が優れないのですか?」
「いいいいえぇっ、そんなことはないですよっ!」
あ~あ~霜田さん完全に挙動ってるわ、体はこっち向いてるけど視線が若干ずれているもの。私は敢えて気付かぬ振りをしてご無理なさらないでくださいと笑顔で言ってみた。
「だだだ大丈夫ですっ! ささっ、参りましょうかっ!」
本当に大丈夫なのだろうか? そのテンションで運転されるのは違う意味で緊張するわ。
「もししんどいのであれば仰ってくださいね、私運転代わりますから」
「そんなっ、女性に運転などさせられませんっ!」
とテンパり過ぎて何気に失礼なことを吐かしてくれる。言わせてもらうが私は運転がかなり上手い、職場では先代社長の運転手を努めるほどの腕前、女の運転はヘタクソなんて古典的セオリーなんぞ今の時代通用しないのだ。
「行ってらっしゃいなつ。今日は妹を宜しくお願いします」
「畏まりましたっ、お任せくださいっ」
「行ってきます」
私は霜田さんと共に家を出る。彼はしきりに玄関を気にしていて、乗車するだけで随分と時間を食っていた。その後のことはどうでもいいから命ある状態で家に返してください……今日の私はそのことばかりを願う。でいざデートとなると霜田さんの運転は案外まともでホッとした。車内の雰囲気は至って和やか、ただ一つ違うことと言えば……。
「ところで、先程の方は妹さんですか?」
ほぅ、そうきましたか。確かに姉は年齢よりも多少若く見られることが多いけど、私と並んで歳下と見られることはほぼ無い。顔立ちが平凡で凹凸の少ない私もどちらかといえば童顔で、実年齢よりも若く見られる事の方が多いからだ。ん? でも待てよ、『妹を宜しくお願いします』って言って送り出してくれたはずなんだけど。
「いえ、姉というか兄です」
「えぇっ⁉」
霜田さんは素っ頓狂な声を上げて驚いている。はい、お気持ちはよく分かりますよ、見た目は完璧“女性”ですからね。
「ま、まさかお姉様だったなんてっ!」
オイオイそっちかよ? しかも最後まで話聞いてないし。
「あっ、いえっ、そのぉ。夏絵さんってしっかりなさってるからてっきりご長女なのかと……」
えぇ私長女ですのよ、だって家のきょうだい編成は男、女、男、男ですからね。さっき姉イコール兄という説明はしたけど間違いなく記憶に留まってないご様子、今更蒸し返すのも面倒臭いのでこのまま話を進める。
「えぇ、まぁ (長女ですから)」
「それにしてもお綺麗な方でしたね、お名前、伺っても宜しいですか?」
この人ホント素直だわ、興味の有ることには一直線というか何と言うか。
「はるかです」
まぁ正直に答えてあげてる私も私なんだけど。
「どんな字を書かれるんですか?」
「季節の春に香るではるかです」
「お名前もお綺麗なんですね」
「ソウデスネ」
えぇえぇ分かってますよ、アナタの心の変化なんぞ三歳児でも気付くわいな。今日は一応私とのデートのはずなのではなかったのか? ひょっとして思い過ごしだったのか? まぁ今更どうでもいいか、これは完全に詰みましたね。しかしまぁそこまで露骨だと逆に清々しいわ、多分彼の方から断ってくれるだろうから私はただただ黙っておけば宜し。ってかお前から断れ、何なら今すぐこの場で断ってくれても構わん。
「ところで霜田さん?」
「はい、何でしょうか? あっ! 春香さんってお幾つなんですかっ?」
チッ、嫌味の一つくらい言わせろや……とは思ったが敢えて笑顔で応じてやる。
「二つ上ですから三十一です」
「そうですかぁ、歳も近いし話も合いそうですね」
う~んそれはどうだろうか? 言っておくけど姉は万年筆に興味は無いと思う。一応使ってるよ万年筆、日頃使ってる小物だってほぼブランド物だ。仕事柄どこぞの企業のお偉方を相手してるから、頭のてっぺんから足の爪先まで手入れだって行き届いてる。
姉の働くオカマクラブはそこらのキャバクラとは一線を画し、どちらかと言えば高級クラブ寄りの客層なのだ。だからホステスたちもそれに見合った勉強が欠かせないそうで、三十路過ぎても指名数上位でいるにはニコニコ笑っているだけではダメだと毎朝六社の新聞を端から端まで読んでいる。この国の情勢をきっちりと把握して、ありとあらゆるジャンルの最先端情報を網羅し、あとは英語も話せてテーブルマナーも滞りなくこなせて……そら女子力も上がりますよね。霜田さんも年齢の割にはきちんとされてるようだけど、男を見る目が異常に肥えてる姉のお眼鏡に叶うとは正直言って思えない……ってそこまで教えてやる義理立ては無いわよね。
と言っている間に最初の目的地に到着したようだ……と思ったら大型駐車場だった。要はここから歩くのね、別に構わないけどそれなら電車でもよくなかった? 駐車料金って結構馬鹿にならないよ、車出すならもうちょっと自然豊かな場所とかドライブっぽいことがしたかった……って今日で終わるからいいけど。
「夏絵さん。えと、“なっちゃん”と……」
「夏絵さんでいいですよ、ご無理なさらず」
何が“なっちゃん”だ気色悪い、早くも姉 (兄ですけどね)婿気取りかよ。それ以前に私は“なっちゃん”と呼ばれるのが超絶嫌いだ。
『お前“なっちゃん”顔じゃねぇよな』
多分小学生の頃の心無いジョーク (そやつの中では)のつもりだったのだろうが、当時の私はまだまだ乙女で硝子のハートを持っていた。それが一度二度なら構わないけど飽きもせず六年間毎日吐かしてくれたからな。
『だったら呼ばなきゃいいでしょ?』
そう言い返してもそいつは挨拶のようにそれをやめなかった。“継続は力なり”とは言うけれど、その“継続”はどう考えても必要無いだろうがと思うのは私だけではないはずだ。今となっては顔も名前も忘れたけどね。
「あの、夏絵さん? 僕何か失礼なことをしたでしょうか?」
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