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─neuf─
私は厨房のほど近くで待機している満田君と視線が合う。彼はすぐに気付いてくれてメニューを持って来てくれた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「たらこクリームパスタを」
霜田さんはメニューを受け取らずにさっと注文した。この店お気に入りって仰ってたからたらこクリームパスタもきっと食べ慣れてらっしゃるんでしょうね。
「たらこ、お好きなんですか?」
「たらこというよりパスタが好きなんです。夏絵さんは?」
ほぅ、ようやく立ち直ったか?
「パスタは好きですよ。洒落たのよりはナポリタンの方が好きだったりしますけど」
「因みにお気に入りのお店とかありますか?」
へっ? 私の感覚ではナポリタンをわざわざお店で食べたりしない。たまに食べることはあっても姉の手料理の方が美味しいと思う。
「ナポリタンをわざわざお店では頂かないですね、自宅で食べる方が美味しく感じます」
「それはどなたかの手料理でしょうか?」
「えぇ、兄のです」
「春香さんのですかっ? お料理お得意なんですかっ?」
あれ? 何か変なスイッチ入らなかった? 口調が万年筆談義の時っぽくなってますけど。
「春香さんの得意料理って何でしょうかっ?」
「和食、でしょうか。兄の作る豚汁は弟の友達に大人気です」
「わっ私も食べに行っても宜しいでしょうかっ?」
「構いませんけど、夜のお仕事な上に土日祝日は滅多に休みではありませんので」
そうなんですか……霜田さんは見掛けからは想像できないくらいに子供っぽく落ち込んでらっしゃる。これが所謂ギャップ萌えとか言うやつですか? 昨日までの自分であれば多少ときめいたりするんだろうけど今となっては何とも思わない、人の心は案外変わり易いものなのです。
「それでしたら予め約束しておきませんか?」
ん? 約束? ってことはコイツ諦めてないな。意識飛んでた間に男である姉を恋愛対象にできるか考えてたのか……んで結果“抱ける”と、そういう訳ですな。
「兄の予定を聞かないことには何とも……」
私はこの場での返事をぼやかしておくと、満田君が日替わりランチを持ってきてくれた。
「お待たせ致しました、日替わりランチでございます。たらこクリームパスタの方はもうしばらくお待ちくださいませ」
満田君はにこやかな表情で霜田さんにそう伝える。こういう時先に食べちゃってよいものか悩んでしまう質で、早く食べたい! と思う気持ちとは裏腹になかなか箸に手が出せない。
「冷めないうちにお召し上がりくださいね、夏絵さん」
へっ? そんな私の戸惑いに気付いてくれたのか満田君がそっと声を掛けてくれる。霜田さんの前で申し訳ないけど今のはかなりキュンときちゃった! ヤバイ! 私人のこと言えないわ。でもいいわよね? 霜田さんだって姉に夢中なんだから。
「じゃあ、お先に頂きますね」
えぇどうぞ。霜田さんに了承を得てから早速豆腐ハンバーグを頂く。慣れない方との食事はちょっと緊張するけれど、本屋のカフェにしては本格的な味付けで結構美味しい♪ 米もまともに炊けないくせに味覚だけはいっちょ前な冬樹が気に入るだけはある。それから程なくたらこクリームパスタも運ばれてきて、私たちは無言で食事を味わった。
食後、支払いを済ませてお店を出る際に満田君に声を掛けられた。
「落とし物ですよ」
そう言われて私は持ち物チェックをしたけれど何も落としていない。
「僕の連絡先です、気が向いたらで良いので」
とそっと一枚のメモを渡された。えっ? これって誘われてます? 私は落とし物を拾ってもらった体でありがとうございますと返し、メモを受け取ってお店を後にした。
とまぁ初めからフラレててもはやデートとすら言えないお出掛けを終え、霜田さんに自宅まで送ってもらった。
「今日はありがとうございました」
そいじゃ、てな感じで家に入ろうかと思ったら事もあろうに姉がお帰りと出迎えてくれた。
「なつ、折角だから霜田さんも上がってもらったら?」
「えええぇぇっ! よっ宜しいのですかっ?」
霜田さん完全に舞い上がってますね、でも車停められないよ。まぁ秋都のバイクと冬樹の原チャをちょっとどかせば問題ないけど。
「じゃああきとふゆのそれどかそうか」
私は姉に荷物を預けてバイクと原チャに近付く。冬樹の原チャくらいなら片手でいけるけどさすがにバイクはちと重い。
「ねぇ、これ車庫に入れちゃった方がよくない?」
「そうね」
姉は荷物を玄関に置いてから車庫のシャッターを開けてくれた。私はそのまま車庫まで歩いて冬樹の原チャを収納、それから秋都のバイクっと。普通じゃ考えられないらしくて自転車が如く端に寄せる私の姿に霜田さん固まっちゃってる。
「夏絵さん、それ四百のバイク、ですよね?」
「えぇ、中型二輪のサイズですから」
と姉が代わりに答えてくれる。それが一体何なのかしら? 秋都の友達はもっとデカくているイカツイの乗ってるからこのサイズって普通なのよね?
「バイクってかなり重いですよね? そんな軽々と動かせる方、男でもそういませんよ」
「あぁ、そうらしいですね」
私は彼の驚きを軽く受け流し、ちょこっとだけ土が付いた洋服をパンッとはたく。
「じゃあお姉ちゃん、霜田さんのこと宜しく。先に手を洗って着替えてくる」
私は霜田さんを姉に任せて家の中に入ると、冬樹がリビングから顔を出していた。
「お帰りなつ姉ちゃん、例のやつ買ってきてくれたんだよね?」
「ただいま、この中に入ってるから勝手に持ってっちゃって」
私は冬樹に本屋の袋を渡して洗面所に入る。あっ、口止めされてること話しとかないと。
「ふゆー、値段の件は他所で言わないで欲しいって」
『だろうねぇ~、このクオリティーで千二百円なんてありえないもんね~。でもよく見つけてきたね~、最低でも桁一個は違うと思うよ~』
マジでかっ! どんだけ高いんだその本!
「正規で買った方が安いじゃない」
『それなら誰も苦労しないよ~、だってとっくに絶版されてるも~ん』
絶版されてるってことは相当売れなかったってことよね? にしたってそこまで大事にされてこなかった本ってのも珍しいわよ。本屋の方も仰ってたけどキズ物なのが一種のステイタス的なこと仰ってたなと考えていたら、玄関から明らかに霜田さんではない方の声でこんちゃ~! と複数の声が聞こえてきた。この声は秋都の友達連中だ。
『はる姉さんの飯食いに来たっす!』
その声と共に玄関に向かう足音が聞こえてくる。
『いらっしゃ〜い、あき兄ちゃんまだ帰ってきてないけど〜。取り敢えず上がっちゃって〜』
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