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夜に向かう旅
沈んだ太陽に温められた海水が立ち上って雲となって、空を覆っている。だから月明かりも星明りもなく、海から遠ざかれば真っ暗闇で、絶え間なく雪が降り続けている。
ジャングルと砂漠で育った少年にとって、雪と言うのは遠い山脈の稜線をいろどる白のことでしかなかった。それが膝を埋めるほどに降り積もり、大気を凍らせ、動物も植物も区別なく死に追いやる。暗闇の中では、大気の中に混じりこんだ、見えない氷のつぶてとしか感じられない。
「本当にその恰好で大丈夫なのですか」
後ろを歩く少女を振り返って訊ねた。
「あ、じゃあ脱いでもいいですか」
「いや違う、そうじゃない」
少女は、裸で浜にうちあげられていた。少女、と仮に言っているが、人でも神でもなく、魂を容れてはいても生き物ではない。服を着せるとき、少しもめた。
※
「あなたにはこれから、少し旅をしてもらいます。状況も、旅の道筋そのものも、少し困難です。私が全力であなたを守ります。ついてきてくれますか」
人でも神でもない者に対しては、どんな話し方をすればいいのだろうか。少し戸惑いながら少年は言った。
「大丈夫です。だいたいわかっています」
少女は、少女のように見えるその存在は、穏やかな笑顔でそう言った。
「靴と服を用意してきました。私は後ろを向いています。身に着けてください」
「私、必要ありませんよ」
「は?」
「服、着なくても大丈夫です」
「いや、雪積もってますよ、寒いですよ」
「私そういう感覚がそもそもないですし、むしろ冷やさないとまずいんですよ。お腹に太陽入ってるんで」
「いや、でも目立つじゃないですか」
「あの真っ暗なほうにむかっていくんでしょ。誰にも見えませんよ」
「俺が困るから、恥ずかしいから!」
ぷっ、と少女は吹き出し、あははは、ととくべつ上品でもない感じで笑った。
「ごめんなさい、ちょっと言ってみただけです。私を迎えに来た人が、どんなひとか知りたかったから」
切り替えたように笑いをひっこめ、黒い瞳で少年の目をまっすぐに見つめて、少女は言った。少年は目をそらした。
※
そんなやりとりがあってから、少女はおとなしく服を着たのだが、靴だけはまともに履いたものの、全身を覆うように作られた毛皮の上下は、袖を引きちぎり、裾を短く切り詰め、ひどく動きやすそうなものに作り変えられてしまった。
少女は食事をとらず、眠りもしなかった。定期的に、大量の水を必要とするだけだった。いたるところにある雪をとかせばいいだけだったから、たいした苦労ではなかったが、あらためてこの美しい存在が、生き物ですらないことを少年は思うのだった。
海辺を発ってから、少年は三度眠った。その間に山を二つ越えて、今、三つ目の頂だった。振り返ると、空の端に血の色をした帯が広がっていた。沈んだ太陽の名残はそれだけだった。行く手を見下ろした。
闇がわだかまる谷あいに、火の手があがるのが見えた。
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