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護るべき世界
暗闇の中の炎は、距離感がつかみづらい。猟師の焚火のようにも、山火事のようにも見える。だが、炎の筋が走るように縦横に延び、瞬く間に燃え広がっているのを見て、焼かれているのは街なのだと悟った。
おそらくはティカル。かつては数万の人口を誇った都市国家だ。偶然にあのような燃え方はしない。何者かが火をつけている。山賊の大規模なものか、隣国のシカンか。あるいは、エスパニアの軍隊か。
気にはなったが、しかし、少年には任務があった。かかわっている余裕はなかったし、じっさい、一人で何ができるわけでもなかった。
「小さい女の子が泣いています。お母さんを呼んでいます」
少女が嫌なことを言った。
「見えるのですか、ここから」
「見えも聞こえもしません。ただ、心の中のことが伝わってくるんです」
「ああいうことは、たびたびあるのです。メシーカのほうでは、生贄にする人間を得るために、おたがいに戦争をしかけあうと言います。私たちにはするべきことがあります。失敗することのできない使命です」
「だから、気づかなかったふりをして通り過ぎると?」
「もう燃え広がってしまった火を、今から消しにいけというんですか?」
「じゃあ、答えてください。あなたが暗闇から救い出そうとしているものは何ですか。護りたいと思っているのは、どんな世界ですか」
「私は神官戦士です。両の手で仕える者です。志などありません。護りたいのは、あなただけです」
「私が人間の女の子だったら、その言葉はきっとうれしいのだろうけれど」
少年は、父の顔も母の顔も覚えていなかった。思い出せる最初の記憶は、空腹とやけどの痛み、廃墟とその空に立ち上る煙。腐りかけた食べ物をあさってよろよろと歩く飢えた人々。奴隷商人。修道院の下の農園。神官学校。空っぽの心のまま生きてきた。神官戦士としての自負以外、支えるものは何もなかった。そういう自分だったから、永劫神官たちに選ばれたのだ――
少年は、物思いからふと我に返った。
少女の黒い瞳が、まっすぐに自分を見つめていた。心の中をのぞかれたのだと悟った。
そして、もうひとつのことに気づいた。
何者かが、灯りも持たず、ほとんど足音もたてずに、石を投げれば当たるほどの距離まで、忍び寄っていた。
少年は即座に立ち上がった。背負った弓を取り、矢をつがえるまでの動作を、一瞬で終わらせていた。ジャガーの目を使う。思ったよりも小柄な、線の細い人の姿が、闇を赤く切り抜いたように浮かび上がる。
影は言った。
「ああ、アタシのことは気にしないで、そのままイチャついていてくれていいいんだぜ」
「ふざけるな。私の弓は、今すぐにでもお前の心臓を貫くぞ」
「怖いなあ。ちょっと相談があるんだけど、殺す前に聞くだけ聞いてくれないか?」
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