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そんな小沼くんに、私はまた、あの顔をさせてしまった。
あの顔を――小学五年生の頃、下校時刻をとうに過ぎた夕方、外は雨が降り夜みたいに暗く、蛍光灯の下、放課後の保健室。泣き出しそうな小沼くん。
「小沼くんのせいじゃないよ」
大人になった私は、あの頃よりも多少は強くなり、自分を取り巻く世の中は教室だけでないことを知った。
あの頃とは違うことを言えたのに、目の前にいる小沼くんは、なのに当時と同じ表情をしていた。
「ごめん……芹沢」
うん。まあ、小沼くんは多少自覚はあるものの、自分のその端正な顔立ちや、真っ直ぐいい感じに育った中身が周囲に与える影響について、もう少し気をつけたほうがいいのかもしれないけど。
出張のお土産だと私の大好物なバウムクーヘンを、この日の午前中、偶然給湯室で会った小沼くんから渡されたのだ。いつも出張ついでに社内の休憩スペースに置くお土産を買ってくる小沼くんは優しく、なんて出来た男だ。個人的に私にも買ってきてくれる小沼くんは本当に素晴らしい。
ただ……見られていたのだ。小沼くんを気に入っている先輩の女子社員に。
いつも秘密裏だったお土産手渡し現場を発見され、先輩のご機嫌を損ねてしまい、梅雨真っ只中の止まないどしゃ降りの雨の中郵便局と銀行に行かされた。因みに、それは今日絶対にやらなければいけない業務ではなく……。
そうして、テンプレ的に残業を押し付けられ……。
特に帰ってすることもないし、周囲が静かで人の気配がないほうが個人的には作業が捗る。窓にあたる雨音がかき消されず響くなんて、社内ではなかなか体験できないことだ。単調な残業の内容も、別に嫌じゃない。
今日のここに至るまでのあれこれは、特に心を痛めるものではなかった。それは私が多少なりとも強くなったからかもしれない。何かあればそれなりに対処も出来るようになったし、そもそも、平気だとかもう無理とか、考えるまでもいかない出来事だ。
作業も終わり、パソコンの電源をオフにして机の上を整理する。そうして伸びをして顔を上げたところ、正面にある窓ガラスに反射した社内の景色に、小沼くんの姿があった。
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