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それの存在に気が付いたのは、神さまを居間へ運び込んだ直後の事。昏睡する彼女を畳に寝かせようと背から下ろした刹那、私は彼女の手に魚が収まっているのを見つけたのです。
「ただの軽口だったのに、何でやり遂げちまったかねぇ。……さぞ苦戦した事だろうな」
私が調べた時には魚もすっかり事切れており、ピチピチと抵抗する様子もありませんでした。そこまで獲物を弱らせるのに、どれだけの時間と体力を消費したのか。少なくとも体温を奪われて死にかけるくらいには、彼女が壮絶な勝負を繰り広げていたのは明白でした。
「流石は神さまだな。こんな不合理なお務めだって、立派にこなしてみせるんだから。……ああ、格好良いさ」
例えどんな災難に見舞われようと、己の信念を真っ直ぐに貫き、不可能に立ち向かって行くその生き様。それは模範的な神の姿であり、私が心から尊敬するあり方でした。……でも。
「……なあ、神さま。こんな事言うのもどうかと思うけど……俺、貴女が少し怖いよ」
彼女は信仰の象徴として、あまりに完璧でした。……完璧過ぎたのです。理想に準ずるため、全てを投げ打つ覚悟を彼女は持っていました。しかし理想を達成するために、こうも命を容易く投げ捨ててしまえる覚悟は……そんな生き様すら置き去りにする死に様は、私にはどうも認め難いものだったのです。
「教えてくれよ、神さま。どうして俺の要求を素直に呑んだりしたんだ? 命を落とすのが恐ろしくはなかったのか? ……何が貴女をそこまで駆り立てた!?」
私は何も見ていませんでした。彼女の姿も、手拭いの中の魚も、辺りに立ち込める暗闇すら眼中に無し。誰の事も見ていない私が口走ったのは、誰に向けた訳でもない、ただの独り言。返事をする者など一人としているまい。……そう……思っていたのに……
「……ソレハ、私ガ神ニ戻リタカッタカラデス」
「……!?」
……神様は本当に意地が悪い。私はまだ決められていなかったのです。彼女が戻ってきてくれたその時、最初にどんな言葉を掛けるべきなのか、迷っている最中だったんです。そんな私にできた事と言えば、ぼやけて滲んで不明瞭な視界で、彼女を見つめる事くらいのもの。
「……アレ、眷属サマ? 貴方ノ目、何ダカオカシイデスヨ。瞳ガ潤ンデフヤケテ……一体ドウシタンデスカ?」
……彼女は至って平常でした。少し前まで死にかけていたのが嘘のように、淡々と語り掛けてくるのです。その上どうでも良いような事に目を向けてきて……良くも悪くも、いつもの神さまがそこにはいました。
私は片腕で思いっきり目を擦り、曖昧な視野をくっきりさせようとしました。そうして目に映ったのは、仰向けになりながらこちらを見上げるいつもの彼女。そのぽやんとした顔に思う事は沢山ありました。……が。
「……馬鹿、何でもないやい!」
飛び出たのは謝罪でも説教でも無い、くだらない軽口。それは決して本心から伝えたかった事ではありません。……それでも実の所、私はそんな会話をずっと欲していたのかもしれません。死とは縁遠いくだらない日常のやり取りは、何だか懐かしく感じられました。
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