序章 育った太陽

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序章 育った太陽

 これはよくある話。   「おっきくなったらね、ひー兄ちゃんとけっこんする!」  可愛がっていた近所の子にプロポーズをされた。ままごとみたいな光景に、周りの大人は微笑んでいた。申し込まれた俺とて同じだ。  でも、その言葉を宝物のように扱ったのは、誰にも言えない秘密だった。胸の奥にそっとしまうと、まるで小さな太陽でも手に入れたようで、ただただ胸が温かかった。  余裕をもって「ありがとな」と言えるくらいの、歳の差だった。  なんせ、初めて会ったのはその子がまだよちよち歩きをしていた頃。求婚されたのは、まだ世間の常識にとらわれない五歳児だった。恋愛対象として見るにはあまりに遠く、何よりその子は男の子。  とはいえ、懐かれることは素直に嬉しかった。  だって、自分に価値があるように思えた。名前を呼ばれる度に縋っていたのは、俺の方だったかもしれない。  父には捨てられた。  と、母は酒を飲む度に愚痴った。それでも母なりに人並みの生活を保とうと、必死に働いてくれた。しかし、俺が十歳の頃にとうとう決断する。敬遠してきた実家を頼る覚悟を、だ。  両親とはほぼ縁が切れていた。祖母が時折電話を寄越してなければ、母にこの選択肢は無かったのかもしれない。  祖父母との対面は初めてで、双方共に涙を誘うものではなかった。それでも、追い返されることなく住まわせてもらえたのは、やはり祖母のおかげだったと思う。  距離感を計りながらの日々は肩身が狭く、息が詰まった。そんな俺を一番気に掛けてくれたのも祖母。  祖父は眼光鋭く無口な人だが、母と顔を合わせた時だけは違った。  二人は昔から仲が悪く、母も常に喧嘩腰に構えているので拍車をかけた。些細な小言から説教へ、最後には怒号が飛び交った。その度に祖母は俺を避難させようと、用事を言い付ける。  近所へ買い物、回覧板のお届け、老人会で管理をしている花壇の水やり。最も多いのが、向かいの煤原(すすはら)家へおかずのお裾分けを持って行くことだった。相手方も事情を知っていたのか、大抵はそのまま引き留められた。 「お菓子作り過ぎちゃって~食べるの手伝って?」「おばさん疲れちゃってねぇ、ちょっと子供のこと見てもらっていい?」「お礼に夕飯ごちそうしちゃう、ね?」    初めのうちは遠慮したし、混乱した。けれど、祖母と煤原家の奥さんが自分を気遣っているのだと察し、次第に拒めなくなった。何より、居心地が良いのだ。  世の中にはこういう家庭がある。それを知った。  優しい両親が欲しかった。兄弟がいたらと憧れる。ここの家族になりたい、とまで夢を見た。    煤原家にはお転婆な女の子がいた。俺に求婚した「子」のお姉さんだ。  友達が苛められていると知れば喧嘩をしかける男勝りな女の子で、よくおばさんは学校に呼び出されていた。電話越しで「申し訳ございませんでした」とぺこぺこ頭を下げるのも数えきれぬほど見かけた。  でも、おばさんは長女を叱りつけなかった。かならず理由を問う。向き合い、手を繋ぎ、目を合わせて丁寧に言葉を重ねる。そして最後には不服そうに「ごめんなさい」と小さな謝罪が聞えるのだ。その後の空気はなぜか和やかで、いつも通り居心地が良かった。  煤原家で過ごす時間が増えると、同時に母との距離は開いた。  母は出掛けることも多く、家を避けるようになった。単に祖父と喧嘩をしたくないからか。それとも……。  それ以上、想像を広げたくなかった。だって疲れるから。母の機嫌を窺うのも、怒鳴り声を聞くのも嫌。縋って泣かれるのはもっと辛かった。  そんな冷たい心を見破られたのかもしれない。  母は唐突に言った。 「ここを出て、また母さんと二人でやっていきましょう」  頼る当てがあるの、と真っ赤な唇で告げた。  新しい父親を見つけたから、兄弟も増えて賑やかになる。お金の心配もいらない。これからはずっと家にいるから、いつも一緒よ。  そう熱心に俺を説き伏せるが、俺の心はどんどん冷えていった。 「嫌だ」  不思議なほどハッキリと拒絶できた。瞬間、頬を打たれた。  皮膚の痛みより、母の眼差しに痺れを覚えた。親の敵のように睨み付け、その瞳は水を張ったように濡れていた。    間もなく母は姿を消した。  学校から帰ってきて荷物が無くなっていることに気付いた。が、誰にも言えなかった。普段から家を空けることは珍しくなかったので、すぐには騒がれないだろう。だから、だからもう少し……。  もう少し、事実を先延ばしにしてどうしたかったのか。  母に捨てられた、という現実を受け入れがたかった? そんなまさか。母を拒んだのは俺で、捨てたのはむしろ自分の方だ。母が苦しんでいるのも、いなくなるのも分かっていた。気付いていたのに、無言を貫いた。  母を追い詰めたのはまぎれもなく自分だった。  それでもここに居たい。ここで生きていきたい、という本心から目を背けなかった。  母がいなくなって一週間も経たないうちだった。  学校から帰ってきたら、勉強机に千円札が三枚おかれていた。  祖父の仕業である。  祖父とは滅多に口を利かないし、嫌われているとずっと思っていた。けれど、共に暮らすようになって三年も経てば口下手で、不器用なだけだと分かる。こうして毎月そっと小遣いをくれるようになった。礼を述べに行くと、「あぁ」と短い返事のみ寄越すのだ。けれど、その日は違った。居間のちゃぶ台で新聞を広げ、食い入るように読みながら一息に言った。まるで、心の中でずっと練習していた台詞を吐き出すように。 「あいつはよそに男を作ってお前を捨てた。もう死んだと思え」  記事の話でもしているのか。はたまた独り言か。 「これからは三人でやっていくぞ」  その微動だにしない背中を見つめ、理解した。  傷つけられたのか、慰められたのかよく分からなかった。確かなことは、ここに居てもいいと許されたことだった。  少しの違和感もないまま、日々は穏やかに過ぎた。  しかし、俺が高校進学を迎えた頃に祖母が病に倒れ、入院してしまった。男二人の家に明かりを点けたのは煤原家であり、何よりも「その子」だった。毎日遊びに来て、滅多に表情を動かさない祖父を笑わせてくれた。小学生になっても、中学生になっても変わらない笑顔で賑わせてくれた。  変わったのは俺の方だった。 「その子」はいつだって俺にとって可愛い弟で、家族同然に大切な子。  なのに、それ以上の感情を自分の中で見つけてしまった。  寝顔をただ愛しい、と眺めていられない。寝息を零す唇に触れたかった。丸く柔らかな頬を撫でて、指通りの良い髪を梳いてやりたい。  でも駄目なんだ。  制止する声が、自分の異常さを知らしめた。  距離をとるべきだと猛烈に気付いた。  女性に夢中になるべきだ。普通であるべきだと激しく藻掻いたが無駄だった。  世間でいうところの青春時代を費やし、葛藤しまくった果てに認めた気持ちはもはや不動のもの。  大学生活も半ばの頃に悟った。  俺はゲイで、一回りも年下の子を好きになる変態。しかも弟のように可愛がっていた子に欲情する異常者だ。  これから先、どんな人に出会おうとこの想いが覆ることはあり得ない。  彼の世話をずっと焼きたい。  愛おしくてどおしようもないんだ。  自分の気持ちを認めると、どうやって折り合いを付けようかと考えるようになった。本人に打ち明けるつもりはない。その選択肢は除外する。  傍に居たい。一生関わっていきたい。その為には、秘する以外の道はないと判断した。  大丈夫。  もうずっと、プロポーズをされた時から小さな太陽をもらっている。それを宝物にして、近所の頼れる「兄」として存在出来たら充分幸せだ。  思いの丈をぶつけて楽になれるのは自分だけ。相手の負担にはなりたくない。    「ひー兄聞いて。俺、彼女が出来たんだ」「結婚が決まってさ」「子供が生まれるんだよ」  そんな風に、彼は喜び勇んで逐一報告してくるだろう。  あらゆる事態を想像して、今から傷つかない練習をするんだ。  それが、今俺にできる最善のこと。
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