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その後2 秦のご祝儀
待ち時間の消化に文庫本を開き、一杯の珈琲で喫茶店に居座っている。
「あの~、お注ぎしますか?」
「あぁ、どうもありがとうございます。お願いします」
グラスに水を足してもらうのはこれで二回目だ。
「すみません。そろそろ来ると思うので、注文はその時に」
白いエプロンを身につけた女性スタッフは、ツインテールを揺らして「はい」と頷く。仕事に支障をきたしそうなフレアスカートを翻し、別の席へと向かう。
ここはそういうお店ではないが、制服が可愛いと噂の喫茶店だった。メニューは唯一つで、ワッフル。珈琲の美味さにも定評がある。と、教えてくれたのは瑠璃さんだ。
「いらっしゃいませ」
カラコン、と入口のベルが鳴る。本から目を上げると、ようやく待ち人が来たと分かり、手を挙げた。
「あ、あ~、秦!」
どうやら紺は、メイド服に度肝を抜かれていたようだ。僕を見つけるや頬を緩め、慌ててこちらへ駆けてきた。
「あれ、今日はスカート穿いてないの?」
「は?」
暗に遅い、と責めたかったが、間抜けな紺は僕の嫌味に気付かない。「それちょーだい」と言って僕のお冷やをごくごく飲む。こういうことを自然にやってのけるのが紺が紺たるゆえんだ。
「女の子は支度に時間がかかるからね」
更なる追撃にようやく、紺の目が丸くなった。
「……ばっ! 馬鹿、そんっ」
「はい、決めて」
怒鳴りかけたところで尽かさずメニューを差し出す。ツインテールのスタッフさんも来たので慌てて悩み始めた。
走ってきたのか、髪が乱れている。頬も鼻頭もほんのり赤らみ、肌の白さが際立っていた。そしておそらく、紺の脳裏には以前経験した女装を思い出し、羞恥のあまり瞳まで潤んでいった。涙を零す一歩手前の顔がどれほど魅力的で、ある種の刺激を促すとは一ミリの自覚もない。とことん質が悪いと思う。
「秦は決めた?」
「うん。チョコバナナワッフル」
「あー、俺も俺も。ストロベリーも捨てがたいけど、やっぱチョコだなぁ。あと、ミルクティーも欲しい」
注文を終えてメニューを下げてもらうと、紺は改めて自分のお冷やを飲み干した。それから店内の様子を観察していると、後方で大きな笑い声があがり、誘われるように振り向いた。その際、羽織っていたパーカーが肩から零れ、鎖骨の辺りに鬱血した痕を発見した。
「……その服、サイズ合ってないね」
「あ、これ? ひー兄の着てきちゃってさ」
「ふぅん」
羽織り直した紺は、誰かさんを思い出して浮かれた表情をみせた。
「キスマーク、丸見えだけど」
「え……、え? えっ!?」
「やらしー」
「あ、ちがっ……、う、ごめん」
僕への気遣いだろうか、慌ててチャックを締めた。
「別に今更だけどね」
「だ、大体、秦がいきなり来い、なんて言うから焦ったの。荷物のチェックしてたのにさ」
「あぁ、明日の結婚式ね」
紺がハッと息を吸い込んだ時、ワッフルが運ばれて来た。早速ナイフとフォークを手に、食べやすいサイズに切る。
「そ、その結婚式ってわざわざ言わなくていいから」
「なんで? 今更恥ずかしがることないよ。純白のドレスまで用意したんだから」
「ド、ドレスじゃない、ワンピース!」
「そこ拘るねぇ」
あの日、貸衣装の店やフォーマルな専門店まで梯子して、紺はとことん着せ替え人形にされていた。着替えを手伝ってくれるスタッフさんに、瑠璃さんは「妹は胸の小ささがコンプレックスなんです」と深刻そうに伝えたり、「これが旦那なんですよ」と平人さんを紹介したりと遊び尽くした。あの時の紺は、もはや正常な判断もままならず、「もう何でもいいから選んで!」と泣きながら平人さんに選択を委ねた。結局、あのショタコン趣味らしく、レースやら花の刺繍やらがふんだんにあしらわれたAラインのシフォンドレスとなった。
まぁ、確かに一番似合っていたけど。
そして、ドレスではなくワンピースと言った方が心のダメージが軽減できるらしく、必ず「ワンピース」と言い直してくる。
「それにしても、まさか結婚式だなんてね。さすが瑠璃さんの両親って感じ」
「……ただ、分かりやすく結婚するって言っただけなのに、現実になるなんてさ。色々ぶっとびすぎだよね」
はぁ、と溜息を吐きながらワッフルを刻み、ぱくりと口にする紺。その目がたちまち輝き、僕に声なき声を寄越してくる。
「口の中で溶けてくよね。美味しいでしょ」
紺は大きく頷きながらワッフルに夢中になっていく。怒ったりガッカリしたり、喜んだりと忙しい。一分経てば表情が変わるのだ。
紺は基本、単純である。だからこそ、嫌がりながらも女装させられたり着せ替え人形になったりしても、最後には笑って済ませてしまう。
玩具である。一台欲しい。
「で、急に呼び出して渡したいものがあるって何?」
「あぁ、そうそう。一応独身最後ってことだし、デートしとこうかと思って」
決して、ミルクティーを飲むタイミングを待っていたわけではないが、運悪く重なり、派手に「ぶっ、ごほっ」と咽せさせた。
「も、もーさ、変なこと言うなって。何も変わんないよ、秦とは大学も一緒だし、どーせしょっちゅう家にも来るじゃん」
「まぁ、そうなんだけど」
手の甲で口を拭うと、改めて飲み直した紺は、「明日も一緒の車に乗ってくのにさ」と肩を竦めた。
そう。面白いこと……有り難いことに、僕も友人代表として今回の旅に呼ばれている。
「でもさ、みんなの前だと渡しづらいしね」
椅子の背に引っかけておいたショルダーバッグから、用意した餞別を取りだし、紺へ差し出した。
「ほら、ご祝儀だよ」
「ごしゅうぎ!?」
「みたいなもの」
「みたいな、もの??」
反応に困った紺は、難しい顔を作って手渡されたものを裏返したり掲げたりして眺める。
茶紙に包まれた掌サイズのそれには、一応赤いリボンシールが付いている。
「え、え……えと、ありがと。なんか吃驚して、へへ。開けていい?」
「ん~、いいけど。恥ずかしいなぁ」
「え~? 秦が照れるとかレアだね。見ちゃお」
上機嫌になった紺は、いそいそと封を開け、中身を出した。
「ん? なにこれ。食べ物??」
透明なフィルムに包まれた細長い箱を、先程のようにまたひっくり返して観察する。
「驚異の薄さ? お試しローションつき?」
おいおい、読み上げちゃってるよ。面白すぎる。
「お得な三十枚パック?? なにこれ」
小首を傾げる紺の眉間には、深々と皺が刻まれた。
「……ボケてるわけでは、ない?」
「どういうこと?」
僕の戸惑った様子に若干焦ったのか、紺は蓋を開けだした。
いや、ここで広げちゃさすがに不味い。
「紺、本気で分からないの?」
「え? ご、ごめん。せっかくくれたのに」
腰を浮かせ、その手を止めさせた。
そして、お人好しな紺は友達の誠意が分からなくて悄然となる。その表情は沈痛そのもので、僕への気遣いがありありと見てとれた。
ここで僕は、ある可能性を憂慮した。
まさか、使ったことがない?
「あー、謝ることはないけど、紺、避妊具使わないの?」
R18ワードはもちろん声をおとし、ズバリ訊ねてみた。ちなみにここでもう一つ、「避妊具」の意味が分からないと言い出さないか心配した。
「な、な、なに言ってんの馬鹿!」
あ、さすがにそれは分かるか。
顔中真っ赤にした紺を見て、複雑ながらホッとした。
「つ、つーか、え、これ? そうなの? は!? なんでこれが祝儀になんの!?」
が、紺の動揺は加速していく。正体の知れたプレゼントを持て余し、お手玉のように転がしていた。
「使ったことないの?」
「つ、使うわけ、ないじゃん! だ、だって、これ、女の子、が、でしょ? お、俺、赤ちゃんとか、できない、し」
必死に言葉を選んでいるようだが、紺が喋ると大変卑猥に聞こえる。
というか、待てよ?
確か、瑠璃さんが言っていた。
平人さんは紺のパパさんとある「約束」をしている。受験と高校卒業を無事に終え、結婚式を挙げてから「節度」を破っても良いと。つまり、セックス解禁だ。しかし、僕と瑠璃さんもそんなものはとっくに破っていて、やりたい放題やっちゃっていると思っていた。
だって、もし僕が平人さんだったらそんなの絶対に守れない。
ストーカー並の執着をみせ、陰ひなたに恋心を募らせてきた平人さんだ。いくら僕や瑠璃さんが邪魔しても到底、阻止できるものではないはず。紺にはそれほどの魅力があるし、何より、平人さんの可愛がりようといったら、もう鬱陶しくて、目が潰れる災害レベルだ。
そんな平人さんが、ゴムなしでセックスをするはずがない。断言できる。
つまり、あの生真面目なショタコンは、律儀に約束を守っている!
きたる新婚初夜で事に及ぼうと計画しているんだ。間違いない。
「くっ、くっ……く、あはははは!」
「え、ちょっ、なに? 何で急に笑い出すの?」
平人さんには、全く、本当に敵わない。
「こ、紺……、ふふ、ははっ」
喋りたくても、なかなか笑いがおさまらなくてしばらく腹を抱えた。呼吸困難になったほどだ。危ない危ない。
紺はプレゼントを両手で挟んだまま、周囲の目を気にしてぺこぺこ頭を下げていた。
「紺、おめでと」
「え?」
「結婚、おめでとう。いつまでも平人さんと仲良くね」
判然としないまま、それでも紺は嬉しかったんだろう。愛らしく頬を染め、こくりと頷いた。
「それ、初夜に使ってね。絶対に必要だから」
「う、うん。ひー兄に、聞いてみる」
……。
「あはははっ! 瑠璃さん、瑠璃さんに電話、電話するっ」
「え、なんで?!」
「もしもーし、もしもし瑠璃さん!」
ポケットからスマホを取りだし、電話を掛けるふりをして紺をからかった。
後で報告しよう。
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