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あぁ、此処は知っている。
ギィ、と鈍い音を立てて木製のドアを開ける。
「…明?」
少し痩せた様に見える、年配の人がこちらを向く。
もう寝る所だったのか、部屋は暗くベットからガバリと起き上がっていた。
「とう、さん」
私を保護施設から引き取った、私の父さん。
「これは、夢なのか、こっち、こっちへおいで明」
恐る恐る手招きする父の手は少し皺が目立つ。
「ゆめ…夢だよ。夢なんだよ父さん。だって、私死んじゃったもん」
えへ、と近寄りながら茶化してみると、ガバッと抱き締められた。
「とうとう私も精神を病んでしまったのか…いや、それでもいい。良いんだ、明。お前にまた会えたんだから」
「もうこれきりだよ、父さんが寂しいかなと思って来ただけだから」
嘘だ。これは私の夢なのだから、いつ来れるとか判らない。
「明、私の可愛い明。…どうしてもお前に謝りたかったんだ…」
掠れた、か細い声は記憶の中の声より大分頼りない。
世界に知られる心理カウンセラーとして有名だった義父は、優しい声と性格で皆から評価されていた。
この人がこんな姿を見せるとは誰も思わないだろう。私も、思わなかった。初めて見た、彼の憔悴した顔。
「なんでよ。それより父さん、なんで写真立て伏せてんの?わたしあれお気に入りなんだから。」
「お前を、過去の思い出にしたくなかったんだ」
肩からず、と鼻水の啜る音が聞こえる。肩につけられても困るんだけど、そんな啜らなくても。
「すまんかった、すまんかった明…いくら謝っても許されないのはわかっている…才覚が、羽があったからと言ってすぐに旅立たせるべきじゃなかった。金には困ってない、社会勉強なんかさせるべきじゃなかった…」
「ねえねえ待ってよ何の話?よくわかんないんだけど」
後悔を綴るかの様に一気に喋りだす父さんの言葉をさえぎる。
「お前を、戦場に送り出すべきじゃなかった。死なせてしまったのは、私が手放したから、行ってこいと、逃げ場を無くしたからなんだ…」
ぎう、と抱き締められた力が強くなったのは気のせいじゃないだろう。
「大学にいって楽しい事をもっとさせてあげるべきだった。教科書を取り上げて、そんな事はいいから友達と遊んでこいと言うべきだった、紛争地帯に行かせることなんか、嫌われても止めるべきだった…」
ごめんなぁ、ごめんなぁと壊れた様にいう彼に、身勝手に腹が立った。
父さんは、凄い人なんだ。
私なんかのせいで、止まってちゃ駄目だからさ。
「父さん!なに勘違いしてるかしらないけど、全部私が決めた事だからね!」
がば、とひっぺはがして顔を見るとぐちゃぐちゃの顔をしていた。
「全部自分で決めた。知りたいと思ったから教えてくれたんでしょ。友達と遊ぶより父さんと勉強してる方が楽しかったから一緒にいたし、みんなの為になりたいって思ったから紛争地帯に行った。全部私の責任なのに父さんが全部取らないで!…私の、せいだから」
ぎゅ、とまた父さんの顔が歪む。
「明、そんなこと」
「分からず屋!そんなこと言うために会いにきたんじゃないんだけど!」
動きが止まる。
責めに来たんじゃ、ないのか
そんなことを、言外に言われた気がする。
そんな人間だと思われてた方が心外だ。
「父さん。私、父さんのもとに来れてよかった。愛してくれて、ありがとう。大変なことも、忙しい時もあったのに、変わらず私を一番に抱き締めに来てくれてありがとう。父さんが、十分な愛情をあげれなかったってこぼしてたの知ってるけど、私には抱え切れないくらいの好きをもらったんだよ。孤児だった有象無象から、私を救ってくれてありがとう。父さんのこと、大好きだよ。今も昔も、私の父さんは父さんだけだよ。だーいすき。本当に、ありがとう」
ちゅ、と頬に一つキスを落とすとさらにまた泣き出した。
「そんなこと…私がお前にやれたことなんて数える程しかない…こんないい子に育ったのは、お前がいい子だからだよ、お前は有象無象の一人なんかじゃない、お前は俺の大事な娘だ。血が繋がってなく、ても、お前は…」
声を詰まらせ泣く父親の肩をとん、と叩く。
「父さんと一緒に居た時が一番楽しかったよ。今改めてそう思う。」
「今?」
「今世、があるんだよ。内緒ね?頑張ってるよ私。中々。失敗もたくさんするけど」
私の顔を改めて見つめ直されても。
…やっぱり少し痩せたかなぁ。私が死んでからどれくらいの時がたったんだろう。
「…何か困ってることはないか?父さんがしてやれることはないか?」
おろおろとする彼はようやく通常運転に戻った様で。
「…大丈夫、だよ」
「嘘だろう」
真剣に見つめ返された瞳。
「何か、辛いことがあるから来たんだろう。こんなに細くなってしまって」
あぁ、この人は誤魔化せない。
「わ、私ね」
ぎゅ、ともう一度抱きしめられる。
「今どうしていいかわかんないの。何を、なにをしていい、のか、わかん、なくて、みん、なと一緒の立場に、も、なれ、ないし、い、居場所も、なく、て、い、生きる意味が、わ、わかんな、くて」
ひぐ、と嗚咽が混じる泣き声を静かに聞く父親。
「わた、私、頑張ってるん、だけ、ど、みんな、私のこと、でき、できる子だって、いう、から、もっとがん、頑張らなきゃって」
止められない、ずっと心に留めていた言葉が溢れ出す。
「私、す、凄い人じゃないの。頭が、良いわけでも、なくて、みんな、ほ、褒めてくれるほどす、凄くなくて、も、もう無理なの、辛い、生きてて、辛いの」
死にたい
その言葉が、ぽろっと出た瞬間自分の気持ちに気づいた。
死にたいのか、自分は。
父さんといた時間があまりにも楽しくて、今世とのギャップに内心絶望していた。
みんな褒めてくれるのは、私がたまたま成功したから。次は、それ以上の事をしないと。
私の居場所なんて、努力しないとすぐに消えてしまう。
その重圧に、いつしか心が潰れてしまった。
「そうか。明はよく頑張ってるんだなぁ。本当に偉い。自慢の娘だよ、お前は」
「じ、自慢じゃ、ない、なにも、でき、ない」
「そんなことないさ。一生懸命がむしゃらに頑張ってる。息抜きしても、いいんだ。ちょっと止まるんだよ。立ち止まって休憩しなさい。逃げてもいいんだ。嫌になったら逃げなさい。嫌にさせる方が悪いんだから元気に逃げなさい。それで、どうしても嫌になったら死になさい。死にたい時に死になさい。ただし、心残りがない時にね。お前は、俺の自慢の娘だよ。胸を張って行きなさいな。そんな気を詰めなくていいんだ。リラックスで好きな事だけやってなさい。私が責任取れないのが残念だけど、君なら政府を壊滅させることもきっと出来るよ。やりたいならやりなさい。すっきりすると思うよ。お前と俺は遠いところに居るけど、忘れないで。心の距離は一番近いんだから。嫌になったらいつでも帰ってきなさい。私の、唯一の可愛い可愛い愛娘よ」
指から光が出て消えていく。
もう、時間切れなのだと悟った。
「大好き、父さん。私を育ててくれてありがとう」
「大好きだよ、明。私の元に来てくれてありがとう」
意識が遠のいていく。
ピピ、という電子音で今日も目が覚める。
今日も、また少し頑張れそうだ。
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