5―6

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 これが亜空間……  俺は周囲を見渡しどこまでも茫洋とした光景を前にあっけにとられていた。初めて直に体験する謎めいた空間だ。  曇り空……鈍い灰色の空が頭上に、そして地平線に広がっている。それ以外の視界を埋め尽くすのは一面の荒野だった。濃淡はあれどほぼ焦げ茶色の世界。昨日頭のなかに送られたビジョンで何度も見た光景である。天候が異なったり地面の色、砂の色が異なるだけだ。  ベリアルは俺から離れ、十メートルは距離をとってから地面に腰を下ろしあぐらをかく。まるで俺に対する興味を失い、俺という存在が無いかのように彼は目を閉じて集中している。気を練っているのがわかる。彼の俺に対する扱いは“立会人”のように思える。  ローレンツが到着するのに時間は掛からなかった。来たのは彼ひとりだ。俺の目の前の宙空に黒い穴が開き、その縦になった穴から彼は横に出てきた。すでに戦闘態勢であり周囲の空気ががらりと変わる。硬質な空気となって息苦しくさえある。  ベリアルは大地から立ち上がり彼もまた戦闘態勢に入り、俺のようなビギナーからすると向き合うだけで怖くて仕方がない。  ローレンツが移動し俺とも距離をとってちょうど三人の位置が正三角形の形となった。俺から見て左にベリアル。右にローレンツ。俺の右肩にバシリカがいる。  俺はそこから更に五メートルほど後ろに下がり立会人として振る舞うことにした。この場の空間は完全にふたりの世界になっており俺が入り込む余地などまったくなかったからだ。危険を感じたらいつでも待避できるよう心の準備をする。  口を開いたのはローレンツだった。 「仲間は呼ばんのか」 「今回は必要ない。お前に付き合うつもりでこの機会を用意してる」 「妙だな。なぜ私の意を汲んだ行動をとるんだ? なぜわかった?」 「我々の付き合いは長い。お前が私闘を望み──つまり機関の人員を巻き込まずだ──決着をつけたがってるのは容易に推察できる」 「私闘はその通りだが、巽くんがいる……物理的にはチームだぞ。ずいぶん甘いな」 「いやお前は共闘はしないだろ」 「そうかな? 彼のなかで目覚めを待つイリンクスはうずうずしているようだがね」 「本能のみがな。本当の復活にはあと何年か掛かろう……さて、始めようじゃないか」 「ああ」  俺は小声でバシリカに尋ねた。 「イリンクスって誰?」 「昔、軍の大将だった人。それくらいしか知らない」  遠くからベリアルが言った。 「ああ巽くん、イリンクスというのは先代の俺……先代ベリアルの肉体を、自身と自分の部隊もろとも消滅させた凄まじい男の名だ。憎悪もあるがそれはそれとして、正直、立場を無視すればリスペクトすら感じる偉大な武人だった」  ドン!と地響きを伴う衝撃音が鳴り、ローレンツの右拳がベリアルのクロスガードを捉えていた。そこからの攻撃の交錯は、俺には一部しか見えなかった。  共闘などできるわけがない、でたらめな速度でふたりの戦いは繰り広げられている。耳をつんざく衝撃音と、顔の肉が風圧で歪む衝撃波が俺を襲っていた。内臓にまで響くそれらは俺をただただ恐怖におののかせた。  肉弾戦のなかで交錯するパンチと蹴りはやがて俺の目にも把握できるようになってゆく。俺の慣れと、たぶん戦う両者の疲労からだろう。最初からふたりは全開だった。防御していても血しぶきを交わしながら互いに傷を負っておりそれは見るみるうちに増えていく。もう両者の頭から赤い血が流れ出していた。  俺の目から見て情勢はローレンツ優勢に感じる。ローレンツにはわずかに余裕が見てとれる。過去に二度勝っているということで地力に勝るのは彼の方なのだろう。だが互いに疲弊しているのも確かでスタミナまでは俺には掴めない。悪魔族はよりタフなのかもしれない──  ひときわ大きな衝撃音が鳴り響き、ローレンツの右フックがベリアルの胸板にクレーターを穿っていた。両者が離れ、動きが止まる。ベリアルは腰からくだけ地面に右手をついた。  ごほっと口から血を吐いて、また吐いたあと体をぶるぶると震わせた。 「く……そ……」とベリアル。  と、ローレンツもふらっと体を揺らしたあと片膝を地面についた。 「ローレンツ……!」とバシリカがつぶやく。  右フックは直撃だった。が、どうやらこの一撃でエネルギーを使い切ったようでローレンツの肉体からは覇気が失せている。一方でベリアルは、ベリアルの目は活力に溢れている。雰囲気としてはまだなにかを隠し持っているような不穏なものが彼の肉体には漂っている。  俺の出番か、と俺は思った。一歩足を踏み出す。しかし俺の動きをローレンツが制した。 「待て巽。……ベリアルはもう充分には動けん……飛び立って逃げることすらできん」  そうか。確かに。この状況なら飛ぶなり移動サークルを使うなりして──ああ、移動サークルは使う際に隙ができるか。その無防備な瞬間に攻撃を受けるだろう。離脱には使いにくいと思われる──いったん離脱して回復を図った方が賢明というものだろう。ベリアルもまた活動のエネルギーを使い果たしているのだ。  よろよろとローレンツは立ち上がり、するとその右手にはいつの間にか拳銃が握られていた。黄金の銃である。 「え!」とバシリカが声を上げた。 「だ、だめですローレンツ!」 「なにがだめなんだ?」と俺。 「あれは消滅法を使う時の銃で、つまり殺すための銃なのよ。あたしたちの任務は生け捕りのはず」 「そうなのか?」 「でも使えないか……消滅法は銃を使う人の生体エネルギーを使うから……」 と言ったあとバシリカははっと何かに気づいて押し黙った。
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