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第十一章
幾度か、この歪んだ関係から逃れようとしたこともある。
いつものように俊紀の家で、葡萄酒を飲んでいた。蓄音機がブラァムスの交響曲を流している。重厚な音が室内に響き渡る。
二人の間には、以前のような会話は無くなっていた。時々、俊紀が社交界の話題を振り、それに対して、言葉少なに芳明が答える。
俊紀は、芳明が飲んでいた白葡萄酒が底をついたのを確認して、手を伸ばして来た。
「よして下さい。私は話しをするために伺ったのです」
芳明の強い拒絶に、意外にも俊紀はあっさりと手を引いた。
「申し訳ありません」
そうしてまた、社交界の話を始める。
その態度は、全ての選択権が芳明の手にあると、言っているように見える。しかし、それもまた俊紀の巧みな操作だと、芳明は気づいていた。
もしも俊紀が、拒絶を無視して、自分の感情のままに行動したなら、芳明は即座にここを出ていけるのだ。もう二度とお会いしたくありません。そう言い捨てて。
芳明が拒絶する。俊紀が手を引く。もう、芳明には出て行く理由が無くなってしまう。
決して、俊紀は無理強いをしなかった。
しかし、浅ましいことに、一時間も経たぬ内に、芳明は拒絶に使った手を伸ばしてしまう。そう、話をするだけなら、わざわざここに来る必要はない。
自らの言葉に嘲笑を投げかける。なにを気取っているのだ?
この倒錯した関係を、躊躇いもなく受け入れるようになってしまった自らを軽蔑する、芳明の苦悩には気付かぬように、俊紀は優しく抱き締める。
芳明は、俊紀の耳元で溜息を吐いた。それによって、壊れ物を扱うかのような手に、荒々しさが増すことを知っていたからだ。
(もっと荒々しい愛撫を。もっと強い快楽を)
求めれば求めるほど、後に襲い掛かる自己嫌悪に苦しむと分かっていながら、芳明は自分を止められずにいた。
(私は何をしているのだろう。何を求めているのだろう)
考えても考えても、答えが出て来ることはない。一生を共にする人以外の肌を知るなど、ふしだらであると考えられた、昔というほど遠くない過去。もうあの頃の芳明では無い。自覚している。それでも尚、自ら犯す不貞を、直視できずにいる。
夜明けが近かった。景色が朧気ながら、形を成す。気温が急に下がり、芳明は俊紀に、更に寄り添った。背にぬくもりを感じながら、寝台から庭を眺める。歪みを成した硝子が、庭の木々を陽炎のように見せる。
人形が二人を見つめる。
(お前は今も、見ているのだな。静かに、生きていない振りをして。
お前は、日の光を受けて漸く、眠りに就くのか? 夜の世界にだけに生きるのか?)
心の中で話し掛けるが、人形は何も返さなかった。
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