初日

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 夜が訪れると、外には狼の遠吠えが響き渡っていた。おそらく、他の村人達も自分の家で震えながら、夜明けを待ちわびているのだろう。黒いカーテンにホログラムをパラパラと撒いたような作り物の空には、呆れるほど大きな黄色い満月が昇っている。  自分の家らしき場所は、入ってみれば小さくて貧相だが、住めば都、しばらく過ごしてみると、元々この世界に住んでいたからだろうか、違和感は次第に消えていき、まるで一人暮らしをしているかのような気分になる。棚には本が多く並び、入りきらなくて床に置いてある。探偵事務所のようなものはこの家の隣にあって、そこも結局は小さく、机と資料こそあれど、ビルの一階層部分を切り取ったかのような小屋だった。  昼のうちは大して恐怖も感じなかったが、夜になると直ぐ近くに迫る死の恐怖というものからは逃れられなかった。なんとか不安を押し殺そうと、寝心地のいいベッドに入ったとき、鈴の鳴るような音が聞こえた。リン、リン、と高く小さな音だった。  その瞬間、私はベッドから出ていた。私を呼んでいるのだと、なぜか直感的に理解をした。私が立ち上がって部屋を出ようとすると、それを肯定するように鈴の音は一層大きくなる。  鈴の音は家の外から聞こえた。外は少し肌寒く、何か薄いものを羽織りたくなる気温だった。まるで不幸な少女が外に出たのを喜ぶかのように、狼は一吠えした。  足を止めてしまうほどの恐怖が私を包み込んでも、鈴の音は絶えずに鳴っていた。私を導こうとしているのだ。途中からは走って鈴の音を追いかけた。  そして辿り着いたのは、ミオンの家だった。私はまず、がっかりした。ミオンが鈴を鳴らしているのだとすれば、実験とか、からかいに違い無いからだ。扉を開けた瞬間、ははは、やっぱり来ると思ったよ、と得意げに笑われてしまっては、今までの私の不安が全て無駄になる。自分から危険を冒すような真似をする人はいない。  大きく溜め息を吐いてから──少しも気乗りしないけれど──ドアを叩いた。二度ノックするも、返事は無い。どうやら遊ばれているようだ。  もう一度ノックをすると、やっとドアノブが回る。 「……どちら様?」  ドアノブが止まった。弱々しいミオンの声は、まるで触れたらすぐに壊れてしまいそうなガラスの彫刻のようだ。 「探偵をやっています、ユリと申します」  昼間に行った自己紹介のような口調で言うと、ミオンはしばし黙った後、扉を少しだけ開いた。隙間からは、ミオンの桃色の瞳がぎらぎらと光って見える。  けれども、ミオンの顔には彼女らしい憎たらしげな笑顔は浮かんでいない。それどころか、唇をきゅっと一文字に締め、背の高い私を見上げるような顔をしていた。 「鈴の音を、聞いたの?」 「え? はい、そうです。貴女が鳴らしてるんじゃなかったんですか?」 「違う……聞いたけど、外に出られなかったんだよ。さぁ、入って」 「は? 俺が人狼という可能性は考えないんですか? 不用心過ぎません?」 「早く入って」  私より少しだけ背の低いミオンは、懸命に私の腕を引くと、扉をすぐに閉めて鍵をかけた。  部屋には、私の家よりさらに多くの本棚が並び、壁際には様々なファイルが置かれた机がある。物があちこちに落ちていて決して綺麗とは言えない。  ミオンはほとんど物だらけの床に布団を敷き、そこに私を座らせた。それから、栞がたくさん挟まれた本を持って来て、二人の間に置いた。そして、改まって私を見据える。 「どうやら僕らは、《共有者》に選ばれたらしい」  驚きでも落胆でもなくまず、はぁ、と情けない声が出た。もちろん、よりによって此奴となのか、とか、そんなファンタジー有り得るかよ、とか、言いたいことはたくさんあったが、正直呆れてしまった。 「僕達は互いが《人狼》や《狂人》、《妖狐》でないことを知ることができる。きっと僕達が《共有者》だって宣言すれば、共に行動することも可能だろうね」 「それで? 《共有者》なんだから何だって言うんですか?」 「君は探偵でしょう? 少しくらい頭を使ってみなよ」  ミオンはよく毒を吐くが、いつもよりは語調が優しく、顔が険しくなることも無かった。楽しそうに笑うと、回答を心待ちにしたようにじっと私のことを見つめていた。 「……確実に潔白な人間が話し合いをリードできる」 「そうだよ。明日からは夜じゃなくて夕方にでも集まって、僕達で策を練ろう。できるだけ犠牲を出さずに殺し合いを終わらせるためにも、ね」  私がまた溜め息を吐くと、また面倒臭がって、と苦笑しながら、ミオンは持っていた本を開いた。昔の本なのか、紙は少し黄ばんでいて、かすかに黴びた臭いが漂ってくる。栞が挟まったページを開くと、そこには人狼伝説についての記述がされていた。 「役職数はおそらく、伝説通りならシスターに説明された通りだ。そして、《人狼》を除く、裏切り者は《狂人》と《妖狐》の二人。《狂人》が意図的に《人狼》を復活させたんだ」 「裏切り者、ねぇ。狂ってる輩の気持ちは分からない」 「本当、大方はミカちゃんが話してくれた通りだよ。まるであの子はゲームマスターのようだ」  ミオンは本を閉じると、わざとらしく口角を上げた。ミオンが言いたいことはだいたい表情から分かる。ミオンは嫌味が大好きだから、聞き慣れていると本音がすぐに理解できてしまう。 「要は、貴女はミカを裏切り者だと疑ってるんですね」 「大正解だよ。まぁ、ゲーム上の裏切り者というよりは、もっと根本的な裏切り者の方を指すんだけどね。僕は最初、君が裏切り者だと思ってたんだけど、身の潔白が証明されちゃった以上はなァ」 「俺はただの被害者ですが? で、ミカに聞けば何か分かる、と?」 「そうだよ。ってことで、明日は裁判前にミカちゃんに会いに行こうよ」  私が苛立ちを見せても、ミオンはおとなげなくかわしてしまう。だが、クールな探偵という役が与えられた以上、私はクールでなければならないのだ。おそらく、作者である風香は、決まった性格の役者が揃うことを望んだだろうし、そうでないと物語は進まないのだろう。  ミオンは満足そうに頷くと、人狼伝説の書かれた本を閉じてメモを取り出した。何かが緻密に書かれているのは確かだが、ミオンの文字は雑すぎて読めそうにない──字を丁寧に書くことを面倒臭がる私が指摘できることではないのだが。 「明日からの進行はどうしたらいいのかな」 「貴女なら分かってるでしょう」 「もちろん。《占い師》にはすぐに出てもらうよ、そして《人狼》が見つかり次第処刑をする。 もしも《人狼》が見つからなかった場合は、自称(占い師)以外の人から選ばなきゃなくなるから、少しでも選択肢を減らすために《霊能者》と《共有者》が出る」 「《占い師》が二人以上出て、《人狼》が二人以上出たら?」 「片方を殺して、《霊能者》に頼るしか無いんじゃないかな」 「《霊能者》が二人以上出たら?」 「おそらく、そのうち結果は分かれるはず。そこまではどちらの目線でも勝てるように何とかするしか無いんじゃないかい?」  質問攻めをしても揺るがないところはさすがミオンだと言うほか無い。元来ミオンは頭の回転が速い方だ。学力で言えば二番手だが、閃きと推理力は探偵の私より優れているだろう。あとは性格が良ければ完璧だ。  いいんじゃないですか、と答えると、ミオンは、面倒臭がらないでよ、と口調だけ鋭くして笑った。こういうときに大目に見てくれるのが、自分の先輩なのだと実感させられる。 「そうそう、僕は結構酷いことを言うけど、君に信用を買ってもらうつもりでいるからさ。僕は疑われても構わないけど、ときには僕の意見を全否定して信用を取りに行ってね」 「は? 何でですか?」 「皆のために、そういう役柄が必要だからだよ」  ミオンは得意げにそう言った。彼女はたとえ演じなくとも信用を買われない人だろう。宣言しようが宣言しまいが、対処するのが面倒なことに変わりは無い。  魂を共有する人間を選べないというのが残念だ。私の魂すらも自分の好奇心で弄んでしまいそうだからだ。  ゲームで遊ぶかのような会話は、疲労と安堵をくれる。眠気が襲ってきたので、ミオンの話にうとうとしながら答えていたのだが、ミオンは桃色の瞳を細めて口角をきゅっと上げる。 「あはは、眠いなら帰った方がいいよ。君は寝なきゃ死ぬタイプの人間だろうからね。僕はもう少し調べてみるよ」 「はぁ。貴女も俺と同じ『人間』じゃないですか」 「僕は『飯よりも睡眠よりも好奇心を優先するタイプの人間』なんだよ。じゃあ、また明日会おうね」  ミオンは私が家を出るまで後ろにいた。突然に刺されて、このゲームは全部ドッキリなんだ、と言われる可能性も無くはないな、と何度か振り向くと、ミオンは肩を竦めて両手を開いてみせた。私の考えはお見通しだったらしい。  素直に従い、家を出てから振り向くと、ミオンは扉の隙間から少しだけ顔を出して手を振っていた。明日からは殺されるかもしれないというのに、随分と呑気な様子だ。  不幸な少女は暗い夜道を自分の家へ向かって歩いていく。もう狼の遠吠えは聞こえず、微風が吹く音が耳元で聞こえるだけだった。落ちてきそうなほどに重たく見える満月は、少しずつ地平線に消え始めている。  行きの恐怖はすっかり無くなって、私は家に帰るなりすぐに布団に入り込んだ。たとえここが異世界でも、布団の愛おしさは変わらない。
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