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プロローグ
私にとってのありふれた半日授業の放課後といえば、ご飯も食べずにさっさと教室を出て、一人で帰るものだ。別に友達がいないわけではないけれど、部活動に無理に出る必要も無いので、誰かと昼ご飯を食べて盛りあがる必要も無いのだ。
そう考えれば、今日はそもそもありふれた日ではなかったのかもしれない──今日は私の部活動の一つ、演劇部の公演日だった。同じクラスの友達である結城流風と雲雀杏も演劇部所属なので、私はのんびりしたい昼下がりだが、二人ははしゃいでいた。
「緊張するなぁ、もうそろそろ本番だよ?」
「友梨さんは結構余裕そうだねー」
杏はどこか落ち着かない様子でそわそわしているが、反対に流風は緊張の欠片も無い間延びした声で話しかけてくる。
人付き合いは面倒だが、そんなことはバレないように笑顔を作り、少し明るい声で応答して立ちあがった。二人は私の反応に嬉しそうに微笑み、また話し始める。
廊下を歩いている最中も、お喋りな二人の話は止まらなかった。昼下がりといえば眠気に襲われる時間だ。二人がまさに女子高生らしく話題をあちらこちらに飛ばして話しているのを聞き流していた。
そんな二人の役は、流風がポジティブな踊り子、杏が狡猾な医者だ。流風は元々ダンス部に所属しているし、杏は医者を目指しているから、職業だけ見れば二人に相応しいだろ。
今回は部員皆でくじ引きをして役を決めた。私の役は、クールな探偵というものだった。今回の脚本の作者である部長・音無風香曰く、私に一番向いている役職らしい。
私は二年生になって杏と流風に誘われて演劇部に入っただけなので、役に対して特に文句を言う立場ではないが、気掛かりなのは、このようにやる気の無い私が主人公であることだ。
「友梨は主人公だもんね、頑張ってよ?」
「あぁ、うん。頑張ってみるよ」
「友梨さんは台詞覚えるの早かったよねー」
「そんなに難しい台詞は無かったからな」
台詞を覚えるのはそんなに苦痛ではない。何より苦痛なのが、上手くない演技をすることだ。たかが学校の部活動、と言えてしまえば良かったのだが、我が高校の演劇部の公演はとても人気なので、いっそう面倒なのだ。
なぜなのか。
ミステリアスな主人と召使いを演じる二人に問題がある。演劇部唯一の男子生徒、榊原兄弟だ。
廊下で見かけた二人は、喧嘩するほど仲が良い、ということを証明するかのように、言い争いをしながら歩いていた。
「結局、台詞覚えたのかよ? 昨日グダグダだったじゃん、あれじゃあ召使いどころか、俺の奴隷だぜ」
「君こそ、何度も噛みまくってたべ?」
二人を見かけた流風と杏が挨拶すると、瑠衣は穏やかに微笑み、こんにちは、と返してきた。
「今日もとっても綺麗ですね、友梨さん」
「は? 馬鹿にしてるの?」
「先輩をからかうのはやめときなよ」
「お前はもっと媚を売ったら?」
強気で軟派、今時の高校生そのものである榊原瑠衣と、弱気で硬派、少し引っ込み思案な榊原拓馬。二人は、文化祭においてよく行われている「ミス/ミスター光が丘決定戦」とかいう馬鹿みたいな企画にて、一年生の部で一位と二位を並んで獲ったルックスの持ち主だ。
オールマイティな能力を持っている兄、学年トップといわれる秀才の弟。なんでこの学校に来てしまったのか分からない、少女漫画から飛び出してきたような一卵性双生児だった。
その実態は、ナルシシズムを極めた兄とコミュ障の弟というものだが、これは演劇部員の一部のみ知るものだ。とはいえ、誰も彼の本当の顔を知らないくせに、イケメンオーラに負けて殺到するのだ。
「いやー、瑠衣君と拓馬君のおかげでいっぱいになっちゃうねー」
「俺のおかげじゃありませんよ、先輩方の演技力のおかげです。俺が呼んだのは彼女だけですから」
「お熱いねぇ」
「あの人が追っかけなんですよ」
四人で話がさらに盛り上がるのを横目で見つつ、私は一番端で話を聞いていた。
瑠衣の話題に上がった彼女というのは、私の知り合いでもある先輩、早乙女由紀のことだ。「とあるトラブルメーカー」のせいであるということ以外の、二人の馴れ初めは知らない。良くも悪くもごく普通の女子生徒に瑠衣が告白され、それを承諾したらしい。なんとも少女漫画チックな話が現実になってしまった。
それ以来、近所に住む由紀からは瑠衣のことを何度も聞かれるわ、惚気話を聞かされるわ、そのせいで瑠衣と関わる機会が多くなり、いつの間にか瑠衣から雑な扱いをされるようになっていた。
由紀と瑠衣の仲のいいエピソードをぼんやりと聞いていると、あっという間に部室に着いた。先に来ていた雲母奏と東雲柚子は、私たちが入ってくると顔を上げた。この二人は同じクラスで、昔からの親友らしい。
「こんにちは。もうそろそろ始まっちゃうね!」
「奏もうちも早く来ちゃって。皆を待ってたんよ」
最初に返事をしたのは拓馬だった。いつものように奏に頭を撫でられていて、まるで飼い犬のように扱われている。三人もあまり緊張していないようで、さっそくゲームの話を始めた。特に奏と柚子は廃ゲーマーの類だ。「あのトラブルメーカー」のせいで二人と仲良くなった拓馬も、結構な頻度で一緒にゲームをしているらしい。
男性にしては少し長い髪を弄りながら、顔をほんのりと赤くして、拓馬は二人の話を聞いていた。聞く話によれば、少し前から奏と付き合っているらしい。
奏と柚子の役職は、それぞれ姉貴肌の料理家、ダウナーな手芸屋というものだった。確かに奏はかなり面倒見が良い方で、とても同い年とは思えないし、柚子は引きこもりがちなところがあって面倒臭がりだ──私も人のことは言えないが。かなり似合っていると思う。奏の趣味はお菓子作り、柚子の趣味は手芸というのにも合っていて、つくづくくじ引きのキャスティングには敬服するばかりだ。
「あ、私の衣装だー! もしかして柚子さんが作ったんですかー?」
「あぁ、うん、そうだよ。奏にも手伝ってもらったんやけどねぇ」
「でも、柚子ちゃんがほとんど縫ったんでしょ?」
「え、いやぁ、よくやってることだよ」
流風が、凄いです、と言って楽しそうに迫ってくる。こういうのに慣れてないのか、柚子はおろおろしながら何度もぺこぺこ頭を下げていた。まったく悪気は無いことは分かっているだろうが、柚子は流風に褒められた分謙遜しているようだ。
流風の言うとおり、柚子の作った衣装は凝っていて丁寧なものだった。全てが布から作ったというわけでなく、既製品も混じっていてリアリティがあった。
私の探偵服というのもただの探偵服ではなく、クールな探偵というのを踏まえている。マントが付いていて、女性探偵だがスマートに細めのスラックスを合わせている。どうやらファッションセンスも持ち合わせているらしい。
衣装を着て、高校生らしく写真を撮って皆が盛りあがっているのを尻目に、台本を確認していると、背後から声を掛けられた。集中している時に話しかけられるのはあまり好きではない。振り向くのも面倒だったが、名前を呼ばれれば振り向かざるをえない。
「友梨さん、さっそく練習ですか? さすがです!」
「やっぱり主役は違うな! 俺も確認しとかないとなぁ」
目を輝かせているのは天羽美琴で、その隣で頬を掻いているのは小鳥遊愛だ。美琴は好奇心旺盛な新聞記者、愛は正義感の強い騎士という役を貰っている。
「愛さんには本当にあの役が合ってますね!」
「美琴さんも遂に皮肉が言えるようになったんですね」
「えっ、皮肉を言ったつもりはないんですが……」
美琴はきょとんとして私の言葉に首を傾げた。私は、愛は良くも悪くも愚直だと思うのだが。
物語の主人公にはむしろ美琴の方が向いているのではないか、と風香に話したことがある。だが、風香は、今回の物語は駄目なの、と楽しそうに却下した。
なぜなら、今回の舞台は、小さな山奥の村での殺人事件の話だからだ。ほとんどクローズドな空間で起こる殺人事件において、探偵が主人公である方が分かりやすいということだ。
「友梨さんにも、とっても役が似合っていると思いますよ」
「そうですかねぇ? 俺は探偵なんて役職にはなれませんよ」
「私なら、いざ本当に殺人事件が起きても友梨さんに頼りますね!」
「その時は警察に頼んでくださいよ」
私の突き放すような言葉にも、美琴はむしろ楽しそうに、分かってますよ、と答えた。彼女は本当に作家志望でもあるから、とにかく喩えやジョークが上手で、言葉の引き出しも多い。そこが私の尊敬している部分でもある。
美琴が可愛らしい作家の服を着ているのを眺めていると、「あの女」以外の全員が集まった。最後の二人がやって来たのだ。一学年上の先輩で、周りの人は皆、彼女らを大御所のように扱う。
二人は遅れたことを必死に謝っているのだが、他の部員は、いいんですよ、と何度も言っていた。
「ほんっとにごめんねぇ、うっかり時間を間違えちゃってぇ」
「言ったじゃないか、確認しなくていいのかって」
「なーんか変に確信してたんだよねぇ……」
「確認しなかった僕にも責任はあるけどね……」
三年生の出演者である、諸星凪と龍宮寺未音は、慌てて準備を始めた。おっとりとした凪と少し理屈っぽい未音の掛け合いは、コントをしているかのようで、傍から見ても面白い。私が未音のことを苦手でなければ、きっと二人にもっと興味を持てただろう。
未音は私を桃色の瞳で捉えると、わざとらしくにこりと笑った。私は目を逸らしながら小さな声で挨拶をする。彼女が苦手な理由はここにある。人間観察が好きな未音は、興味がある人には懐く。そして、人の中身を暴いて内面を言い当ててくるのだ。
「どうも、クールな探偵さん」
「どうも、傲慢な学者さん」
「いや、そこはプライドが高いって言ってほしいね」
「どちらも同じじゃないですか」
「横文字を使うのが最近の流行りなんだよ」
未音に当てられた役は、プライドの高い学者だ。どこからどう見てもその役が似合うと私は思うのだが、特に興味が唆られない人には、未音は普通の好青年に見られてしまう。他の部員も、未音さんは賢いからね、と 違う面で役を評価している。だが、きっと風香にはそういうところがバレているのだと思う。
対して、凪に当てられた役は、おっとりとした新聞記者だ。本来記者という仕事には、現代日本において、忙しないだとか短気というイメージが付きがちだが、この記者は村の新聞記者なので、かなりフレンドリーだ。後輩に対して年齢の隔てなく仲良くしようとする、のんびり屋な凪にはぴったりだ。
そんなことを思っていると、最後の最後に、二人を上回る大御所と「例の女」が控え室に現れた。今回は出演しないが、この劇のシナリオライターである風香と、敬虔なるシスターを演じる神崎美香だ。
風香は緩く結いたお下げを揺らしながら、垂れた目で皆を見回すと、皆、頑張ってね、と柔らかく微笑んだ。どこかミステリアスな雰囲気を持つ風香は、隣に立つ女以外の部員には一目置かれている。特に端正であるわけではないのだが、一度微笑むだけで、風香の笑顔──というより、その背後にある世界に魅了されてしまいそうになるからだ。
「皆に合う話が書けたと思うよ。今回は客席から見ているね。そうそう、人がいっぱい入ってるよ」
「それは瑠衣君と拓馬君のおかげじゃないかな」
「確かに二人は魅力的だけど、きっと今回は二人の魅力も含め、物語と演技で魅せられるはずだよ。緊張感溢れる演技を楽しみにしてるね」
未音の皮肉にも怖気付かず、風香はそれすらも受け入れるように目を細めて笑い、ひらひらと手を振ってから去って行った。背後で愛と杏が、やっぱり部長さんは凄いね、と口をぽかんと開けて言っている。
「皆さんで頑張っていきましょう! 私も頑張ります!」
美香は星が詰められたような煌めいた瞳で皆を見回した。腰まである栗色の長い髪をふわふわと跳ねさせて微笑むと、奏と柚子の方へと駆け寄っていく。
彼女は一年生の部員で、「かのトラブルメーカー」だ。たとえば、美香を中心にして、美香の従兄弟である瑠衣と拓馬が、美香の友達である由紀や奏、柚子と出会った。私自身も、美香がいなければ他のメンバーと会うことも無かっただろう。風香と仲が良かった美香は、いろんな人を演劇部に誘った。
そこまで回想していると、流風が私の肩をつんつんと叩いた。着替え終わった私と写真を撮ろうとして、スマートフォンを手に持っている。薄い上着の下は少し露出の多い格好で、村の踊り子らしい華やかな衣装になっている。彼女と並ぶと、探偵というものはかなり地味なようにも思える。
「探偵さん、はい、チーズ!」
考えに耽っていたから、シャッター音に少し怯んだが、ちゃんと私は愛想良く笑っていた。流風は満足そうに私の手を引く。開演五分前になったらしい。
幕の外から客席を見ると、椅子が少ない視聴覚室に、立ち見まで人が入っていて、まるで本物の舞台のようになっていた。瑠衣は最前列に由紀を見つけたらしく、楽しそうに微笑み、他の部員も各々友達を見つけては嬉しそうに話していた。
隣に未音が立ち、大きく欠伸をする。
「これ、全部瑠衣君と拓馬君推しのファンなんでしょ? 僕たちが嫉妬されそうでおっかないと思わない?」
「人のいざこざに巻き込まれるのが一番嫌いなんですけどねぇ」
「君なんか瑠衣君に気に入られちゃって、嫉妬されそうだね? まぁ、なかなかに容姿も綺麗だし、文句も言えないけどさ?」
「問題は貴女ですよ。瑠衣と距離が近いんだから」
「あはは、そう見える?」
瑠衣と未音は考え方が近いのか、惹かれ合うようにして仲良くなった。その実、冷戦を毎日繰り広げているのだが、それがまた楽しそうなのだ。
開演五分前にもなって、呑気に話しかけてくる未音の気が知れない。とはいえ、未音が話しかけてこなければ、瑠衣が話しかけてきたのだろう。
緊張感が無い未音とは対照的に、隣では杏や美琴、愛が緊張しながらステージを見つめていた。人が多い今日の公演は、少なくともありふれた、ありきたりのステージでないことは確かだ。
この瞬間も、今日がありふれた一日でなかったことを示していた。客席で優雅に座っている風香を見つけて、さらに緊張感は増していく。ただの体育館にいるはずなのに──たとえるなら異世界にいるかのような──ふわふわとした高揚感が身を包んでいた。
それは隣の未音も同じようで、さきほどまでへらへらと笑みを浮かべていたが、今は桃色の瞳をライトで煌めかせ、口を結んでいり。未音が黙り込むのさえも、非日常的に思えた。
開演ブザーが鳴り響く。主人公は最初に出て行く役だ。未音が私の背を押し、かすかに口角を上げて呟く。
「今日は最高のステージになりそうだね」
「はい、そうですね」
鼓動の音を耳で聞きながら、私は一歩を踏み出した。由紀が目を輝かせる。風香が薄く笑って拍手をしている。
演劇『人狼村の悲劇』開幕だ。そして、私の非日常的な一日が始まった。
不運な主役の足は地面を踏まなかった。ぐにゃりと床は歪み、そのまま私の身体は投げ出される。地面に頭を打ち付ける寸前で、視界が真っ黒に塗り潰された。
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