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「昨日はごめんなさい」
「え? 何でですか?」
「気を使わないように、気をつけるから」
「……なんか違う気がする」
一日中、透子への謝罪を考えていた。椎奈に言われたことが頭を巡ると、朝ご飯も昼ご飯も喉を通らなくて困っていた。
謝罪をする必要など無い、というのが椎奈の結論だ。どうでもいい人間達に謝罪は要らない。それでも、私は謝罪しなければという、強迫観念に駆られていた。
透子はちらりと、女子が騒いでいる方を見つめる。真ん中にはへらへら笑う椎奈がいて、みんなに名前を呼ばれている──呼ばれる名前にすら価値が無いというのが、椎奈の個人的な意見だが。
「オレは、ああいうのが苦手なだけなんです。こう、楽しむよう気を使う、とか……」
「……本当にごめんなさい」
「謝らないでください。オレの方こそ、気を使うのすら苦手で、とても申し訳なくて」
「本当は、透子さんの話をもっと聞きたかったんだ」
むろん、今回も口を突いて出たのは本音だ。欲望深き自分が制御できないというのは、神様暮らしの弊害かもしれない。好きなときに好きな人間を操れるというのは、理性を使わない所業だ。
透子はじっとターコイズの瞳で私を見つめる。トルコ石にも様々な種類があり、透子の瞳の色はアンティークターコイズによく似ていた。
「オレの……? 何も、話すことなんて……」
「アタシは、アンタの趣味すらも知らなかった。パーソナリティすらも知らなかった。でも、アタシがアンタと話したかったのは、アンタについて知りたかったからで」
「そ、そう? たとえば……?」
「何でも」
透子は私の言葉に戸惑い、瞳を揺らした。箸を止め、弁当箱をじっと見つめる。
これは予想できた反応であった。私は同じことを言われても、何を話したらいいかが分からない。私が神様であったことだろうか。私が自殺した話だろうか。それとも、もう少しラフで、趣味な話だろうか。どれを話せばいいか、選択肢は無数にある。
透子は二度瞬きをした後、目線を下に向け、小さな声で話し始めた。
「……私が初めて『オレ』って言ったとき、驚きませんでしたか」
「え、いや……そこより、内容の方に驚いてしまって」
「そうですか……本当の自分はこっちなんです。割と思ったことは言ってしまうし、気を使うのは苦手だし、自分のことを女子だとも、男子だとも思う」
「構わない。アタシはそっちの方が落ち着く」
気を使われていないということは、何らかの利益が釣り合い、心を開くだけの価値があると見なされたことになるからだ。私に心を開けば開くほど、私はその人に必要とされることになる。
透子はまた少し黙ると、ご飯を先に食べてしまって、弁当箱を閉じながら続きを話した。
「オレはみんなと仲良くしたかったし、みんなの気持ちは分かってるつもりなんです。
男子とつるむのには、オレは引っ込み思案過ぎました。男子だから大きな声で、重い物を持って、喧嘩して……オレにはできません。
女子とつるむのには、オレは気が強過ぎました。女子だから可愛い服を、メイクを、集まって行動を……これも、オレにはできなかったんです」
「……そんな固定観念に囚われてどうするの」
「そう。オレは固定観念に囚われるのが嫌だった。そこで、こう思ったんです。オレは男性であり、女性であるから、どちらの気持ちも分かる。どちらとも仲良くできるけど、仲良くできない。
そしたら、気が楽になりました。一人でいても辛くなくなりました。どちらかに染まらなきゃいけないんじゃないって分かると、無理をする必要が無くなったんです」
弁当箱をしまって、透子は頬杖をついた。椎奈のような冷たい表情ではなく、口角を緩め、優しい目をしている。
「蜜柑さんは、なんとなく、オレにどうあれと押し付けない人だと思って。椎奈さんもそうでした」
「……その点については、謝る……アタシも、アンタのことを美しい女性だと思って」
「いいんです。オレはそういうのが嫌なんじゃなくて、どんな人、って決め付けられたくないだけで」
透子が筆を持ったところを見たとき、荘厳な女神だと思った。透子が嫌がるのは、私が透子を女神に仕立て上げることなのだろう。本来の透子は、もしかしたら女神ではなくて王子様かもしれない。王様かもしれない。
私が口を閉じて透子を見つめ返していると、透子はぱっと顔を赤くし、そんなに見ないでください、と言う。綺麗な顔をしているのはそちらの方なのに。
「今度は、蜜柑さんが話してください」
透子の静かな声に、私の顔が火照っていくのが分かる。そんなに綺麗な顔で、そんなに素直に頼まれたら、期待してしまう──嗚呼、悍ましい人間だ。私を見透かしたがる、恐ろしい人間。
私は場を繋ぐために頷いた。心臓が大きく音を立てて怖がっている。人間だって神様だって、高い崖の上からバンジージャンプをするのは怖いはずだ。私にとっては、それほど恐ろしいこと。
誰かに知られることは、悍ましいこと。誰かに愛されることは、恐ろしいこと。そして、誰かに期待することは、何より愚かなことだ。
チャイムが鳴り、移動教室の合図を告げる。少ない教科書を片手に、透子は立ち上がった。私も合わせて立ち上がり、会話を終わらせた。動悸から過呼吸に発展してしまいそうな体調の悪さを噛み殺し、行こう、と声をかける。
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