幕間:『朽ちた玉座に座す者』

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 部活動に集まれば、今日も価値ある後輩達は話に花を咲かせている。僕はただ伏せて、時々話しかけてくる後輩に笑顔で返しつつ、英語の問題用紙に目を落とした。  間違えた部分は早めに直しておかないとならない、受験勉強の基本だ。のんびりとした文化部独特の雰囲気や、お菓子パーティも大好きだが、今日ばかりはお休みするしか無いようだ。  そんな心構えでしばらく問題を注視していたが、集中も切れた。やはり喧騒の中では集中できない性分なのだろう。顔を起こして辺りを見渡す。  何人かの二年生に囲まれた真ん中で、拓馬があわあわしながら先輩の話を聞いている。新入部員は可愛がられるものらしい。  拓馬は僕の視線に気がつくと、ぺこりとお辞儀をした。相変わらずの気弱そうな様子だ。 「こんにちは」 「こ、こんにちは……?」 「ちょっと話に付き合ってくれよ」  いくら落ち込んでいるとはいえ、彼との共通点を解き明かしたいという願望は変わっていない。瞳孔が小さくなる感覚が分かる。腕に手を当て、目を逸しながら、ぎこちない動きで彼がこちらに近づいてきた。  座っていいよ、と言って、目の前の椅子を指差す。拓馬はおずおずと着席し、俯いた。 「まるで面接じゃないか。肩の力を抜いてよ」 「は、はい……」 「別に君のことを嫌がったりしてないからさ」 「そ、その、何でしょうか」  拓馬は僕に目も向けず、代わりに机の上のプリントを見ている。以前彼と話したときと同じで、彼は問題に興味津々らしい。本当に優等生様は勉強がお好きなようだ。 「何か言いたいことでも?」 「え? いえ、いえそんな」 「君は人よりも問題の方が興味深いんだね?」 「そ、そこまで言わなくても……」  確かに言いがかりだったかもしれない。だが別にからかっているわけではないのだ。むしろ、面白がってほしかったのだが。  拓馬は僕に指摘され、改めてテストを見ている。解いてみるか尋ねれば、僕の顔色を伺い、ペンを手に持った。  僕が解くよりも遥かに早いペースで解いていくと、見直しもせずに僕に解答を渡してきた。答え合わせをすれば、全問正解。もちろん、この問題は私立大学の入試問題だ。本来、高校三年生になったって解けやしない。  拓馬は机にペンを置き、じっとりとした死んだ目で僕を見つめた。返答を待っているらしい。僕はと言うと、すぐには言葉が出ず、口を噤んでいた。  血が沸き立つような感覚は、決して正の感情だけではない。様々な負の感情を、好奇心でコーティングしただけの熱い感情だ。沈黙が続くと、喉が焼けて動かなくなってしまいそうで、息ができなくて、なんとか言葉を捻り出した。 「君、本当に頭がいいんだね」 「あ、いえ……そんな」 「もっと自信を持ちなよ。君は賢いんだ、天才なんだ。だって、僕が五十分もかけて解いた問題を、ものの十分で解いてみせるんでしょう?」 「僕をあまり買い被らないでください」  拓馬は眉を下げ、僕から目を背けた。今度は彼のほうが口を結んだ。僕は無意識に髪をかき上げる。  さすがに強く言い過ぎたかもしれない。いくら興味があるからといって、距離を詰めすぎても良くないだろう──そう思って謝ろうとしたその瞬間、彼が発した言葉は、決して拒絶などではなかった。 「当たり前にできることじゃないですか」 「当たり前……え? これ、私立大学の入試だよ?」 「はぁ、そうですか」 「『はぁ、そうですか』? 本気で言っているのかい?」  別に怒っていたわけではない。今度こそは他の何の感情も無い、純粋な驚愕だった。彼は無感情な顔で首を傾げる。  彼の中の基準がズレているのだ。なるほど、彼は並外れた秀才らしい。 「君が秀才なのは分かったよ。でも、僕たちは苦しみながら解いたんだよね」 「なぜ勉強で苦しむ必要が?」 「え? なるほど、君は勉強で苦しんだことが無いのかな」 「論理の飛躍にも程があります」  髪を指で触り、目を背けた。拓馬の目が見られなかった。  拓馬は変わらない無表情で答えた。嗚呼、確かに論理が飛躍している。動揺が露骨に現れてしまっている。もっと落ち着いて話せば、きっとまともなことが言えたろうに。  彼の顔が少し歪んだ。苛立ちか、哀れみか。 「悪かったね」 「お気になさらず。僕にとっては、勉強はそんなに苦ではないので」 「僕にとっては受験勉強って苦痛でしかないんだ。だからびっくりしただけだよ」 「そうですか」  言葉尻は冷たい。気弱さも恭しさも見られない、砕けて気取らない様子で、迷いなく話している。前に見た彼の姿と同じだ。模範的でつまらないだけではないのだが、妙な苛立ちは消えないままだ。喉に熱が引っかかったままで、部室にある衣装の布の香りが嫌に鼻をつく。  卑屈なのは建前で、物事をはっきり言えるのが本性であるならば、それで十分ではないか。  拓馬はまた黙ってしまった。しかし、忙しなく目線を動かしていた様は無く、非常に落ち着き払った様子で僕を見つめていた。  勉強が苦痛でないのは素晴らしいことだ。もし僕もそうなら、もう少し受験勉強と良い戦いができただろうに。とはいえ、彼はまだ高校受験が終わったばかりの一年生なのだが。
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