二日目

1/3
前へ
/18ページ
次へ

二日目

 美香は目を擦り、体を起こした。彼女は教室のフローリングに横たわっていたようだ。彼女が周りを見渡すと、美琴だけがすでに目を覚ましていた。  美琴は何度か瞬くと、美香を見つめ、静かに問いかける。 「美香ちゃん、もしかしてこれは──」 「人狼ゲームですね」 「そんな……まさか、また?」 「……あ、私が書いたシナリオじゃないですよ? おおかた、風香先輩が書いたシナリオでしょう、彼奴があんなんなのは気に食いませんけど」  美琴は小さく溜め息を吐いた。  一作前、『人狼村の悲劇』において、極限状態に陥った彼女は狂人となった。人の死と絶望をこそ美しいと思ったのである。美琴・友梨・柚子は、その記憶を所持したまま、ここに閉じこめられている。  黙りこむ美琴に、美香は声をかけない。そのまま立ち上がり、近くの椅子に腰掛けた。 「こんなのって無いよ……サプライズにしたって、いくらなんでも酷いよー」 「いたたた……友梨ちゃんもアグレッシブなんだねぇ」  流風と凪は、それぞれ首を押さえたり腰を押さえたりしている。フローリングで眠っていた弊害だ。  欠伸をしたり、イライラしたりしている部員たちの前に、またも友梨が現れた。似合わない白黒の仮面を少し押さえながら、変に陽気に話しはじめるのだった。 「本日の犠牲者はいません。これから話し合いを開始します」 「催眠ガスなんて無いんじゃないか? いくらパーティとはいえ、こんなもん吸わされつづけてたら健康に悪いと思うぜ?」 「さ、催眠ガス……!?」 「その心配はありません。では、十分後に終了をお知らせします。話し合いが始まらず、投票も行われなければ、階段の扉が開くことはございません」  友梨はそれだけ言うと、また廊下の方に歩いて行ってしまった。文句を言った愛が、待てよ、と言って追いかけるも、廊下には人陰一つ無い。  瑠衣が指摘した「催眠ガス」という言葉に、反応した杏もさることながら、部員たちは混迷を極めた。彼らにとっても、いよいよサプライズパーティとはいえない様子になってきた。未音は咄嗟に窓を開けて、こうしておけば、と言うのだが、その程度で部員たちは収まらない。  そんな騒然を収めたのは、美香だった。手を叩き、彼女は子犬のように愛くるしく微笑むと、部員たちに声をかけた。 「とにかく、話し合いを始めちゃいましょうか! せっかく祝っていただいているのに、ここから脱出できないなんて、そんな不憫な話無いですもん!」  美香の言葉に、渋々部員たちは席に着く。椅子を丸く並べて、まるでいつものお遊びのように、会議を始めた。  最初に発言したのは、凪と未音だった。部を纏める三年生らしい姿だ。 「じゃあ、とりあえず《占い師》に出てもらおっかぁ」 「《占い師》はいないの?」  美琴、拓馬、奏が手を挙げる。当然のことながら、《占い師》は一人しかいない。ゆえに、残りの二人は偽者だということになる。 「じゃあ、まず私からいきますねっ! 瑠衣君は人間でした!」 「おぉ、そうですけど」  張り切る美琴に、瑠衣はあまり動じずに答える。  二番手をとった拓馬は声を上げようとして、奏の方をちらりと見た。 「え、あ、ごめんなさい、お先にどうぞ……」 「違うよ、拓馬君は《占い師》じゃない」  奏に鋭い目で言われて、思わず拓馬は黙りこむ。拓馬と奏は、普段は両思いのカップルだ。それでも奏がきつい視線を送るのは、これがただのゲームで終わらないと察したからだろう。 「拓馬君は《人狼》だった! だから、美琴さんが《狂信者》だよ!」 「……えっと、未音さんは人間でした。僕を処刑するのは、その、皆さんの勝手ですけど、あまり得策とは言えない気がします……」 「拓馬君の言う通りだね。一日目から占いを吊ってくのも悪くはないけど、少し抵抗があるよ。もちろん、僕が人間って言われたからじゃないけどさ」  未音はそう言って奏を制止する。  多く出た《占い師》を全て処刑すれば、三人のうち二人は村人陣営に属さないのだから、効率的ではある。しかしながら、本物の《占い師》を処刑してしまえば、一切のヒント無く進行しなくてはならなくなる──未音が恐れるのは、その事態だった。  瑠衣は小さく息を吐くと、肩を竦めて発言した。 「美琴さんに言い当てられたし、死にたくないしな。俺が《霊能者》です、対抗する人はいますか?」  返答は無い。瑠衣に対抗する者はいない。この場において、瑠衣が本当の霊能者であることはほとんど確定したようなものだ。  杏が嬉しそうに鼻を高くして、じゃあ、《霊能者》はもう締め切っちゃうからね、と言った。 「今日やるべきことは、明日からの方針を決めるって感じか?」 「必然的にそうなりますよねー」  愛と流風はまだ占われていない位置にいる。彼女らにできることは、与えられたヒントから推理することだけだ。《村人》であれば、何の特権も持たないのだから。  美香は一人、部員たちを見つめて沈黙する。笑顔は曇り、憂いを込めた蜂蜜色の目が彷徨っている。彼女の視線を捕まえるようにして、名前が呼ばれた。 「美香ちゃんはどう思う?」 「え、ごめんなさい、聞いてませんでした! 何の話ですか?」 「明日からどうすべきかって話だよ」  目を見開き、微笑んだまま美香はびくりと震えた。奏と瑠衣が美香をじっと見つめていたのだ。  美香は息を整えると、そうですね、と呟いてから、人差し指を顎に当て、斜め上を見る。 「えーっと、とりあえず占われてない人を選べば良いと思います! 拓馬君以外にも黒が出たら、瑠衣君に見てもらって、そこで選ぶ、って感じでどうでしょうか?」 「吊りミスは一回までだけどね」  未音は額に手を当て、苦笑して答えた。美香はにこりとはにかみ、あはは、と声を出して笑う。 「話すこともあんまり無いし、今日のところはおしまいって感じだねぇ」 「……会議時間が終了しました。投票をお願いします」  凪が穏やかな調子で言えば、友梨が入室してくる。彼女の手には、鬼灯が握られていた。柚子の喉が、ヒュウ、と鳴る。  友梨は無言で輪にした机の上に一つ一つ花瓶を置くと、全員に鬼灯を配った。 「それでは、各々投票先に鬼灯を入れていただきます」 「友梨の割にロマンチックだね?」  杏が軽く皮肉を言うも、友梨は気にする様子も無い。杏は呆れたように首を振ると、まるで普段のゲームのように、真っ先に花瓶へと鬼灯を入れた。それにならい、各々投票先の花瓶へ鬼灯を差す。  全員が入れおわると、部員たちは沈黙した。鬼灯を目で数えはじめたのだ。ガラス瓶の先から、サイケデリックなオレンジの殻が顔を覗かせて、死神の鎌のよう。奏が柚子の方を見て、彼女の名を呟いた。 「最多票は柚子さんでした。これより、処刑を執り行います」  友梨の宣言に、柚子は口角を緩め、満足そうに花瓶を見下ろす。目だけは恐怖で揺れているのに、口角は上がっている。どうしたの、と奏に尋ねられど、柚子は答えない。ただ、寡黙を装って得た票を、楽しそうに見ている。  震える手で、柚子は花瓶を指差した。瑠衣と拓馬の赤い瞳がふと、柚子の方を見る。 「何をすればいいの?」 「え、何って、どういうこと?」 「これを」  杏が慌てて口を出すも、柚子は友梨に差し出された、透明な液体の入った小瓶を受け取った。止める間も無く、柚子は小瓶を飲み干した。  あ、と美琴が声を上げる。  柚子は口の端を上げ、目を細める。三日月型の口と、震える手。赤くなる頬と、瞳に溜まる雫。噛み合わない表情に、観衆の恐怖は高まっていく。  口から乾いた笑い声が落ちて、柚子は静かに言った。 「あぁ、やっと忘れられる……!」  また名を呼ぶ声が上がり、柚子は膝を折って倒れた。流風と杏が悲鳴を上げる。小瓶が床に落ちて、転がって、美香の足の先にぶつかった。  倒れ伏す柚子を仰向きにすれば、土色の顔が現れた。未音がすぐに、細すぎる柚子の首に手を当てる。そして、探偵物語によくある台詞でもなく、叫び声でもなく、ただ一言、なんで、と呟いた。  小さな声に、張り詰めていた緊張感がぷつんと切れて、プレイヤーたちはヒステリーに陥る。  奏は、美香を助け起こしたときのように、柚子を揺する。流風と杏が何度も柚子の名を呼ぶ。未音が、これはどういうことなんだい、と声を荒げて友梨の胸倉を掴む。美琴と凪が唖然と柚子を見つめる。瑠衣と拓馬は、何も言わずに、しかし怯えるでもなく、まるで興味が無いように虚ろな顔をして、その光景を見つめていた。  友梨は未音に何を言われても答えない。ただ顔を上げ、スピーカーの方を向いた。スピーカーは開き、黒い穴が現れ、そこから白い煙が吹き出る。  部員たちの声は、一つ、二つ、ゆっくりと消えていった。白い煙の中で、仮面の少女は何も言わずに一点を見つめていた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加