幕間:『メアリー・スーは死に続ける』

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 目を開けると、私は椅子に座っていた。机の上には、髪と羽ペンが置いてある。  視覚がはたらくようになった次は、嗅覚がはたらいた。少し古い紙とインクの匂いに混じって、コーヒーの香りが漂っている。その次は聴覚だ。硬いものが床を叩いて迫ってくる。背の高い人だ。ヒールを鳴らす音は、私の前で止まった。  触覚と味覚が同時にはたらく。舌の上を、甘い唾が滑る。  私は、生きている。 「おはよう、新たな『作者』。『図書館』へようこそ」 「ステラ……? 私は、生きているのか?」 「どうだろうね。少なくとも、人間だった君は死んじゃったんじゃないかな」  人間だった私は、あのあと転落死した。体が砕け、血の塊になった。しかし、ステラの言う「召使い」たる私は、今ここに生まれ直したということだろう。  ステラは私の目の前の椅子に座ると、コーヒーカップを机の上に置き、足を組みながら話し始める。 「さて。君は『作者』になったんだ、ペンネームを考えようか」 「待て、その『作者』とやらは何なんだ」 「説明したいのは山々なんだけど、君の名前が分からないと話の都合上良くないじゃないか。 君は新たな体を手にして、新たな名前を得る。こういう展開にしてもらわないと」  ステラは不意に、目の前に鏡を出現させた──本当に唐突だ、鏡は今までそこに存在しなかった。現代人であれば、これを魔法とでも表現しただろう。  しかし、何より驚いたのは、その鏡に映る人物だった。茶髪に、黒い死んだ目。学校のジャージを肩に羽織った、背の低い女子高生の姿。  これは、私ではない。 「なっ、これが私とでも言うのか?」 「そうだよ。君の望んだ姿」 「……なんとも、現実離れしているな」  私は、もっとこの世の全てを呪ったような酷い顔つきで、伸びっぱなしの黒髪を乱した、異様な女子高校生だったはずだ。だのに、今の姿では、まるで不良の女子生徒だ。これが理想だというなら、ライトノベルの読み過ぎでおかしくなってしまった私の頭を殴り潰してやりたい。  いずれにせよ、もはや私の原型は留めていなかった。そんな新たな私に、名前を付けねばならぬ。 「ステラは、何という名前なんだ? 貴女も、新しい名前か?」 「僕の名前は梵風香というよ。これは新しい名前。ただ、僕の役職名がストーリーテラーというんだ」 「そうか……ならば、私は、神崎蜜柑とでも名乗ろうか」 「蜜柑ちゃんだね、覚えたよ。それじゃあ、早速説明を始めようか」  蜜柑、というのは私のペンネームであった。付けた理由は、とある作家の同名のタイトルを好いていたからという、月並みな理由である。改めて新しい名前で呼ばれると、自分が転生したのだという実感が湧いてくる。  少し耳が熱くなる。恥ずかしがる私に反応することも無く、ステラはコーヒーを飲み干してから話し始めた。 「ここは、たくさんの物語が並ぶ図書館だ。でも、ただの物語じゃない。 そうだなぁ……蜜柑ちゃんは、物語のキャラクターに自我がある、そう考えたことは無い?」 「自我……?」 「自分はキャラクターであると自覚し、その上で文章で書かれていない心情を持ち得る、と」 「そういう考えは無い。国語の問題では、文章で書かれていない心情を推測するのは邪推だと、不正解だと教わった」  ステラは立ちあがると、ふふふ、と笑い声を上げ、腕を広げてくるりと回ってみせた。無数の本棚をバックに、水色の髪を揺らす。手を後ろに回せて、無邪気に嗤う。  まさしく、図書館の司書だ。 「僕達はね、物語のキャラクターなんだよ。僕がこうやって回ってみせるのも、『作者』がそう描写したからなんだ」 「キャラクター?」 「蜜柑ちゃんは、その言葉に疑問を抱くよう書かれている。自分には確立した自我があり、感情があると信じているかもしれないけど、それすらも嘘、虚構だとしたら?」 「信じがたいが、私が今こうやって思案するのは、全て仕組まれたことだと?」 「そこが問題なんだ。台詞として、描写として、書かれていること以外に、キャラクターは何を考えていると思う?」  文の間にある感情とは何か、という話だろう。国語の問題では、一切取り上げないテーマだ。  たとえば、怒られて悲しくなった生徒がなぜ泣いたか、という問題があったとして、人は「怒られて悲しくなったから」と書くだろう。その生徒はなぜ悲しくなったのか。どのような思考回路を経て悲しみに至ったのかは書かれない。  私が書く物語のキャラクターが、生きていたとしたら。台詞の間、どんな動きをしていたか描かれていないとして。彼女らは、そのときどんな動きをしていたのだろう。足を組みながら言っていたのか? 貧乏揺すりをしながら言っていたのか? 読者は知り得ない情報だ。 「物語で書かれていないとき、キャラクターは何をしているのか。時間経過の間、そのキャラクターは何をしているのか。僕は、そこを自我と表現する」 「貴女の価値観は理解した。しかし、ならば貴女は観測者たり得ないだろう。貴女がキャラクターなら、『読者』ではない」 「そうかもね。なら、君が今から物語を書いて、それを読んだとしたら? 君が書いた物語のキャラクターに自我が芽生え、僕はそれを読む。これは観測者たり得るんじゃないかな?」 「まさか、私が書く物語は、生きた世界となり得るとでも?」  ご明答、と言うと、ステラは私から目線を外した。そして辺りを見回すと、突然に謝罪を述べる。誰もいない宙と話しているのだ。 「あぁ、今の蜜柑ちゃんの論理展開は少々急で分かりにくかったよね。僕がもう一度説明しよう。 この場所、『図書館』では、生きて思考する、自我を持つキャラクターによる物語を保管している。生きて思考する人間によって動かされる物語は、一つの世界たり得る。僕は物語を読む『読者』である上に、一つの生きた世界を観測する者でもあるんだ」 「……誰と話している?」 「そして、蜜柑ちゃん。君はそんな生きた世界を作る『作者』なんだ。『作者』は世界の創造主になる。キャラクターを作ることは、その物語、いや、世界を作ることに値する。僕のために、僕達を操る人々のために、いっぱい物語を作ってもらうよ」  私に創造神になれと言うらしい。神も所詮、人間の姿をしているのだ。世の中は、キャラクターという無数の操り人形に満たされていて、その上には、操り人形を動かす「作者」と、その劇を眺める「読者」が存在する。私もキャラクターの一人であり、誰かに操られ、誰かに見られているのだ。  さすれば、必然的に一つの真理が見えてくる。  創られないキャラクターは存在しないし、読まれない物語に意味は無い。私は、他者に創造され、他者に観測されることで、初めて存在するのだ。  冷たい血が、温度も無いのに沸騰している。私のくだらない人生ですらも、誰かに仕組まれたものだった。今度は、私が仕組む方だ。私が操り人形を動かし、他人の人生を上演する側なのだ。  ステラは俯く私に、冷ややかな声で語りかける。 「ここにある本に物語を書くと、一つの世界として独立する。読まれることで、何度でも創造と終結を繰り返す。だから君は、確実に物語を終わらせなければならない」 「未完成の物語に何の問題がある?」 「キャラクターの気持ちを想像してごらん。物語が完結しないんだ。書きかけの最後の文章以降、世界は動かなくなる。物語を閉じ、もう一度読もう。物語はまた始まり、途中で一時停止が押されたように止まる。また物語が開かれるまで、時が止まり続ける」 「無限に続く地獄のような時間を過ごすことになるだろうな」  物分りが良くて結構、と言い、ステラは再び着席した。今度は、机の上にクッキーを出現させてみせる。いくら神という設定になっているとはいえ、随分とやりたい放題だ。差し出されたクッキーを手にしたとき、ふとヨモツヘグイを思い出したが、もうあの世界に戻る気もない、迷いなく噛み割る。口腔に、バターの甘ったるい匂いが充満する。 「さて、物語には校正が必要なときがあるよね。完成された物語においては、自我を持つキャラクター達が活躍するんだ。誰かがもしも『作者』『読者』の存在に気がついたとしたら、書かれていないことをし始めるかもしれないね」 「そのためには、文章を見つけないといけないはずだが?」 「まぁまぁ、たとえ話だよ。そんなこんなで物語の辻褄が合わなくなったとしたら、プログラムと同じ、エラーを起こして壊れちゃうんだ。そこで、物語に栞を挟むと、『校正』権限を手に入れて、物語に介入することができるよ。辻褄を気にせず、その世界に侵入できる、って感じかな」 「作者本人の会入か。夢小説みたいだな」 「君の理解はさっきから俗すぎるよ。せっかくかっこいい言葉を使っているんだから、もっとかっこよく言おうよ」  口を尖らせ、ステラはバリバリとせんべいを噛み砕く。いつ出したんだ、というツッコミはさておき、この神様は少々おちゃめらしい。  ステラの言うことを要約すれば、物語のメンテナンスだ。キャラクターが「作者」に反抗する姿は思いつかないが、起こり得るバグではあるようだ。私が今ここで突飛な行動をとったら、「校正」が入るのだろうか。 「そうだなぁ、矛盾の解決の仕事が多いかも」 「というと?」 「ほら、最初は中学生として書いていたのに、後々高校生に変わってたりするよね。すると、物語の中でキャラクターが突然に成長するんだ。それは、今 目の前で突然せんべいが現れるような状況だね」 「貴女はバグだらけの存在ではないか……」  辻褄合わせの役目ということだろう。これから物語を書く側に回るのだから、推敲は欠かせない。その際、栞を挟んで物語に介入することもあるだろう。  バグだらけの存在として描かれているステラは、バグゆえに神性を持っているのだろう。人間が持ち得ない、物理法則をも無視した行動ができてしまうのが、バグの正体だ。ファンタジーにおいてキャラクターが魔法を使うのだって、その世界の法則としては間違っていないのだから、バグとは呼べない。  思考を巡らせながら羽ペンを眺めていると、ということで、と言ってステラは一冊の本を取り出した。黒いカバーと、私の読めない文字で書かれた文章の書かれた紙だ。 「チュートリアルだよ。まずは、君の格好をちょっと変えてみよう」 「だが、私ではこの文章は読めない」 「仕方無いね、それは僕の書いた文章だから。でも、ここ……ここが君の容姿について言及された部分だよ。ここに栞を挟んで、その羽ペンで書き換えてごらん。勿論、君の使う言語で構わないよ」  ステラはとある一文を指した。まるで猫が喉を鳴らすような、機嫌の良さそうな顔をする。気まぐれな神様らしい。  私がそこに栞を挟み、二重線で取り消し、文章を書き換えた瞬間、ちくりと耳元に僅かな痛みが走った。おそるおそる触れてみると、そこには固形物がある。鏡に映る私の耳には、煌めく銀のピアスがついていた。 ──しかし、何より驚いたのは、その鏡に映る人物だった。茶髪に、黒い死んだ目。学校のジャージを肩に羽織り、銀のピアスを両耳に輝かせた、背の低い女子高生の姿。  まさしく、私の書いたとおりだ。 「ピアスを足してしまうなんて、君はなかなかに控えめで、しかも中二病ときた」 「仕方無いだろう、痛い奴でないとこんな仕事を受け持ちはしない」 「そうかもね。世界を愛し、世界を憎む人間は、非常に若々しいよ」  新しいペン軸が光に照らされている。インクの香りが私を呼んでいる。私は物語を書くよう選ばれたキャラクターだ。私はこれから、数々の世界を作る神となるのだ。  指先に触れる紙の感触、なんとなく怠いコーヒーの香り。ステラが立ち去ったのを確認してから、私は文章を書き始めた。  どこかで、キャラクターが産声を上げたのを聞いた。
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