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学校の最寄駅で、買ったばかりの服を着た拓馬は、奏の来訪を待っていた。耳元で流れる激しいロックで眠気を覚ましつつ、重たいまぶたを起こす。
奏は唐突に現れると、横から拓馬の肩を叩いた。拓馬がびくりと震える。その様に、奏はまた、くふふ、と押し殺したような笑い声を上げたのだった。
「何が面白いんですか」
「ごめん、ごめんって。あまりにもぼーっとしてたから」
「すみません」
「謝るのはこっちだって」
秋によく似合う臙脂色のワンピース、淡い紺色のシュシュ。海に行くとは思えない秋らしい格好を着こなし、奏は美人のように笑ってみせた。
「綺麗ですね」
「……え?」
「綺麗ですね、って」
「いや、分かってるんだけど……もう! 拓馬君は息を吐くようにそういうこと言うから!」
奏はこの日のために履いてきたハイヒールに目を落とし、頬を仄かに赤くした。
一方の拓馬は、いつものタートルネックに手を当ててきょとんと目を丸くするばかりだ。
「さて、電車に乗ろう」
「はぁ、もうそろそろ来るかと」
「ううん、今日は各停に乗って行くよ」
奏は携帯を見つつ、電光掲示板を指差した。ワンピースに近い臙脂のマニキュアがきらりと光る。
「……マニキュアまで」
「いいのいいの、明日落とすから」
「本当にすて」
「わー! 恥ずかしいから無し!」
奏はさらに頬を熟れさせて手で顔を隠した。
急行電車に乗る人々が、臙脂色の少女に目線を集める。二人は静止していて、その他の人々は歩きつつ、静止した二人に目を奪われたのだ。
電車が行ってしまうと、ホームには二人が残された。次の電車まで十分。携帯に目を落とす奏と、それを見つめる拓馬。二人は黙って、奏が建てた予定表を眺めていた。
長く続いた休符の、次の音を弾いたのは拓馬だった。予定に夢中になる奏に、死んだ目のままで話しかける。
「学校は良かったんですか」
「いいのいいの。柚子ちゃんがノート見せてくれるってさ。拓馬君、一日くらい学校行かなくたって勉強分かるでしょ?」
「えぇ、まぁ」
「気にしない、気にしない! 今日は二人の逃避行、ってことにしよう? 私アタシも親には内緒だし」
奏は顔を起こし、唇に人差し指を当てた。
拓馬の家には親はほとんど帰ってこない。問題は瑠衣に関わる家事だが、瑠衣自身が許可したのだから、拓馬が奏の誘いを断る理由は無かった。
返事を言う前に、電車が軽快な音を立ててやってきた。扉が開かれても、ほとんど誰もいない。奏は拓馬の腕を引いて乗り込むと、隣に座り、青空を見上げた。
絵の具の青と白を塗りたぐったような秋空に、色づき始めた赤い葉。僅かに暖かい電車内とは窓で隔絶された外は、海の似合わない秋だった。
ガタンゴトン、とありきたりな音を鳴らしてゆっくりと電車は走り出す。代わり映えしない景色と、携帯も音楽プレイヤーもいじらない過ごし方は、普段眠らない拓馬に睡魔をもたらすのに十分となった。
そうして、肩に何かが乗っかる感覚でうたた寝から目を覚ました奏は、非人間的で左右対称の美しい寝顔を目にした。
幼く儚い寝息を立てる拓馬の姿を見ると、胸を撫で下ろし、奏も同じように眠りにつくのだった。
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