幕間:『逃避行小夜曲』

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 奏の好きなアニメの映画を見て、奏は散々涙した後、拓馬のアクセサリーを見にショッピングモールへと向かった。そこで簡易的な夜ご飯を済ませて、現在の二人は夕日を眺めながら海へと向かっていた。  海風で、安全ピンを模したチェーン付きのイヤーカフを揺らして、拓馬は行く先を見据えていた。  湿った潮風に、二人の足取りは軽くなる。漣が聞こえるようになった頃には、二人は早足で駐車場を過ぎていた。  夕日が海に呑まれる頃、二人は浜辺に座っていた。元より泳ぐつもりなど無く、ベンチに腰掛け、秋の夕暮れの冷えた空気に肩を震わせつつ、ただ海を眺めていた。 「見て、海だよ」 「海、ですね」 「これで、拓馬君の願いも叶ったね」  拓馬の肩に寄りかかった奏は、実に穏やかな微笑で海を見ていた。二人の間には休符があるだけで、波の音だけが不規則なリズムを刻んでいる。 「あのね、私アタシ、溺死って好きなんだ」  奏が口を開くと、拓馬は眠たげに伏せていたまぶたを少し上げた。 「口から泡を出して、息ができなくなるまでは苦しいけど。それからは水に抱かれて落ちていく。流されてどこかに行く。どこかに行くかもしれないし、行かないかもしれない」 「……僕は、あまり好きではありません」 「拓馬君の理想は銃殺か絞殺だっけ?」 「はい」  そっか、と奏は静かに返した。 「海に入らない?」 「……着替えとか、持ってませんけど」 「いいよいいよ、拓馬君は裾をまくって入ればいいだけ。ほら、靴脱いで」  奏はハイヒールを脱ぎ捨てると、拓馬に手を伸ばした。裸足に目を落とした拓馬は、赤紫に塗られたペディキュアと、踵にできた赤い靴擦れを見ていた。  急かされるままに靴を脱ぎ、ズボンを捲った拓馬は、奏が手首を引くままに海へと近づいていった。  夕日が海に吸い込まれ、僅かに暗くなった空の下、青紫の水が呼んでいた。海の母の声が、優しく語りかけた。寄せては返す波が、足を引っ張る。  酷く冷たい水に足首まで食われ、二人は立ち止まった。  沈む踵が、波に持って行かれないように食いしばっているだけで、拓馬は一切の抵抗をしていなかった。 「あー、靴擦れに染みるな」 「良くなかったのでは」 「ううん、気にしないで」  あはは、と笑う奏を見た後、拓馬は再び海を見つめる。  どこからともなく、甘苦い香りがしてきた。コーヒーと抹茶だ。甘くて苦い、海ではなく地からの呼び声だった。タイヤの擦れる高いセイレーンの声は、隣の奏の声で掻き消されていた。 「……奏さん」 「どうしたの?」 「いずれ、人生の終わりを迎えるときは」  夕日を受けて、拓馬の瞳に光が入る。 「またここに来ましょう。そして、手を繋いで、共に沈みましょう」  それは、拓馬の瞳に新たな理想が灯った瞬間だった。 「また各停に乗って、ゆっくり旅をすればいいよ」  奏は拓馬の顔を覗き込むと、口角を弧にして、瞳の赤紫を仄かに光らせた。  フィーネは打たれず、休符が続く。海に食われて欠けた満月は、物言わず二人を見下ろす。二人の間にはただ漣があった。
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