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「海が見たい」
榊原拓馬は死んだ目でそう口にした。隣に座っていた雲母奏は、思わずスマートフォンから顔を起こして拓馬の方を見る。
いつもと変わらない、ぼんやりとした三白眼が奏を見る。
「拓馬君、インドア派だよね」
奏が発した感想は少しこの言葉に対する答えとしては的外れだった。拓馬は少し黙ると、はい、とだけ答える。
「海に行きたいの?」
「ふと、思っただけです。気にしないでください」
黒と赤で濁った瞳が少し揺らぎ、口角が優しく上がる。奏が最近目にするようになった、拓馬の「人間らしい表情」の練習の結果だった。そして、またぼんやりと遠くを眺めている。
数秒の沈黙の後、奏が突然立ち上がった。
「行こう、海」
肩を揺らして驚いた拓馬は、爛々と輝く赤紫の瞳を見据え、切ったばかりの髪をいじりながらぼそりと言った。
「……明日、木曜日ですが」
「明日は欠席! 朝九時にいつもの駅で集合、これでどう?」
「海、って……どこの海に?」
「私アタシが決めてくるから大丈夫! 拓馬君も頑張って起きてね」
奏はそう言うと、ゲームをタスクキルして、すぐに検索エンジンを開いた。拓馬が覗き込んで見てみれば、打ち込まれたのは電車で一時間ほど先の海岸であった。
「今、秋ですけど」
「人が少なそうでいいよね。あ、ここゲーセンもある! ここは行く!」
奏がサイトをブックマークするのを見て、拓馬はぽかんと口を開けた。
「私ね、洋服も見たいんだ。付き合ってくれる?」
「か、構いませんけど……」
「じゃあ、この近くでアイスを食べよう。拓馬君はアイス大丈夫? 具合悪くしない?」
「えぇ、はい、大丈夫ですが……」
常に三点リーダーを言葉の後ろにつけ、拓馬は奏から目を逸らす。彼にはもはや奏の勢いを止められなかった。
「久々の休みだー!」
「……ほ、本気で行くんですか」
「だって、拓馬君が海に行きたいんでしょ? なら行こうよ」
にっこり、と微笑まれ、拓馬は狼狽えた。奏は童心に帰った気分でブックマークの数々を眺める。
んふふ、と怪しげな笑い声が出てしまったのに、さらに自分で笑ってしまっていた。
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