二日目

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二日目

 コンコン、と優しいノックで村娘は目を覚ます。備え付けのドレスに身を包み、カーテンを開け放った。  カーテンの外は青空が広がっているが、肝心のその前、窓には赤いサークルが書かれていて固く閉ざされている。外からの空気は吹いてこない。されど、換気口だけは閉ざされていないようで、寝苦しい夜ではなかった。とはいえ、彼女が通るにはあまりにも小さすぎるのだが。  扉を少しだけ開けると、自分より低い、隈の出来た赤い二つ目がじろりと自分を見ている。おはようございます、とその影は言った。 「……無事で、何よりです」 「あ、お医者さん……だよね、こちらこそ良かったよぉ」 「朝食を、用意してあります。使用人がいないので、僕が作ったものになりますが……その、食べたくなければ、構いません」  そんなこと無いよ、と答えようとしたのと、村娘のお腹が鳴ったのはほぼ同時だった。村娘は照れ臭そうに頬を掻くと、えへへ、ごめんね、と言う。医者はきょとんとして村娘を見つめている。 「食い意地が張ってるんだよぉ。なんだか不謹慎になっちゃったねぇ」 「いえ、気にしませんから……」  緊張が解けた村娘は、口角を緩めて廊下に出る。続く赤い絨毯を踏み鳴らし、医者に導かれるまま食堂へと向かう。昨晩は皆がグラスを交わし、親交を深めた場だ。医者が食事を取りに戻ったのを見届けてから、村娘は一度頷くと、力を込めて扉を開いた。  高い天井、飾られた剥製、壁に灯るキャンドル。長いテーブルに、ふかふかの椅子。その並ぶ様は変わらないが、座っている人々の面持ちは違った。まるでワイヤーが辺り一面に張られたかのように、一触即発の空気を吸い込み、村娘は朝の涼風に目を瞑る。客人たちの目は村娘に向けられている。その色は決して明るくない。  村娘はひゅう、と喉を鳴らした後、頭を勢いよく下げた。 「皆さん、昨日はごめんなさい! わたしのせいで、こんなことに……!」  誰も村娘に答えることは無い。敵意でもなく、好意でもない。冷たい目の数々は妙に懐かしく感じられて、村娘は胃の上がきゅっと締まるような感覚に襲われる。  そうして頭を下げたままでいると、あははは、と軽快な笑い声が聞こえてきた。顔を上げると、最も偉い位置に座っている男が、頬杖をついて笑っている。客人たちもそちらを驚愕の目で見たのだった。 「まぁ、《人狼》とやらを見つければ良いんだろ? そう気負うな、村娘さん。無礼講だって言ったじゃないか」 「御曹司さん……」 「皆が凍りついているのも、あなたのせいじゃあないさ。緊張してるだけだよ。案ずることなかれ」  御曹司の言葉に、納得しきれていない視線も、納得した視線も感じる。作家は自分の隣の空いた席を指差し、口角を上げる。昨晩見た、陽気な笑顔だ。 「そうだね、少々気を張りすぎたよ。おいでよ、村娘さん」 「う、うん」 「それに、昨日言ってたでしょう? 引っ張ったのはあなたか、って」  作家はわざと少し声を張って言う。司書はそんな作家を見て、モノクル越しの目を細め、そうだったねぇ、と答える。村娘は椅子に着きながら、胃を握りしめるような緊張が緩んで解けていくのを感じていた。  そうすると、医者が料理を運んでくる。伝統的な和食といった品揃えは、昨晩の晩餐会とは異なっている。昨晩は村娘にはとても手の届かないようなフルコースが運ばれてきたが、医者が用意した食事は、白米に味噌汁、焼き魚と、村娘にも馴染み深いものだった。  誰も食べ始めようとしないのを見ると、医者は一度お嬢様をちらりと見た後、真っ先に口を付け始めた。そして、隣に座る御曹司の肩を叩き、ルイ、と声をかける。 「いただきますも言わないのか、あなたは」 「……私たちが食べないと、毒味にならない」 「結構結構。では、いただきます」  箸を器用に使ってご飯を食べている双子を見ているうちに、村娘の腹の虫が収まらなくなっていった。村娘は遂に我慢できなくなって、いただきます、と小さく言うと、箸に手を付ける。口に運んだ味噌汁は丁度良い濃さで、ついつい我が家を思い出す。一口飲んだ村娘は思わず、おいしいー、と声に出してしまった。 「あ! ご、ごめんなさい、不作法で……」 「構わないさ。タクマの食事はとても美味しいからな」  村娘と御曹司、そして医者が食べているのを見ると、お嬢様が箸に手をつけ、いただきます、と言った。慌てて家政婦が止めるも、ユズちゃん、と呼ぶと、お嬢様は赤紫の目で真摯に見つめ返す。 「結婚相手のご飯だもん。私がタクマ君を信じないでどうするの?」 「そ、それなら、うちが先に毒味を……」 「大丈夫っすよ! これ、美味いっす!」  ちょっと、口を閉じなさい、と弁護士が制する。音楽家が村娘の次にご飯に口をつけていた。音楽家は口の中身を飲み込むと、明るくお嬢様に微笑みかけた。 「タクマがそんなことする人じゃないのは、オレも分かってるから! お嬢様も安心していいぜ!」 「ね、大丈夫だよ。一緒に食べよ?」  家政婦はお嬢様に促され、渋々と言った様子で口をつける。それにならって、他の客人たちも食事を始めた。  全員の緊張が解れるのにさほど時間はかからなかった──それほどまでに医者の作った料理は美味かったのだ。当人と女優はあまり口を付けずに食事を終えているが、残りの客人は満足げに箸を置いていた。医者は立ち上がり、皿を片付け始める。  客人同士に会話が生まれ始めたのを潰すように、扉が開いた。ふわりと尻尾が揺れ、煙の匂いがぶわっと食堂に広がる。赤毛の女狐が、扉を背にしてクスクスと嗤っていた。 「あらあら、最期の晩餐は楽しんだかしらぁ?」 「……チッ、食事の場にキセルを持ち込むな」 「どうでもいいわぁ。そろそろ話し合いを始めてもらえるかしらぁ?」 「嫌だと言ったら?」  御曹司が立ち上がり、アカネに近付いていく。アカネの方が背は高いが、白いスーツを靡かせる御曹司の貫禄もあってか、大差無いように感じられる。皿を片付けた医者が、ルイ、と御曹司の名を呼んだ。  すると、アカネは掌の上に赤色の火の玉を浮かばせた。学者が、狐火、と呟く。アカネは浮かばせたそれを、一瞬にして握り締めた。掴みかからんとしていた御曹司が、胸を押さえて蹲る。ぐ、と潰れた声が上がれば、医者が駆け寄った。 「決定権はそちらには無いわよぉ、当たり前よねぇ?」 「……ルイに、触るな……ッ!」 「まぁまぁ、素敵な兄弟愛だこと。そんなことより、話し合いを始めてちょうだぁい?」  アカネが手を離すと、はぁ、と御曹司が息を吐く。肩で息をする御曹司を支えて立ち上がらせると、医者は彼に寄りかかられながら、前髪で隠れた左目でアカネを睨みつけた。 「……始めましょう」  医者が低い声でそう呼びかける。顔の青い御曹司を支え、指の先に力を入れて。  ピリッとした空気が、村娘の頬を叩きつける。満腹で膨れていた幸福感に針が刺されたようだった。
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