58.潜入

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58.潜入

 サザはリヒトを乗せて馬を走らせ、急いで孤児院に向かった。  馬に乗りながらリヒトを「ちゃんと事実を確かめるまでは何も信じては駄目」だと、根気強くなだめていたので、リヒトは少しずつ落ち着いてきたようだ。  遠くに建物が見える所までくると、その前に微かに火の明かりが見えた。誰かが焚き火をしているようだ。この時間ならもう子どもたちではないだろう。 「誰かいるね。この辺で馬は置いてこう。  リヒトは私の後ろにしっかりついてきて」 「分かった」  建物から十分に離れた木に馬を繋ぐと、二人は木に隠れながら少しずつ孤児院に近づいた。木の影からそっと様子を見る。  建物のすぐ近くの川のほとりで焚き火が起こされ、そこに五人の男がいる。男たちはみな長剣を持っていて体格が良い。剣士のようだ。  ローブを羽織って隠しているが、前を開けているものもいる。濃い灰色の地に銀糸の飾り。カーモスの軍服だ。 「何でカーモスの奴らがいるんだろ?」 「母さん、あの、焚き火の前に落ちてるの……父さんの剣じゃない?」 「……そうだね。信じたくないけど」  やはりユタカはこの男たちに捕まって、傷つけられているようだ。  しかし、抜刀して地面に放り出された剣は火に入れてあったのか、かなり煤けている。一体何に使ったんだろう。  サザは目を凝らして男一人ひとりをよく見ていく。一人、背の高い男がローブの下に群青色の服を来ている。ユタカが着るものと同じ、イスパハルの軍服だ。 「誰だ、あいつ……?」  サザは目を細めて男の顔を見る。美しい金色の髪に碧眼。  ヴァリスだ。 「何で…!?」  ユタカはヴァリスを心の底から信頼していた。ヴァリスがユタカを襲った犯人だったとしたら、その事実には誰も気がついていなかったはずだ。  リヒトもヴァリスを見つけたようで、息を飲んでサザの服をぎゅっと掴んだ。 (ヴァリスは、ユタカを騙したんだ)  サザの中に激しい怒りが生まれたが、事実を確認するのが先だ。感情的になっている場合ではない。 「見張りがいるってことは、建物の中にみんないるんだよね? リヒト、中に誰がいるか分かりそう?」 「ちょっと待って……」  リヒトは耳を澄ます。 「みんなとハル先生が泣いている声が聞こえるから、あの中にいると思う。  あと、回復魔術を詠唱している人がいる。アキラ兄さんの声だ。  父さんの声は聞こえない…でも」 「でも?」  リヒトが目を伏せる。 「父さんの血の匂いも、あの中からする」 「分かった、教えてくれてありがとう」  サザは隣に立っているリヒトの頭を抱き寄せた。  回復魔術はユタカに対してだろう。まだ生きてはいる様だが、容態は分からない。  サザは最悪の事態を考えずにいられなかった。中で何が起きているのか、早く確かめないといけない。 (でも……) 「リヒト。ここから先は私だけでいくよ」 「えっ、何で」 「もしかしたらこれから、ものすごく辛い現実を目の当たりにすることにもなるかもしれない。  リヒトは無理にそれを見る必要はないよ」  もしユタカが死んでいたら。  リヒトは大好きな父親の死をわざわざ目の当たりにする必要は無いはずだ。 「僕もいく」 「一生忘れられなくなるくらい、辛いことかもしれないよ」 「いいんだ。僕は絶対、後悔しない。  それに、僕の力は母さんの助けになるでしょ」  リヒトはサザの服を掴んだまま、まっすぐに目を見て言った。でも、手が少し震えている。この子の芯の強い正義感はハルが言っていた通り、ユタカによく似ている。 「本当に、後悔しない?」 「しない」 「……あと、リヒト。  私は、君の母さんだから。  もし、危険な目にあったら、私は自分よりリヒトを優先する。それは、分かってくれる?」 「母さん……」  リヒトはそれを聞くと一瞬また泣きそうな顔をしたが、唇を噛んでぐっと堪え、決意に満ちた顔で、もう一度サザの目を真っ直ぐに見た。 「分かった。でも、危険なことにならないように、僕も母さんを助けるから」 「ありがとう。すっごく頼もしいよ。  じゃあ、一緒に行こう」  サザはリヒトを強く抱きしめた。 「中に入る方法を考えよう」  サザはもう一度、建物を見た。見張りがいるから、正面から入ることはできない。 「リヒトは木登りが得意だよね。確か、建物には天窓があったよね?  近くの木を登って屋根に飛び移って、そこから中に入ろうと思うんだけど」 「それなら、夜中にこっそり出かけたい時に何回かそうやって出入りしたことあるよ」 「さっすが」  サザはリヒトの頭をぽんと撫でると、一緒に気付かれないように天窓に一番近い木の根本に向かった。  天窓に飛び移れるところまで登ると、一つ下の枝まで登ってきたリヒトを静止させ、周りを確認した。風で木々がざわめいている。好都合だ。  サザは木々のざわめきに合わせて木から屋根に飛び移った。合図してリヒトをサザの乗っていた枝まで上がらせると、次の風のタイミングでリヒトも飛び移る。 「やるねえ。天窓から中の様子を確認しようか」 「うん」  サザとリヒトは足音に気をつけながら屋根を登り、天窓から中を覗いた。  シャンデリアがぶら下がる隙間から、子どもたちとハルが一か所に集まっているのが見える。  その真ん中に、生きていると思えないくらいずたずたに傷ついた身体の男が一人、床に倒れている。  ユタカだ。 「父さ……んっ」  サザは思わず大きな声を出しそうになったリヒトの口を手で塞いだ。 鼓動が一気に早くなる。  ユタカの傍らで男の子が回復魔術を唱えているが、とても生きているようには思えない。 (まさか、もう……) 「中に入ろう。けど、リヒトはちょっとだけここで待ってて」 「どうして?」 「多分、私達が急に入ったら子どもたちが驚いて騒ぐから、敵に気付かれる。私が呼ぶまで天窓の上で待ってて」 「分かった」  サザは静かに天窓を開けた。梁を巡ってシャンデリアの点検用に壁付けされている梯子を使って静かに床まで降りると、部屋の隅のベビーベッドまで近づいた。中の赤ん坊はすやすやと眠っている。  サザは小さく「ごめんね」と言って、赤ん坊の太腿をつねった。  目覚めた赤ん坊が激しく泣き出し、子供達が一斉にこちらを見た。サザに気がついて声を上げだす。  サザは口に人差し指を当てて「静かに」のポーズを取ると、利口な子どもたちはすぐに状況を理解して口をつぐんだ。  まだ、赤ん坊は激しく泣いている。 「サザ!? 来てくれたの……?」  ハルが涙を流した目でこちらを見て言った。 「リヒトもいます」  サザは外の気配に耳をすます。ヴァリス達は赤ん坊が泣いただけだと思っているようで、動く気配はない。サザは泣かせてしまった赤ん坊を抱き上げてあやしながら、天窓の外にいるリヒトを手招きして呼んだ。  サザはハルと子ども達の所まで歩みを進めると、十才くらいの女の子に代わりに赤ん坊を抱いてもらった。女の子は上手にあやしてくれたので、赤ん坊は程なくして泣き止んでくれた。  リヒトはサザが侵入した手順をよく見ていたようで、同じようにしてすぐに床まで降りてきた。 「父さん……!」  サザとリヒトは、床に倒れているユタカに駆け寄った。
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