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63.流れた血と涙
「う……」
周りの騒然とした気配を感じ、気を失っていたユタカはうっすらと目を開けた。
(おれは大佐に川で殴られて、その後どうなったんだ……?)
子どもたちの泣く声とばたばたとした足音が聞こえる。ここは建物の中だ。
ユタカは孤児院の床に倒れているようだ。
背中の火傷はまだ激しく痛んだが、ユタカは顔をしかめながら何とか床から顔だけを起こした。
しかし血を吐くほど傷ついていたはずの身体の中は、痛みがなくなっている。
上半身は包帯が巻かれ簡単な手当てがされている。その上からユタカには少し小さいシャツが羽織らされ、毛布がかけられていた。
倒れたまま、顔だけを動かして子ども達の声がする方を見る。
子ども達の足の間から、床に血が広がっているのが見えた。怪我をした誰かが倒れているのだ。
(あれは、誰だ? それに大佐は……?)
「テオ、早く馬でアンフィ先生を呼んできて! 急いで!」
泣いてすがりついてくる小さな子どもたちをなだめながらハルが叫んだ。テオが全速力で外へ走り出ていく。
(アンフィ先生、確かアキラの師匠の魔術医師だ)
回復させるということは、大佐以外の人間が怪我をしているようだ。
段々と意識がはっきりしてきた。
何とか上半身を起こすと、目覚めたユタカに気がついたリヒトがこちらへ走り寄ってユタカの身体を支えるように抱きしめてくれた。
「父さん! 大丈夫⁉︎」
「リヒト? 何でここにいるんだ……」
「母さんが、ヴァリスを」
「サザが……?」
その時、子どもたちの間から、血溜まりの中に折り重なるように倒れている人物の身体が見えた。二人いるようだ。
(……まさか)
ユタカは青ざめ、リヒトに支えられて何とか立ち上がると子どもたちのところまで歩いた。
胸に包丁が突き刺さったヴァリスがうつ伏せで倒れ、絶命している。
その身体の下に重なるようにして、全身が血に濡れ、肩にヴァリスの剣が根元まで突き刺さった小柄な人影がある。
サザだ。
「サザ……⁉︎」
ユタカは身体の痛みを忘れて、思わず駆け寄った。
まだ、辛うじて息はある。
小柄な身体に根元まで突き刺さった長剣のあまりの痛々しさに、思わず涙が頬を流れた。
アキラが回復魔術の詠唱を始める。だが、アキラはすでにかなり疲弊しているようだ。
アキラの指示でユタカは子ども達とリヒトと一緒にヴァリスの身体を持ち上げて退け、サザに突き刺さった剣を抜くと、子どもたちが持ってきてくれた包帯をサザの肩の傷と脇の下に当ててきつく縛った。
サザが森でユタカにしてくれたのと同じやり方だ。しかし、サザの怪我の方があの時のユタカよりずっと酷い。
「サザ……本当に……
本当にごめん……」
サザはユタカを守るために、暗殺者であることを明かし、命を投げ出したのだ。
(おれはサザのことを疑ったし、おれが守るって約束したのに)
ユタカは止まらない涙をそのままに、血まみれで横たわっているサザの頬を撫でた。
温かさが伝わってくるが、いつもなら優しく微笑んで抱きしめ返してくれるサザの腕は、力なく下げられたままだ。
治療の邪魔にならないようにユタカはサザの元を離れ、アキラの背後へついた。
ほどなくして年配の女性の魔術医師のアンフィがテオに連れられて到着した。アンフィはサザを見るなり顔色を変えて駆け寄った。
「かなり危ない状態です。
私とアキラだけでは厳しいかもしれない。
ネロ先生も呼んでください!」
アンフィはすぐにアキラと一緒に魔術の詠唱に入る。もう一度テオがネロを呼びに行くため、建物から走り出て行く。
今はただ、医師達の治療を見守るしかない。
「父さん……母さんは、僕のせいで」
ユタカにしがみつき、一緒にサザを見つめるリヒトが涙と共に絞り出した声で言った。
ユタカは自分の涙を拭うと、リヒトの背中を撫でてやった。
「リヒト、何もお前のせいじゃない。悪いのは全部大佐だ。
おれが倒れてる間に何があったのか教えてくれるか?」
「うん。
その前に……僕は実は、エルフなんだ」
「……どういう事だ? それは」
リヒトは涙に詰まりながら少しずつ話し始めた。
リヒトが持つエルフの力で川でユタカの血の匂いを嗅ぎつけてサザと二人で孤児院に来たこと。
サザが深く傷ついたユタカを見て、自分は暗殺者とばれて死んでもいいから、絶対にヴァリスを殺すと言ったこと。
サザとハルと三人で協力してヴァリスを殺そうとしたが、リヒトが失敗して計画がばれたこと。
サザが『リヒトは絶対に悪くない』と言って相討ちでヴァリスを殺したこと。
「暗殺者の母さんは、すごくかっこよかったんだ」
「そうだな。おれもそう思う」
サザは最初に立てた目標を、途中のトラブルにもぶれることなく、しかもここにある道具だけで成し遂げている。
圧倒的な技術と経験に支えられた、プロの暗殺者の仕事だ。その全てを隠しながら生きることはどれほど辛かっただろう。
サザの身体の傷も、流した涙も、全部そのせいなのだ。
サザは憎まれるべき暗殺者ではない。
ユタカはもう一度、サザの悲しさや辛さも全部をひっくるめて抱きしめたかった。
(どうか、助かってくれ……)
リヒトの長い話の途中でネロが到着し、サザの治療に加わってくれた。
ユタカとリヒト、子ども達とハルが祈りながら見守る中で三人の魔術医師による必死の治療によって、サザは夜明け前になってようやく容態が安定した。
何とか一命を取り留めることができたのだ。
今は深く眠っている。
もう助からないのではと思っていたユタカは安堵で胸がいっぱいになって、ぼろぼろと涙を流しながら眠ったままのサザの髪を撫でた。リヒトもサザの手を握り泣いている。
改めて見ればサザはいつもと違って髪を後頭部の高い位置でラフに括り上げていた。ユタカはそんな髪型のサザを見たことが無かったが、不思議なくらいにサザにしっくりと馴染んでいた。
ハルが泣いているユタカの肩をそっと抱いてくれた。
「おれ、男でいい歳してこんなに泣いて……ごめんなさい」
「いいのよ。歳や性別なんて関係ないわ。
それに、ユタカは命がけで子どもたちを助けてくれて。本当にありがとう。
あなたは普段は自分を後回しにしてすごく頑張ってるもの。泣きたい時位はちゃんと泣くべきよ」
ハルは慈愛の心を持ってユタカのことを本当によく理解してくれた。本当の母親に会うことは叶わなかったが、自分を育ててくれたのがハルで良かったとユタカは心から思った。
「おれはハル先生の息子で、本当に良かったです」
ハルはそれを聞くと優しく微笑み、ありがとう、と小さく言った。
ハルと話している間に、失血で青白かったサザの頬に赤みが戻ってきた。今はまだ深く眠っている。
早く話がしたかった。
ネロとアンフィはユタカの背中の火傷を心配し、続けて回復魔術を使おうとしたが、サザを全力で治療した二人のあまりの疲弊ぶりに、ユタカは自分は命に別状がないから後でいいと、丁重に断った。
サザの回復の途中でアキラが魔力を限界まで使いすぎて失神してしまったが、ネロの話では二、三日休めば良くなるという。
(けど……最大の問題は、この状況を陛下にどう報告するかだ)
国軍の最高責任者であるヴァリスが殺された現場にいたのだから、ユタカはこのことを詳しく国王に報告しなければならない。
国王はきちんと話を聞いてくれる人だから、ヴァリスは極刑に値する犯罪者だと理解してくれるはずだ。
サザはヴァリスを殺した罪には問われないだろう。
しかし、この国では国王の前での誓いは絶対で、法を作った国王本人でも罪を消すことはできない。
サザは真実の誓いにより死刑になることには変わりはない。
それに、リヒトの不思議な力は国王の耳に入れば、確実に隔離対象になってしまうだろう。
これも何とか隠さないと、ユタカはサザともリヒトとも離れ離れになってしまう。
(でも要は、国王陛下にばれなければいいんだ)
この出来事を知っているのはここにいる人間だけだ。
入念に口裏を合わせて、ユタカがヴァリスを殺し、サザは子ども達とハルを守ろうとして戦闘に巻き込まれて負傷したことにすれば、筋は通るはずだ。
(何とか隠し倒すしかないな……)
ユタカが考えを巡らせていると、リヒトがユタカに抱きついて言った。
「僕と母さんは、お互いの秘密を知ってたんだ。父さんを騙すつもりなんて無かったんだけど、本当にごめんなさい」
「いいよ。
お互いを信頼してそうしたんだろ? 別に構わないよ。
あと、本当は……おれも、サザとリヒトに言ってないことがあって」
「え、そうなの?」
その時、急に建物のドアが開いた。
皆が一斉にそちらを見ると、緋色の髪に群青の軍服の女が立っている。
アイノ・キルカス少佐。
ユタカがこの国で最も優れた魔術士と考えている、攻撃魔術の検査官だ。
アイノは死んだヴァリスと血まみれの服で眠るサザ、負傷しているユタカを順番に見て、驚愕した顔で立ちつくしている。
(何で来たんだ?攻撃魔術は使ってないのに……)
アイノにこの状況を見られたら、もうサザのことが隠し通せない。サザは死刑になってしまう。
ユタカは青ざめて立ち上がり、呆然としているアイノの元へ向かった。
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