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64.ユタカの決意
「ユタカ。何で大佐がここで死んでるんだ?
それに、お前と夫人は大丈夫なのか……?」
アイノは後ろに続いた二人の魔術士と共に建物に入ってきた。
困惑を顕にした表情で、状況を確かめるように包丁が胸に突き刺さって絶命しているヴァリスと、血まみれの服で床に寝かされているサザ、そして、上半身が包帯でぐるぐる巻きの上に殴られた顔のユタカをもう一度、順番に見た。
サザの周りに集まっている子ども達とハル、滝のような汗をかいて息を切らしているアンフィとネロをそのままにして、ユタカはアイノの前まで進み出て言った。
「おれは命に別状は無い。
サザも酷い怪我だったけど、ネロ先生達のお陰で一命をとりとめたんだ。
アイノ、ここでは今は回復魔術しか使ってないだろ。
何で来てくれたんだ?」
「孤児院で夜中に、複数の魔術医師による強い回復魔術が使われたから。
子どもの事故かと思って心配で見に来たんだ……」
「そうだったのか……」
本来であればアイノの行動は検査官の鑑だが、今回ばかりは間が悪すぎた。
アイノならこの状況を見ればサザがヴァリスを殺したのは一目瞭然だろう。
「ユタカ。
まず、その怪我を回復させてくれないか。
私は攻撃魔術士で回復魔術は使えないから、魔術医師を連れてきたんだ。
お前、手首にロープの跡があるな。それにその頬はどうしたんだよ……
……大佐なのか?
あのルーベル大佐が、お前を。傷つけたのか?」
「……そうだ」
「……」
アイノは唾を飲んだ。ユタカを指導していた面倒見がよく有能な剣士としてのヴァリスのことをよく知っているからだ。
「大佐や他の手下は短剣……包丁で殺されている。しかも、全員、正確に急所を一撃でだ。
そんなこと、剣士のお前は出来ない筈だ。子ども達とそちらの高齢のご婦人、魔術医師達だって無理だろう。
……これをやったのは、サザ夫人なんだな?
包丁でそんなことができるということは、夫人は、暗殺者であることを隠していたんだな」
(戦い慣れてるアイノなら、見ただけでそれ位の状況は把握できるよな)
「そうだ。
でも、まず、おれの話を聞いてくれないか」
「……分かった」
「おれを暗殺しようとしていたのは本当は大佐だったんだ。大佐はカーモスの密偵だった。
リヒトがエルフの力を使ってここに辿り着き、サザはおれと子ども達を助けようとして相討ちで大佐を殺した」
「……そんな。大佐のことは陛下も心から信用しているだろう。
それに、リヒトは確かに伝説で伝わるエルフの通りの髪と目をしているが、本当なのか?エルフなら痕跡を残さずに魔術が使えるな?
この国の脅威になるぞ……」
「おれは、サザとリヒトのことは隠し通そうと思ってる。
リヒトは何も悪くない。
サザが死刑になるのは絶対におかしいが、処罰を変えることは、国王にすらできない。
それなら、このまま伏せておくしかない」
ユタカの言葉にアイノが眉を寄せ、声を荒らげた。
「お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか!?
リヒトはともかく、夫人は犯罪者だ。
階級のある軍人が犯罪者を匿ったら極刑だぞ!」
「もちろんだ。仕方ない。
万が一ばれたとしても、ここにいる一般市民はおれが口裏を合わせるように脅迫したことにすれば、罪にはならないはずだ。
それに、大佐はおれの次はアイノを殺すつもりだと言っていた」
「……じゃあ夫人は、私の命も助けてくれたのか」
アイノは複雑そうなな表情で、目を伏せて言った。
「アイノ。サザとリヒトを見逃してくれないか」
ユタカはアイノを真っ直ぐに見つめて言った。
「……」
アイノはユタカを見つめ返し、血が出そうなほど唇を噛み締めた。かなりの沈黙の後、アイノはやっと口を開いた。
「悪いが、ユタカ。
お前にいくら恨まれても仕方ないが、それだけは絶対に出来ない。
私はこのことを知ってしまった限りは、サザ夫人の身柄を国王陛下に引き渡し、リヒトがエルフであることを報告する」
「……」
ユタカはアイノの言葉に小さくため息をついた。
「なんでだよ‼︎ 母さんが死んじゃうだろ!」
リヒトが大声で叫ぶとアイノに走り寄り、小さな拳でアイノの身体を叩いた。
「……リヒト。止めるんだ」
ユタカは叩かれるままになっているアイノとリヒトに近づき、リヒトを後ろから抱きしめるようにして押さえ込んで止めた。
リヒトは今度はユタカを何度か叩くと、抱きついて泣き始めた。アイノはその様子を涙を堪えた表情で見つめていた。
「夫人のことがもし明るみに出れば、私もお前と同じで極刑になる。
そうなれば、私の二人の息子が露頭に迷うことになるんだ。私の夫は戦争で死んだからな。
お前とリヒトに死ねと言われても、悪魔だと罵られても構わない。
でも、私はお前の家族のために、自分の家族を危険に晒すことは出来ないんだ」
(……その通りだ)
ユタカはアイノの言葉を聞いて、如何に自分のことしか考えていなかったかを思い知った。
アイノにはアイノの人生があり、大切な家族がいるのだ。それを壊してまで自分の妻の命を優先することは、絶対にしてはいけない。
「……アイノは正しいよ。
勝手なことを言って悪かった。
おれの言ったことは、全部忘れてくれ」
そう言うと、ユタカは思わずアイノから顔を背けた。涙が溢れるのを止められなかったからだ。
アイノは怒りと悲しみの混ざった表情でユタカの頬を流れる涙を見つめると、連れてきた魔術医師の一人に、眠っているサザを王宮へ運ぶための馬車を急いで手配してくるように告げた。
「ユタカ。
私は夫人を国王に引き渡すが、リヒトのことは、魔術士としてリヒトの力に危険がないことを何とか証明して、お前と引き離されない様に、絶対に守ってやる。
それに、夫人の判決を覆すために出来ることがあれば、あらゆることをやろう。
犯罪でなければ、私はお前の指図にすべて従う。
もちろん、それで許してもらえるとは思わない。一生恨まれたままでいい」
「アイノ……」
「私の息子二人は、お前に憧れて剣士になりたがってるんだ。母親がこんなに腕の立つ魔術士だというのにだぞ。
それに、私の夫が死んだ時に、親が死んだ子どもがどれだけ悲しむかも知ってる。
リヒトが二度も母親を失うことは許されない。
だから私は、お前の家族全員に生きていてもらわないといけない」
「アイノさん、僕……叩いてごめんなさい」
ユタカにの身体に顔を埋めていたリヒトがアイノに向き直ると泣きじゃくりながら小さな声で言った。
「いいんだ。私は君に殴られて当然のことをしている。
気にしなくていい。どうしたらいいかみんなで考えよう」
ユタカはアイノの言葉を聞いて、サザが「もっと周りの人に頼っていいんだよ」と言っていたのを思い出した。
サザを助けるために、それを実行するのは今なのかもしれない。
「アイノ。サザを助けるのを手伝ってほしい」
「もちろんだ。何でもやろう」
「ユタカ。私も、何でもするわ。
サザを助けましょう」
ユタカの後ろから、ハルがはっきりとした口調で言った。
子ども達とネロとアンフィも頷いている。
「お前は今まで、数えきれない位沢山の人を助けただろう。私だって、戦争の時はお前に背中を守ってもらったんだ。
お前を助けたい、力になりたいと思っている者は大勢いる。皆で協力しよう」
「……ありがとう」
ユタカは絶望の真っ只中にいた自分の心の中に、少しだけ光が差したような感覚を感じた。
「サザの暗殺者仲間……カズラとアンゼリカという二人の女性がトイヴォの何処かに住んでいるはずだ。
二人を探し出して、協力してくれるように頼んでくれないか?」
「分かった。今王宮に向かったらすぐに探させよう」
「あと……おれに一つだけ、考えがあるんだ。
本当はおれは、できれば実行したくない。
でも、聞いてくれないか?
おれは、皆に隠してたことがあるんだ……」
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