65.暗殺者サザ・アトレイド

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65.暗殺者サザ・アトレイド

「……ん」  サザは眠りから目覚めた。 (……生きてる⁉︎)  勢いよくベッドから上半身を起こし、身体を確かめる。  身体は血でまみれていた筈だが何事も無かったかのように綺麗になっていて、サザが普段着ていたような綿のシャツとスカートを着ている。新品のようだ。  シャツのボタンを開けて身体を確かめると、ヴァリスの剣が刺さった肩はほとんど傷も残らずに治っている。  剣が貫通していたのに死なずに済んだことが信じられない。それに、傷が残っていないということは、すぐさま魔術医師の治療を受けられたということだ。アキラは疲弊していたのに、どうしてそんなことが可能だったのだろう。 (……そして、ここは何処だろう)  部屋はベッドだけのある石積みの壁で、鉄格子のある窓から夕日が差し込んでいる。  一つだけあるドアも鉄格子だ。  窓の外を覗くと、眼下にイスパハル王宮の建物が立ち並んでる。この部屋はかなり高い場所にあるようだ。ここは恐らく、王宮の中の高い塔の上にある牢屋なのだろう。恐らくサザの能力を考慮し逃亡しないように、逃げようのこ無い牢に入れられていると推測される。  そして、サザが王宮の牢にいるということは、死刑になるため捕らえられているいうことだ。 (私は……死刑になるために生かされたのか)  怪我をしてそのまま死んだ方が楽だった気がするが、どうせ死ぬならどう死んでも同じだ。  サザはベッドからゆっくりと立ち上がる。  かなり長いこと眠っていたのか少しふらついたが、なんとか立ち上がり、鉄格子のドアから廊下を覗いた。見張りの剣士がドアの横に立っていた。 「あの、ちょっといいですか」 「目覚めたか。  お前はここに運ばれてから、怪我の回復のために丸三日眠っていた。  お前の体が回復するのを待ってから、国王陛下の御前にて裁きが下されることになっている。  今目覚めたなら、明日の正午になる予定だ」 「承知しました、が……  ユタカ・アトレイドとハル先生と子どもたちは生きているか、教えてもらえませんか」 「罪人の質問には一切答えられないことになっている。  裁きの際に国王へ質疑が認められている」 「……分かりました」  想像通りの答えにサザはため息をついた。  だが、サザが生きているということはヴァリスはちゃんと倒せたはずだ。きっとユタカや子どもたちも無事だろう。  サザは牢の中のサイドテーブルにあった水差しからコップに水を注いで飲むと、ベッドに座った。  テーブルの上にはパンも置いてある。死ぬ前に食べるのもおかしな話だが、丸三日も何も食べていなかったのだ。  サザは乾燥したすかすかのパンを口に押し込んでもう一度水を飲み、ベッドに倒れ込んだ。  サザはパンをもしゃもしゃと咀嚼して飲み込むと、改めて自分のやったことを反芻した。  ユタカやリヒト、カズラとアンゼリカ、ハルや子どもたち、リエリやローラやアイノ。  城やイーサの町の皆の顔を一人ずつ思い出す。 (これでよかったんだ)  私は暗殺者だ。それを誇りに思っている。今回の自分の行動には全く悔いがない。  もう会えなくなってしまったが、大好きなリヒトとユタカを自分の力で助けられたのだ。  しかし、それでもサザは、想像することを止められなかった。 (もし私が暗殺者じゃなくて。『普通の娘』だったら。  私は死なずに済んで、ユタカとリヒトと三人でこれからも、幸せに暮らせたのかなあ)  サザが暗殺者でなければ。  明日にでも三人で蛍を見に行ってサンドイッチを食べ、これからもユタカとイーサの人々の暮らしをよくするために考えを巡らせたり、リヒトの成長を見守ったりすることが、もっと出来たのだろうか。  そう考えだすと、想いは坂を転がるボールの様に加速していく。サザは底の見えない深い悲しさに支配され、涙が止まらなくなってしまった。  サザは見張りがいることも構わずに激しく嗚咽し、夜半過ぎになっても眠れなかった。こんなことは初めてだった。 (本当はもっと、生きていたかった。ずっとずっと、一緒にいたかったよ。  でも、私は暗殺者だから、それは出来ないんだ……私が暗殺者だったせいで)  サザは自分の心がどうしようもなくなり、涙でぐしゃぐしゃになった顔を手のひらで雑に拭うとベッドから起き出した。  格子窓の外を見ると王都トイヴォの家々の明かりが温かい光を放ってきらめいている。  あの光の一つ一つの元に、愛すべき温かな家庭がある。  サザにも、確かにあった。でもサザは明日、それを永遠に手放すのだ。  その事実がサザの涙を途絶えさせようとしなかった。   サザはもう一度目を両手でごしごしと擦って、景色の見える向きと星から方角を考える。窓から見える景色のずっと先にイーサがあるはずだ。 (ユタカとリヒトは、今頃、よく眠れていたらいいけど…… 泣いているかもしれない。どうか少しでも眠れますように)  サザは格子窓の枠に肘をついて外を見ながら、ユタカと結婚した一年と、リヒトと一緒に暮らした半年を丁寧に最初から思い起こしてみた。  最初は結婚するのがすごく嫌だったんだ。今は信じられない。  カズラとアンゼリカの求婚状のおかげだ。 (……そうだ。ユタカとリヒトと私が出会えたのは、私が暗殺者だったからだ)  サザが暗殺者でなければ、二人と家族になることは決して無かったのだ。カズラとアンゼリカとも、リエリやローラやヴェシやトゥーリ、サザを慕ってくれる沢山のイーサの人達とも、出会うことは無かった。 (それなら私は、暗殺者でよかったんだ。  二人や、沢山の大好きな人に会えたんだから。  私は、サザ・アトレイド。  ユタカの妻でリヒトの母で、イスパハルの暗殺者だ)  その考えに行き着き心が暖かくなったサザは、夜明け前にやっと、少しだけ眠ることができた。
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