Rainy Day――特別な空

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 気が進まず、いつもより重く感じる足を無理やり動かして、俺は天文部の部室に向かった。数日前に同じ天文部の二年生の男子から連絡が来た。「合宿のリーダーを決めるから、部室に来て」とあり、そういえば天文部の合宿は二年生が主体となるんだったな、なんて思う前に、まだ部員として扱われていることに驚いた。俺が部活に参加していたのは一年の夏になる前までだったから、存在を認識されているとは思っていなかった。 どうやら部室にたどり着いたのは俺が最後だったらしく、すぐに「あみだで決めるぞー」と何人かの部員が騒ぎ始めた。ここに集まっている二年生の部員は十六人。俺にまで声がかけれたということは、これで全員なんだろう。そして、天文部の合宿は五月、八月、九月、十二月、と一年に四回行われる。各合宿のリーダーと副リーダーを決めるわけだから、役職に就く確率は二分の一。 「岩渕くん、ここでいい?」  先ほどからこの場を仕切っている男子が、あみだくじが書かれた用紙をこちらに差し出した。みんなすでに名前を書いたらしく、残っているのは最後の一つ。残り物には福がある、と言うじゃないか。俺がうなずいたのを確認すると、その男子が線の上に「いわぶち」と書き込んだ。  確率は二分の一。残り物には福がある。大丈夫、俺がリーダーになることなんてきっとないだろう。  だけど今日は雨脚が激しい。こんな日には、きっと何か良くないことが起こる。 「じゃあ、五月の合宿から発表するよ」  折って隠してあったあみだくじの端が、開かれる。 「えっと……五月は」  そこで少しの沈黙があった。結果を見ている男子は、少し戸惑った表情を浮かべている。 「副リーダーは可奈ちゃん。で」  彼の困惑の視線が、わずかに俺に向けられた。 「リーダーは、岩渕くん」  何人かの部員が冷たい目でこちらを見ている。それは「お前がやれるの?」と問い詰めているようだ。そして女子部員たちが「え、可奈と組むの?」「可奈ちゃん、嫌だったら断ろ?」とポニーテールの女子に心配そうに声をかけている。 「大丈夫だよ」  そのすべてを振り払うように、可奈と呼ばれた女子は声を上げた。 「私、リーダーとかやってみたかったんだ。だからラッキーだよ」  そして、彼女の温かい目線がこちらを向いた。 「よろしく、岩渕くん」  部室に入った時、誰も俺に挨拶をしなかった。あみだくじに俺の名前を書いた男は、漢字がわからずひらがなで書いた。リーダーに選ばれた瞬間の棘のような視線――。 「こちらこそ、よろしく……」 「八月のリーダーは大林で、副リーダーは……え、俺!?」  俺の小さな呟きは、叫び声にかき消されて、きっと彼女には届いていない。  合宿の準備に参加しようとためらいながらも部室に向かう。しかし、ほとんどの仕事は副リーダーの可奈さんと、彼女と仲の良い女子学生数人が中心となっていて、俺は他の部員に声をかけられることもなくそっと帰ってしまった。俺にできることといえば、雨が降らないよう祈ることだけだった。 「なんでこうなるかな」  運転席に座っている菅野が隠そうともせずにため息をついた。リーダーを決めるくじを率先して作っていた彼は、合宿を全力で楽しもうと意気込んでいたに違いない。 「よほどの雨男か雨女がいるとしか思えねえんだけど」 「一昨日まで天気予報晴れマークばっかりだったのにね」  後部座席から小森さんの声が飛んできた。彼らの会話に俺は体が縮む思いがした。 「仕方ないよ、合宿中にちょっとでも晴れるのを期待しよう」  可奈さんが穏やかに二人を諭している。  何台かの車に分かれて移動しているが、居心地は最悪だった。口にはされないが、菅野と小森さんは俺がほとんどリーダーの役目を果たしていないことを不満に思っている。相棒である可奈さんの感情は全くわからないが、俺が迷惑をかけていることは間違いない。そしてこの土砂降り。天気予報によると、合宿中に晴れ間がのぞく気配はない。全部俺のせいだ。俺が、特別な日には高確率で雨を降らせてしまう雨男だから――。 「もしかしてさ、岩渕くんが雨男だったりして」  冗談めかしてこちらに視線をよこす菅野の言葉にどきっとした。急に話題を振られたこともだが、それがあまりにも的を射ていたから。 「菅野ー、やめなよ、岩渕くん怒っちゃうかもよ」  菅野をたしなめながらも笑いをこらえている小森さん。「ごめんね、岩渕くん。怒った?」と尋ねてくる菅野からは謝罪の気持ちが一切伝わってこない。そんなもやもやを抱えたまま、曖昧にうなずくことが精いっぱいだった。  合宿最終日になっても、雨が止むことはなかった。止んだかな、と思って外の様子を窺っても小雨だったり、今にも降り出しそうなほど厚い雲が空を覆っていたりする。最初からわかっていた。ずっと「雨男」といわれてきた俺がこの合宿に参加してはいけないこと。どうにか理由をつけてでもくじを引くべきではなかったんだ。  今夜はみんな、明日の帰宅に備えて早めに眠ってしまったようだ。こっそりと外に出ている俺には誰も気づかない。そもそも合宿中に俺のことを気にする奴なんていなかった。小雨だから傘は持ってこなかったが、長い間降られていれば髪からもぽたぽたと雫が落ちてくるし、寒さも感じられる。合宿から戻ったら部活をやめよう。俺がいなくてもどうにでもなるし、迷惑はかけたくない。全く未練がないわけではないが、と思うとため息が零れ落ちた。 「岩渕くん、そんなんじゃ風邪ひいちゃうよ」  突然かけられた声にびくっとしながら振り返る。苦笑しながら立っていたのは、傘を差した可奈さんだった。 「この傘、差しなよ」  はい、と言って手渡された黒い傘。誰のか分かんないけど、と笑っている可奈さんは、この空気を少しでも和らげようとしているのかもしれない。 「すまない……まだ起きてたのか」  女性と二人で話すのには慣れていない。緊張と恥ずかしさから声は小さくなってしまうし、可奈さんの顔を見ることもできない。先ほどまでの寒さはどこへ行ったのか、体が火照っている気がする。 「だって、もしかしたら星が見えるかもしれないよ」  今すぐに雨が止むとは思えない空。それでも可奈さんの声は明るく弾んでいる。ちらりと顔を覗くと、その瞳にはあきらめの色はうかがえない。 「星なんて見えるはずがない。雨が止むはずがないんだ。最初から今回の合宿は雨だと決まっていたんだ」 「どうしてそんなに断定できるの?」  首を傾げる可奈さん。そんな彼女に、俺は静かに告げる。 「俺が雨男だから」  一瞬、しんと張りつめた空気は、可奈さんのくすくすという笑い声ですぐに消えてしまった。 「やだ岩渕くん、菅野くんたちが言ってたこと気にしてるの?」  あんなの本気じゃないよ、と笑い続けている可奈さんの声は、俺をバカにするようなものじゃなかった。 「本当に冗談じゃないんだ。俺はずっと雨男って呼ばれてた。高校の頃入った天文部でも俺が参加する行事は必ず雨だった。俺がいないときだけ晴れるから、部活に行けなくなってしまったんだ」  最初に俺を「雨男」だと言った奴は、ほんの軽い気持ちでからかっただけだったのかもしれない。だけど、いつの間にかみんなから白い目で見られるようになり、居心地が悪くなってしまった。 「だから今回の合宿で天気が悪かったのは、全部俺のせいなんだ……本当に申し訳ない」  可奈さんはしばらく返事をしなかった。一体何を思っているんだろう。こんな話をする奴、呆れられているに違いない。 「空って、不思議なことがいっぱいあるよね」  可奈さんの口から出た声は、先ほどまでとはずいぶん違う、落ち着いたものだった。 「私、星を見るのはもちろん好きだけど、朝とか夕方とか、星の見えない時間の空も好き。それと同じくらい、雨の日の空も好きなんだ。同じ空の景色って、絶対もう見れないじゃん。空は人間がどうすることもできない領域だよ。だから岩渕くんが謝る必要はないよ」  決して大きくはない声だけど、その声は凛としていて、雨の音に負けることなく俺の心に直接響いてきた。 「どんな一瞬でも、空の様子って違うよね。そう思うと、どの瞬間も特別な空に見えてこない?」  雨の日の空が特別だなんて、今まで一ミリも思ったことがなかった。だけど、しとしとと降り続ける雨の音、匂い、見上げた暗い空。なぜか特別な気がしてくるのは、きっと隣に可奈さんがいるからであり、二人で同じ景色を見ているからだ。そう思うと夜の間降り続ける雨も悪くない。星が出ていなければ他の部員に邪魔されることもない。 「だけど、夏の合宿はさすがに不参加だな」  ぽつりとそんな言葉を漏らせば、何故だか可奈さんはぱっと顔を輝かせた。その表情が「いいこと思いついた!」と言っている。 「夏休みの間、部活の合宿とは別に観測会しようよ。日にちを決めずに、晴れていたら出かけてみるか、くらいの気持ちで。それなら一日くらい晴れる日があるんじゃないかな」  なるほど、それなら気負わずに参加できるし、毎日雨が降るなんてこともないだろう。そこまで考えて、はたと気づいた。その観測会は、二人でなのか、他の部員も呼んでなのか。できれば二人で見れたらいいな、なんて考えている自分に焦る。 「私、大勢でいるよりも、一人でとか、二、三人でとかの方が落ち着けて好きなんだけど……」  よかったら二人で、と尻すぼみになっていく声を俺は確かに聞き取った。 「俺も、二人で見れたら嬉しい」  自分の声が思いのほかはっきりと響いた。そのことに若干たじろぎつつも、一瞬にして輝きを取り戻した可奈さんの表情を見て安心する。きっと星空を眺める可奈さんは、今以上に光輝くのだろう。  こんなに穏やかな気持ちになれる雨の日は、きっと初めてだ。もう少しこのまま、いや、できるだけ長く、可奈さんとこの空間を共有していたい。そっと目を閉じると、心地よい雨音が俺の心を満たしていった。
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